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2018年2月17日土曜日

千倉の海

落研の合宿は年に3回、春と夏と冬にあった。
そのうち、夏は伊豆河津の「いわたに旅館」、冬は伊豆長岡の「東屋旅館」と決まっていた。
春だけは、その年ごとに違っていて、その場所の選定は、2年生の渉外係の腕にかかっていた。
私たちが1年の時は草津だった。春合宿は、GW期間中に行われ、落研入門合宿といった意味合いがあり、私にとっても、思い出深い合宿であった。

さて、1年の2月頃だったか。祖師ヶ谷大蔵の、小柳さんが住んでいたアパートに、同輩の八海くんが引っ越して間もない時のことだ。私は例によって、あちらこちらを泊まり歩いていたのだが、その時も、八海くんのアパートで酒を飲んでいた。
その時、八海くんがいきなり言った。
「悟空と合宿の下見に行ってくれ」
当時、八海くんは悟空くんと共に渉外係をやっていた。春合宿の予約を入れなければならない時期に来ていたのだ。
「実は下見の予定を入れておいたのだが、どうも単位が取れないらしい。その日に親が呼ばれてることになった。もう先方には話がついているし、日程は変更できない。悪いけどお前、悟空と一緒に行ってくれないか」
もちろん、異存はない。広報係であった私は、こうして合宿の下見に行くという、レアな経験をすることができたのだ。

場所は千葉県の千倉。房総半島の突端、白浜の外房側に隣接した小さな町だった。
民宿だったが、発表会ができる広間があり、海岸が近いので発声練習をするのにも適していた。何より、海の幸を中心とした食事が旨かった。悟空くんは好物の鯖の味噌煮に舌鼓を打ち、私は刺身で酒を大いに飲んだ。

翌朝、悟空くんと浜に出た。
目の前にどーんと広がる太平洋に向かって、私は、当時流行っていた、「ゴーイング・バック・トゥー・チャイナ」を口ずさんだ。

合宿本番、春の千倉も素晴らしかった。(あの頃のGWは、初夏というより、まだ晩春の趣だった)
菜の花が咲き乱れ、沖では春の海がのたりのたりと波を浮かべていた。
そうだった、この合宿で、私は「牛ほめ」を得意ネタにしたのだったな。
何でもない海辺の小さな町だったが、私の心に「千倉」の名は深く刻まれた。

先年亡くなった、イラストレーターの安西水丸は、千倉の出身で、この町をモチーフにした絵やマンガを多く残している。
彼のマンガ、『東京エレジー』や『春はやて』を私も持っているが、コマのひとつひとつに完成された一枚の絵という趣がある。私はマンガというより詩画集として楽しんでいる。水丸の、シンプルな線と少し歪んだ造形を持つ絵に、何より詩情を感じるのだ。

妻と結婚したばかりの頃、春には房総へ旅行した。暖かく花がいっぱいで、魚も旨い。妻も春の房総が好きだった。
千倉に老夫婦がやっていた花畑があって、何度かそこで花を買った。ずいぶんおまけをしてくれて、両手に抱えきれないほど持たせてくれた。

しばらく房総にも行っていない。
この間買った安西水丸の画集をめくっていると、久し振りに千倉の海を見たくなった。

では、20年ぐらい前、妻と房総に行った時の写真です。

千倉、高家神社の包丁塚にお参りする妻。
「高家音頭」の歌詞。





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