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2018年2月26日月曜日

大洗散歩

宴会があった日は、例によって大洗の街をぶらついた。
大洗駅に着いたのは、12時過ぎ。観光地だけあって、けっこう人が降りた。



まずはお昼を食べないとね、と商店街へと向かう。
新しい道ができていたけど、やっぱり私は路地が好き。



昼食は前にも入った柳屋食堂にする。
まずはビール。



前回はラーメンだったが、今日は焼きそば。
古今亭志ん朝も言っていたけど、ビールにはソース焼きそばがよく合う。


ビールと焼きそばで1200円。地元の人に愛されている、フツーの食堂。そういう所が好きだなあ。
髭釜商店街から曲松商店街へと歩く。この通りはガルパンで有名だが、古い街角ファンも絶対に満足すると思う。








大洗の銘酒「月の井」の醸造元、月の井酒造直売店に入る。




部屋飲み用に純米酒の四合瓶を買う。
海が見たくなり、商店街を逸れて大洗漁港へ向かう。


市場の売店で買い食いでもしようか。せっかくだから、ちょっと飲んでもいいな。
近くのコンビニでワンカップを買って、売店を見る。



さざえのバター焼き(正確には赤ばい貝とのこと)が旨そうだったので、買ってしまう。350円。


漁港で海を見ながら、ワンカップをぐびり。カモメがいっぱい飛んでいたので、警戒しつつバター焼きをつまむ。そりゃあ旨いでしょ。
それから、大洗磯前神社にお参り。太平洋を望む高台、絶景のロケーションに鎮座ましましております。




お参りの後は鳥居下の大洗美術館を見学。
窓外に見える神磯の鳥居を見ながら、コーヒーをいただく。


水彩画やら版画やら押絵やらをゆっくりと鑑賞しているうちに、3時過ぎになった。
頃合いもよし、そろそろ今宵の宿へ向かおうか。
飲んだり食ったり歩いたり、いやあ充実したお散歩でした。

2018年2月25日日曜日

大洗で宴会


今年もまた、昔の職場の仲間で宴会をやった。
長老のKさんの希望で、海の近くがいい、しかも市場があった方がいい、ということで、ここ数年、那珂川河口のあっち側とこっち側を行ったり来たりしている。
で、今年は大洗。
私は例によって昼ごろからうろうろして、3時過ぎ、宿へ入る。
天然温泉の風呂に入り、ビールを飲みながら、メンバーが集まるのを待つ。




今回は、ここのところ皆勤のKさんとOさんと私とで3人。小じんまりとした会になった。
二人とも5時半ごろ登場。ひとっ風呂浴びてもらって、6時過ぎ宴会が始まった。


さすが大洗、魚介が旨いや。
私は昼からビールを飲んでいるので、乾杯の後はすかさず燗酒に移行。このラインナップではやはり日本酒だな。

お銚子には「磯節」。

鮟鱇のとも酢が絶品。



2時間、大いに飲む。
そして、焼酎の瓶を抱えて部屋に戻り、部屋飲み。
KさんもOさんも定年を過ぎているが、まだまだ元気で働いていらっしゃる。
焼酎のお湯割りを飲みながら、思い出話に花を咲かせ、先輩方のお話に耳を傾ける。年金や再雇用のことなど、色々勉強になりますなあ。
女子カーリングの銅メダルを見届けて、就寝。
翌朝は、朝風呂に入り、しっかり朝食を摂る。


おかみさんの話では、この宿はこの辺りで最も古いとのこと。その歴史は江戸時代後期にまで遡る。大洗磯前神社が再興された時、鳥居の前に茶店を開いたのが始めだという。幕末、天狗党の乱の時には、この大洗でも戦闘があった。当時は大変だったろうな。
東日本大震災の時は、この磯前神社の辺りだけ津波の被害を免れたという。
全室オーシャンビュー、1泊2食付で10,800円(鮟鱇鍋を付けると2000円の追加になる)。天然温泉で部屋もきれい。いい宿を見つけたな。KさんもOさんも喜んでくれた。
那珂湊の市場に寄ってお土産を買って帰る。楽しい週末を過ごすことができました。

2018年2月21日水曜日

初めて煙草を買った夜

小室等の『一匹のカニ』という歌を聴くと、ケンジを思い出す。
ケンジはこの曲が好きだと言っていた。

ケンジとは高校で、3年間一緒のクラスだった。
仲良くなったのは、2年の時だった。
その頃私は、好きな授業以外は、こそこそと教師や友人の似顔絵やイラストを描いているような、いけ好かない生徒だった。たまたまケンジと近くの席になった時、私の描いた絵がケンジの目に留まる。ケンジも絵を描くのが好きだったのだ。
授業が始まると、ケンジはB5の計算用紙を半分に切って私にくれた。その紙で、お互いにイラストを描く。授業が終わると、同好の士、4人ほどで、作品を見せ合った。(作品と言うほどのものではないけど)私が描いた絵は、全てケンジにあげた。
卒業間近のある朝、ケンジが私に1枚の絵をくれた。それはいつもの半分に切った紙ではなく、B5全部を使っていた。前の晩描いたのだという。そこには、彼の自画像と思われる男の横顔と、比較的長い文章が書いてあった。「君は今生きていることが、実は長い夢を見ているのだと考えたことはないか」というフレーズが印象的だった。
卒業後、私は東京の私大に進み、ケンジは地元の電電公社に就職した。

大学1年の秋だと記憶している。
世之助くんとあと誰かいたな、新宿で夜明かしして飲んだことがあった。夜明け前の喫茶店で始発を待ちながら、私は世之助くんから貰って、初めて煙草を吸った。
それから、川崎のアパートに帰って、その晩、家から大家さんの所に電話が来た。呼び出されて電話口に出た私の耳に、ケンジが事故で死んだという知らせが届いた。
明日が葬式だという。朝に帰ると返事をした。
その日には校内寄席があり、私は前座で出る予定だった。誰かに連絡しなければならない。部屋に戻って部員名簿を持って、大通りの公衆電話に走った。同輩の酒合丈くんにかけたが留守だった。楓さんとようやくつながり、明日はこういう事情で欠席しなければならない旨を伝えた。
部屋に戻ったが落ち着かない。小銭をつかんで表に出た。大通りにある煙草屋の自動販売機で、生まれて初めて煙草を買った。マイルドセブン、150円。そうすることで、私はケンジの死を記憶に刻みつけたかったのかもしれない。
部屋で一人、鯖の缶詰の空き缶を灰皿代わりにして、私は煙草を吸った。煙草を吸いながら私は多分、あのケンジから貰った絵を取り出して眺めたのだと思う。

葬式にはほとんどのクラスメイトが集まった。
ケンジの家は和菓子屋だった。ケンジは、店の売り上げだか商品だかを盗んだ泥棒を車で追いかけ、田圃に突っ込んで死んのだ、と誰かが言っていた。
私はその日のうちにアパートに戻った。

翌日、部室に行くと、先輩は「大変だったな」と言ってくれた。
しかし、活動の最後、幹部の先輩は私を起立させ、こう告げた。
「楽家伝助、無断休席につき1カ月の出演停止とする」
そうしてその後で、その先輩は優しく言ってくれた。「トリの方に直接連絡しないと、無断ということになっちゃうんだ。決まりだから仕方がない」

新盆だったか、一周忌の頃か、一緒にイラストを描いていたSと、ケンジの家を訪ねた。
ケンジの妹が、私たちが描いた絵を見せてくれた。
ケンジはあの絵を全部、取っておいてくれたのだ。懐かしさで胸がいっぱいになった。

ケンジがくれた絵は、それを挟んでいたノートごと、いつの間にかどこかへ行ってしまった。

2018年2月19日月曜日

石岡の雛巡り

昨日の日曜日。午後から用足しのついでに石岡を歩く。
「石岡の雛巡り」が始まったのである。この時期、古い町ではどこでもやるようになった感のあるイベントだが、普段歩いている町が何となく華やいだ雰囲気になって、なかなかにいいものだ。
いつものように中町の駐車場に車を止めて歩き出す。

中町通りの十七屋さんのお雛様。


金丸通り。呉服屋さん。

八間道路に出る。東日本銀行。


まちかどセンターの展示。

こちらも、まちかどセンター。
どこかの取材が来ていた。


まちかど蔵の二階。




風が強く寒い。30分ちょっと歩いて散歩は終了。雑用をこなす。
夕方、久々にハートランドビールを飲む。
夕食はお好み焼きで酒。霧筑波のうすにごり。妻の実家からのいただきもの。旨し。

2018年2月17日土曜日

千倉の海

落研の合宿は年に3回、春と夏と冬にあった。
そのうち、夏は伊豆河津の「いわたに旅館」、冬は伊豆長岡の「東屋旅館」と決まっていた。
春だけは、その年ごとに違っていて、その場所の選定は、2年生の渉外係の腕にかかっていた。
私たちが1年の時は草津だった。春合宿は、GW期間中に行われ、落研入門合宿といった意味合いがあり、私にとっても、思い出深い合宿であった。

さて、1年の2月頃だったか。祖師ヶ谷大蔵の、小柳さんが住んでいたアパートに、同輩の八海くんが引っ越して間もない時のことだ。私は例によって、あちらこちらを泊まり歩いていたのだが、その時も、八海くんのアパートで酒を飲んでいた。
その時、八海くんがいきなり言った。
「悟空と合宿の下見に行ってくれ」
当時、八海くんは悟空くんと共に渉外係をやっていた。春合宿の予約を入れなければならない時期に来ていたのだ。
「実は下見の予定を入れておいたのだが、どうも単位が取れないらしい。その日に親が呼ばれてることになった。もう先方には話がついているし、日程は変更できない。悪いけどお前、悟空と一緒に行ってくれないか」
もちろん、異存はない。広報係であった私は、こうして合宿の下見に行くという、レアな経験をすることができたのだ。

場所は千葉県の千倉。房総半島の突端、白浜の外房側に隣接した小さな町だった。
民宿だったが、発表会ができる広間があり、海岸が近いので発声練習をするのにも適していた。何より、海の幸を中心とした食事が旨かった。悟空くんは好物の鯖の味噌煮に舌鼓を打ち、私は刺身で酒を大いに飲んだ。

翌朝、悟空くんと浜に出た。
目の前にどーんと広がる太平洋に向かって、私は、当時流行っていた、「ゴーイング・バック・トゥー・チャイナ」を口ずさんだ。

合宿本番、春の千倉も素晴らしかった。(あの頃のGWは、初夏というより、まだ晩春の趣だった)
菜の花が咲き乱れ、沖では春の海がのたりのたりと波を浮かべていた。
そうだった、この合宿で、私は「牛ほめ」を得意ネタにしたのだったな。
何でもない海辺の小さな町だったが、私の心に「千倉」の名は深く刻まれた。

先年亡くなった、イラストレーターの安西水丸は、千倉の出身で、この町をモチーフにした絵やマンガを多く残している。
彼のマンガ、『東京エレジー』や『春はやて』を私も持っているが、コマのひとつひとつに完成された一枚の絵という趣がある。私はマンガというより詩画集として楽しんでいる。水丸の、シンプルな線と少し歪んだ造形を持つ絵に、何より詩情を感じるのだ。

妻と結婚したばかりの頃、春には房総へ旅行した。暖かく花がいっぱいで、魚も旨い。妻も春の房総が好きだった。
千倉に老夫婦がやっていた花畑があって、何度かそこで花を買った。ずいぶんおまけをしてくれて、両手に抱えきれないほど持たせてくれた。

しばらく房総にも行っていない。
この間買った安西水丸の画集をめくっていると、久し振りに千倉の海を見たくなった。

では、20年ぐらい前、妻と房総に行った時の写真です。

千倉、高家神社の包丁塚にお参りする妻。
「高家音頭」の歌詞。





2018年2月12日月曜日

3連休

3連休。とはいえ、長男がテスト前なので、遠出はなし。

土曜日はおとなしく家にいる。
午前中、妻は次男を耳鼻科に連れて行く。
昼は妻たちが買って来た、マクドナルドのチキンタツタセット。
午後、ちょっとだけ抜け出して石岡を散歩する。
いつものように中町の駐車場に車を止める。
中町通りから金丸通り。八間道路に出て、中町通りに戻り、ヴィオレでカレーパンを買って食べながら、ぶらぶらと市民会館の方に歩き、石岡小学校敷地内の「ふるさと歴史館」を見学してから、常陸総社宮をお参りする。

中町通り、十七屋。

玉川屋の並びも壮観です。

ここははずせない、東京庵。

金丸通り、月泉堂。

「雛めぐり」は来週からだが、もう飾っている所もあった。

八間道路、弁天屋跡地の狸像。



石岡小学校敷地内にある「ふるさと歴史館」。

常陸総社宮。

帰りに高木書店に寄る。柚子冬彦著『筑波の義軍』を購入。
天狗党旗揚げの拠点となった、府中「紀州屋」の養女、大久保たかの視点で語られた幕末史。史書というより小説だね。しかし、貴重な記録であることには違いない。読み物としても面白かった。
夕食は煮込みハンバーグ、サラスパで酒。
オリンピック男子純ジャンプ、ノーマルヒル決勝をテレビで見る。ずいぶん時間がかかったが、結局最後まで見てしまう。

日曜日。妻子を連れ、イーアス筑波に行く。
1日ぐらいはお出かけしないとね。
安西水丸の画集とビル・エバンス・トリオのCD『エクスプロレイションズ』を買う。
昼は美味倶楽部、カレーのGARAスペシャルを食べる。
夕食は豚バラ大根鍋、モツ炒めで酒。
寝しなに白ワイン。『筑波の義軍』、読了。

今日はずっと家にいる。
レコードで友部正人の『にんじん』を聴く。
昼は息子たちと和風パスタを作る。
午後から強風になる。
妻が図書館で借りてきてくれた、中村文則著『R帝国』を読む。
まだ途中だけど、ぐいぐい読ませる。我々は今、ものすごい時代を生きているのかもしれない。
夕食は鶏の唐揚げ、モツ炒めで酒。明日からまた頑張りましょうね。