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2013年4月30日火曜日

鹿島鉄道、小川高校下駅跡

鹿島鉄道、小川高校下駅跡。
コンクリート壁に、「かしてつ応援団」小川高校生が描いた絵が、まだ残っている。
鹿島鉄道廃線から6年。この3月で小川高校も廃校となった。

2013年4月29日月曜日

海へ行こう


妻子を連れ、大洗に行く。
駐車場に車を止め、海岸に出る。
長男は波打ち際で、次男は石や貝を拾って遊ぶ。
いい天気。風が少し冷たいが、かえって気持ちいいくらい。
陽射しを浴びて、風に当たって、波の音を聞いて、穏やかな気分。
お昼にコンビニで買った、おにぎりやパンを食べる。
午後はめんたいパークを見て、イエローポートでイカの一夜干しやら生の海老を買った。
夕方は家族で庭でバーベキューをやる。
昼間買った海老やイカを焼く。旨し。明るいうちから飲むビールは旨い。
いい一日だったよ。こういう時間が必要なんだなあ。

2013年4月24日水曜日

ゆめの寄席 プロの落語家編②

「ゆめの寄席」プロの落語家編第2弾。
この前より、ちょっと昔に行ってみよう。
場所は人形町末廣だな。

まずは五代目柳家小さん、『かぼちゃ屋』。「ライスカレーはしゃじで食う」、いいよな。
お次は九代目桂文治の『今戸焼』。待ってました、留さん。高校の時ラジオで聞いて腹抱えて笑ったなあ。
ここらで渋く八代目三笑亭可楽。ネタは『反魂香』。こういうタイプの落語家って、今存在しないよな。
漫才はリーガル千太・万吉。柳家梧楼、禄朗という元落語家の二人。東京漫才の元祖と言われた人たちです。
三代目桂三木助は『崇徳院』にしよう。『へっつい幽霊』もいいけど、こっちの方が軽くていい。
そろそろ新作が欲しいな。初代爆笑王、三遊亭歌笑、『純情詩集』といこう。歌笑が急死したのが昭和25年5月。三木助襲名が4月。奇跡の共演だな。
そして、ご存知、柳家三亀松。ねっとりとした色っぽい都々逸を堪能しよう。
六代目三遊亭圓生登場。芸術祭受賞作品『首提灯』と思ったけど、底抜けに楽しい『百川』がいいな。百兵衛さんの「うひぇっ」が絶品。
仲トリは五代目古今亭志ん生。人形町末廣ということで『二階ぞめき』を聴きたい。
クイツキは三代目春風亭柳好。極め付けの『野ざらし』。
六代目春風亭柳橋先生。『小言幸兵衛』は讃美歌が入るんじゃなかったかな。睦会時代、高座から転げ落ちるのが売り物だった『湯屋番』もいいな。
三代目三遊亭金馬は『居酒屋』だなあ。うちの親父の世代は、落語家といえば、文楽・志ん生よりも、柳橋・金馬だったらしいぞ。
膝代わりはアダチ龍光の手品。
トリは八代目桂文楽。トリネタは志ん生や圓生の方が豊富だが、ここは私の「ゆめの寄席」。トリは黒門町をおいて他にいない。『明烏』、『素人鰻』、『富久』、『厩火事』、『寝床』…。迷うなあ。ここはもう季節だな。春から初夏といえば『愛宕山』。これで決まり。いきなり春の野山に連れて行ってくれる文楽演出がいい。
いやあ、これぞ自己満足の極み。楽しいなあ。またやろっと。
安藤鶴夫、『わたしの寄席』のカバーより、人形町末廣。

2013年4月22日月曜日

傾向と対策

最近、ちょっとばかり発達障害について勉強している。
本を読んでいると、何だか他人事には思えない。どうやら、小さい頃の自分も発達障害児だったのではないかと思われてくるのだ。
特に小学校の1年生の時はひどかったらしい。担任の先生との相性もあったのだろうが、毎日のように先生から電話が来たというのだな。「すぐに飽きる」「片付けができない」果ては、「これからどう成長するか不安だ」まで言われた。
よく泣いた覚えはある。とにかくこだわりが強く、向こうが謝るまで泣いて騒いだ。今思えば、あれがパニックだったんだろうな。
確かに記憶力はあり、大福さんの言うように、他の人にも「昔のことをよく覚えているね」としょっちゅう言われる。でも、これ、アスペルガー症候群の典型的傾向なんだよね。
また、言葉を額面通り受け止める、言葉の奥に潜ませた真意を理解できない、なんていう傾向もあって、妻からは「ちゃんと言われないと分かんないよね」と注意されたりもする。人の気持ちを読む、なんてのも苦手だ。
今の性格は、そういう生来の傾向に修正を重ねた、かなり後天的なものだ。生来の性格で生きていくのは、幼いながらけっこうしんどかったのだろう。大学の頃はまだまだ生のままで、一人暮らしで歯止めもなかったから、周りには大分迷惑をかけたと思う。
意識して意識して作っていったのが今の自分だ。それだけに、油断すると地金が出て失敗して、落ち込んだりもする。
妻にも言われたけど、そういう傾向と付き合いながら、好きな仕事に就き、結婚して子どもも出来て…。よくやってる、頑張ってるよな。
相変わらずへまもやるし、自己評価も低いけど、何とかやっていくしかないな。自分のことはともかく、妻や子のためにね。無様でもカッコ悪くてもいい、小っちゃな幸せだけど守っていくさ。
これも関係ない写真だけど。名言揃いの看板ですな。

2013年4月17日水曜日

ゆめの寄席 プロの落語家編

大福さんの「ゆめの寄席」に倣って、私もやってみよう。
まずはプロの落語家編。
場所は新宿末広亭。学生時代のホームグランドだ。

サラは桂小南『転失気』。この噺をこんなに面白く演る人は他にいない。言葉で笑わせるのではない。人間を描くことで自然に笑いが来るんだな。
先代春風亭柳好『道具屋』。与太郎といえばこの人。いいよお。
三笑亭夢楽『三人旅』。師匠(私の学生時代の師匠でした。)のスケールの大きさは大陸仕込み。何といっても自称北京大学出身だもんね。こういう旅の噺はニンに合ってると思います。
この辺で漫才をいれよう。ふじゆきえ・はなこのお二人。きれいな高座だったなあ。
先代橘家圓蔵師匠登場。この方も学生時代の師匠でした。ネタは『紀州』。世相を愚痴りながらの地噺に屈折した面白さがあるのよ。
先代三遊亭圓遊はご陽気に『野ざらし』といこう。軽くて明るくて、大好き。幇間で鍛えた喉で思う存分唄ってほしい。
波多野栄一の百面相。画用紙で小道具を作ってんだぜ。すごいだろ。バカバカしくっていいぞ。
先代柳家小さんの『長短』。こういう友達同士がじゃれ合っているような噺が絶品。その中で、饅頭やら煙草やら、小さんの仕草が堪能できるネタをチョイスしました。
そして、先代春風亭柳朝『蛙茶番』。『啞の釣り』もいいけど、後の柳朝が病気に倒れた様子を連想させるのがちょっとつらい。この噺は、柳朝の暴れん坊ぶりが存分に味わえるぞ。『宿屋の仇討』もいいか。
ここで仲入りとしましょう。
クイツキは立川談志。時事漫談から『反対俥』。寄席の談志を楽しもう。
お次は古今亭志ん朝。こちらも寄席の志ん朝だな。『鰻屋』『強情灸』『欠伸指南』てとこもいいが、ここは私がいちばん好きな『風呂敷』が聴きたい。
柳家紫朝の粋曲。こういう芸が今の寄席にはないよなあ。
その後は、先代雷門助六に軽く小噺でも演ってもらって、『あやつり』を踊っていただこう。
膝替わりは東富士夫の曲芸。樽を足で回すやつ。もちろん今、こういう芸をやる人はいない。
トリは先代金原亭馬生。酒の噺がいいよなあ。やっぱり『うどんや』だなあ。『もう半分』も好きだけど、いい気持ちになって帰りたいもんね。

2013年4月15日月曜日

てんびんばかり

故河島英五の初期の作品で、『てんびんばかり』という曲がある。
タイプとしては、吉田拓郎の『イメージの唄』とか三上寛の『夢は夜ひらく』みたいな感じ。
私は高校の時聴いて衝撃を受けた。
「母親が赤ん坊を殺しても仕方のなかった時代なんて悲しいね/母親が赤ん坊を殺したらきちがいと呼ばれる今は平和なとき」なんてフレーズにしびれたな。
この歌は、英五の「てんびんばかりは重たい方に傾くに決まっているじゃないか/どちらももう一方より重たいくせにどちらへも傾かないなんておかしいよ」という絶叫で終わる。

そうだな、両極にある両方重いものを抱え、私たちはバランスを取りながら生きている。てんびんばかりのように。
バランスを崩しそうになると、私は支点をずらしてバランスを保つ。
支点とは自分のことだ。状況に自分を合わせ、バランスを保つ。
若いうちは違ったな。自分にこだわっていた。「おれはおれだ」「これがおれだ」「おれのスタイルは変えない」…。うっとうしいな。
自我なんて相対的なものだ。私はいつかそんな風に思うようになった。
そして、それは私を幾分自由にしてくれた。
それは、妻や子や、自分より大切なものができたことと無関係ではあるまい。
ただ、その支点にも重みはかかる。それを時にはしんどく感じることもある。

そんなことを考えていたら、村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の最後の方に、同じような述懐が出てきた。今回のは、個人的に身につまされる話だったな。
オーケー多崎つくる君、おれも頑張るよ。

今のところ割と頑張ってバランスを取っているけど、そのうち、私の芸名のように風に柳といけるかなあ。
あんまり関係ないけど、息子が撮ったEテレ「0655」のたなくじ。



2013年4月9日火曜日

懐かしい店 


学生時代は、友達のアパートを泊まり歩いていた、という話を以前書いたことがある。
そういう時は、たいてい晩飯を食べてから襲撃していたので、駅ごとによく行く店ができた。
今回は、思い出すままに懐かしい店を挙げてみる。
まずは、大学のホームグラウンド、向ヶ丘遊園。
北口では、駅の真ん前にあった、じいさん一人でやってたカウンターの店。ここではかき揚げの天丼と牛丼をよく食べた。色が濃かった記憶がある。さして旨いというほどではなかったが、時折ああいうものを食べたくなる。
駅を背にしてしばらく歩くと、店名は忘れたが、生姜焼き定食をよく食べた定食屋があった。ここの生姜焼きは、ポークソテーみたいな厚い肉を使っていて旨かった。
南口ではじょんじょこ。以前、ブログで写真を載せた。ここではカツ丼をよく食べた。味はそれほど印象に残っていないが、当時、この店名の由来は何だろうと思いながら、カツ丼を食べていたっけ。
それから、カレーのインドール。ここは今もある。10倍から100倍までの辛さがあって、100倍を完食すると、店内に写真を貼ってくれる。私はいつも中辛だったな。ここのカレーは旨いよ。
和泉多摩川では大龍。小文治さんや小柳さんがバイトしてたので、うまくいけば奢ってもらえたのだ。もやしを炒めたのが大量に載った味噌ラーメンが旨かった。ここの焼きそばは、ソース焼きそばや餡がかかったやつではなくて、辛味噌のようなものがかかってた。ここは火事で焼けたんじゃなかったかなあ。
狛江の駅前には東秀という中華のチェーン店があった。ここでは餃子ライスや麻婆丼をよく食べた。
狛江にはじいさんがやってた喜楽という中華屋があった。中華屋だが、私たちはここではサバの塩焼き定食をよく食べた。脂がのって旨かった。焼肉定食を頼むと何か秘伝のタレっぽいので焼いてくれるんだが、あまり旨かった記憶がない。そんなこんなでサバばかり食べてた気がする。悟空君が、ここのサバ塩が好きだったな。
喜多見では新華という中華屋。ここはおそろしく盛りがよかった。肉ニラ卵炒め定食なんか、もう絶品。ご主人が、当時の横浜大洋ホエールズの4番打者、田代選手そっくりで、喜多見に住んでいた岐阜T君はここを「田代の店」と呼んでいた。
祖師ヶ谷大蔵はキッチン欅。ここの日替わり定食は、安くて旨い。ここは小柳さんに教えていただいた。
キッチン欅のすぐ側には、熊本ラーメンもっこすがあった。八海君はここのチャーハンが大好きだったな。チャーハンに付いてくるスープは白濁した豚骨スープだった。
経堂は「ちぐさ」っていったかな、これも中華屋だ。中華屋だが、ここではカツ丼をよく食べたな。確か350円でカツ丼が食えたのだ。ありきたりなカツ丼だけど、冷奴と醤油味の中華スープが付いてきたのを覚えている。家族経営の店で、いつも中で子どもが遊んでいたっけな。
こういう所で飯を食ってから、友達のアパートで酒飲んでたんだから、私の胃も丈夫だったんだねえ。

大福さんへ。確か物置に追ん出し寄席と三年の会のテープがあったと思うので、週末にでも探してみるね。自分で聴くといかにも拙く、がっかりさせると思うけど。まあ気長に待っていてください。

2013年4月7日日曜日

ワイエスを見に行く


この間、水戸の県立近代美術館でアンドリュー・ワイエス展をやっていたので、見に行った。
アメリカンリアリズムを代表する画家で、人気も高い。私も画集を1冊持っており、好きな画家の一人だ。
今回の展示は「オルソンの家」を描いた、水彩画や素描である。この「オルソンの家」シリーズから、彼の代表作「クリスティーナの世界」は生まれた。
やはり本物はいいなあ。ワイエスの筆遣い、精密なデッサンを直に見ることができる。
ワイエスの絵には写実だけではない、省略があり抽象がある。対象に対する深い愛があり、死に似た静けさがある。
モチーフも白い大きな古い家だけではない。玄関先の気圧計、卵の計量器、秤の皿、穀物袋、乾燥中の豆、ブルーベリー用のくま手、かもめの死骸を吊るした案山子など、その家にある全てのものに及ぶ。そして、その家に住む、足の不自由な姉とその面倒を見る弟。このシリーズは約30年間描き続けられ、姉弟の死とともに終了した。
1時間ほど見て、館内のカフェでコーヒーを飲みながら休憩。もう一度、見る。
圧倒的な展示内容。充実の2時間。
満開の千波湖畔の桜を見ながら帰る。
ここんとこ忙しく、くさくさしてたけど、いい気晴らしになりました。たまにはこういう時間は必要ですな。

2013年4月5日金曜日

鉾田を歩く

先日、ちょっとだけ鉾田の街を歩く。
上の写真は鹿島鉄道鉾田駅跡。震災でホームが崩れてしまった。
街中は空き地が目立つ。震災で傷ついた建物が取り壊され、そのままの所が多いのだ。
市街地の多くは、かつて北浦北部の湿地だった所を埋め立てたらしく、地盤が弱いみたい。
ただでさえ寂れていた街が、余計寂しくなっちゃったなあ。

今は営業をやめた映画館。普段はポルノ、夏休みなんかには子ども向け映画を上映してた。
最後の興業は、仮面ライダーだった。
ちなみに私はここで映画を観たことはない。
牛乳屋さん。これも既に役目は終えている。
黄色い建物はGパン屋さん。元気に営業中。よく見ると傾いてる。
がんばろう鉾田。
台地の上から市街地を望む。

2013年4月3日水曜日

旅のシメはつけめん

宮島から帰った夜は、広島に住む落研の同輩弥っ太君と飲む。
弥っ太君は奇遇にも義妹と同じ区に住んでいるのだ。
八丁堀の北海道料理屋、バーをはしご。ちょっとお姉ちゃんのいる店はどうだ、なんて言って探したけど、結局、雑居ビルの中の小料理屋で飲む。茶碗蒸しが旨かった。
前に来た時は、シメに天下一品のラーメンを食べたが、もうそんな若さはなかったな。
旨い酒が飲めるよう、お互い体を大事にしような。
翌日はもう帰り。早いね。2泊3日なんてあっという間だ。
ホテルから路面電車に乗って、広島駅へ。子どもたちは路面電車に乗れて大喜びだった。
広島駅でお土産を買い、義妹たちと合流。昼食につけめんを食べる。
1時過ぎの、のぞみで帰る。
楽しかったな。また行こう。
子どもたちは帰ってからも、広島の絵を描いて遊んでいたよ。

広島駅の路面電車。
広島駅のお土産屋。カープグッズが充実しています。上に下がっているのは、菓子博のキャラクター。
昼食のつけめん。さっぱりして旨い。これも次男はぺろっと食べた。