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2024年1月28日日曜日

久し振りの石岡散歩

朝、トースト、コーンスープ、チキンナゲット、スクランブルエッグ。

先日、妻が熱を出したと言ったけど、実はコロナだった。療養期間を終え、やっと昨日仕事に行ったのだった。

午前中、久し振りに石岡の街を歩く。

能登の地震では古い日本家屋が倒壊し、多くの犠牲者が出た。古い街並みもどんどんなくなっていくのだと思う。それも仕方のないことなのだ。

石岡の街並みを撮る。オリンパス・ペンを持っていったのだが、この前の旅行でバッテリー切れ。スマホを使った。スマホのカメラもなかなか撮り味がある。便利な時代になったな。

まずは金比羅様から。

クロンボは外せない。



石岡の街中では唯一の酒蔵、府中誉。


タイルに赤い格子。

石岡版「忠犬ハチ公」が映画化された。私はこの犬をこの目で見ております。











バードランドがひっそり閉店したと、馬笑さんからお聞きした。忘年会帰りに「カンパリソーダとフライドポテト」をキメたのが最後になったか。私たちの青春の店がなくなったのは寂しいが、長年楽しませていただいたことにを深く感謝したい。マスター、ママ、お疲れさまでした。


モリコービルを撮っていたら、若いお兄さんに「このビルの1階、貸物件ですけど、どうですか?」と声を掛けられた。私が物心ついた頃には既にあったから、少なくとも築60年ぐらいはなっている。「壊すのもったいないから使ってほしいんですよ」とのこと。まあ私は無理だけど、石岡の街のためにも誰か手を挙げて欲しい。


昼は妻のリクエストでちゃんぽん。旨し。

午後は灯油を買いに行ったりゴミ収集所の掃除をしたり。

皆で「世界の果てまでイッテQ」の録画を見る。

おやつに妻の快気祝いで生クリームどら焼き。

夕方ビールにヱビスを飲む。旨し。

夕食はおでんで燗酒。こんにゃくを温め、高山T君にもらった味噌ダレ「つけてみそたべてみそ」をかけて食べる。旨し。食後にボウモア。

この前、正楽の作品を1枚ももらっていない、と書いた。実は一楽を名乗っていた頃の彼の作品をもらったことを思い出した。学生の頃、新宿末広亭で2年先輩の梅之助さんが「藤娘」を注文したのを、「伝助、お前にやるよ」と言ってくださったのだ。その藤娘は後に自分の「真打ノート」に貼った。紙切りでもらったのは、他には大須演芸場で大東両にきってもらった「イチロー」だ。こちらはスケッチブックに貼った。考えてみると、両方お宝だが、今はどこにあるのか分からない。

2024年1月27日土曜日

クルマドの風景 みほ落語会

朝、御飯、味噌汁、ベーコンエッグ、納豆。

みほ落語会。クルマドの風景を撮りながら行く。クルマドは同じルートでも、止まるタイミング、季節、天候で全然違う。まさに一期一会。荒木経惟はえらい。・・・荒木も篠山紀信が死んで、さぞかしがっかりしているだろうな。




 昼はヨークベニマルのぶっかけそばと納豆巻き。

今日は『時そば』を演る。ちょっとマクラがくどかったかな。お客がいつもより多い。反応もよく楽しくできた。

クルマドの風景を撮りながら帰る。一日中いい天気。穏やかな休みだったな。



夕食はおでんで燗酒。八海山特別本醸造、旨し。食後に赤ワイン。寝しなにボウモア。

2024年1月26日金曜日

三代目林家正楽を悼む

三代目林家正楽の訃報を知る。

21日、自宅で倒れているところを家族が発見し、死亡が確認されたという。前々日まで寄席に出演していた。

当代一の紙切りの名人である。

白紙にハサミ一本で様々な形を切り抜く。下書きなし。その場で注文を受けて切る。切る形も人物や風景など多岐にわたる。

師匠先代正楽は埼玉県春日部の出身で訛りが強く噺家を諦め紙切りとなった。それだけに土の匂いのする素朴な味の高座だった。

それに対して当代は洒脱だった。飄々と高座に現れ、体を揺らしながら鮮やかに紙を切った。切った作品は黒い台紙に載せて見せるのがお約束だったが、正楽はオーバーヘッドプロジェクターで高座背面の板戸に映し出して見せるという新機軸を開発した。

「どうして体を揺らしているかというと、・・・揺らさずに切ると・・・暗くなります」

「何でも切ります。この間、何でも切りますと言うと、お客様が立って、ここまでお出でになって、おせんべいの袋を差し出し、『ここを切ってくれ』と言われたことがありました」

定番のギャグが懐かしい。 

注文の中には難題も多い(特に池袋演芸場・・・)。それでも紙切りの芸人さんは断ることはない。いつか、朝ドラのタイトルを注文した客がいた。正楽はこのドラマを知らなかったようで、思案した挙句、テレビを見る家族の姿を切った。こういう引き出しを持っているのも、毎日寄席に出て様々な客と丁々発止の勝負をしているからなんだろう。

五代目小さんが存命中だったか、「柳家小さん」という注文が入った。正楽は小さんの横顔を切った。それは輪郭だけであったにもかかわらず誰が見ても小さんそのものであった。客席からため息が漏れ、私もすげえなと思った。

師匠の二代目が落語家からの転向であったのに対し、三代目は紙切り一筋の高座人生だった。小正楽から三代目正楽を襲名した時は、東京の定席4軒で披露目を行いトリをとった。色物の芸人が定席でトリをとるのは異例のことで、まして紙切りでは後にも先にもこの三代目林家正楽しかいない。

紙切りの第一人者として数々の賞を受けたが、一貫して寄席をホームグラウンドにしてきた。高座では矢継ぎ早に注文が殺到し、私なんか注文する隙などなかった。一枚も彼の作品はもらっていない。それでもいいや。あの高座姿はありありと目に浮かぶ。長い間楽しませていただいたことを感謝したい。

享年76歳。あまりにも急だった。合掌。ご冥福をお祈り申し上げます。


2024年1月21日日曜日

外は冬の雨まだやまぬこの胸を濡らすように

朝、御飯、チキンナゲット、スクランブルエッグ、海苔、昨夜の残りの鍋を汁代わりにして食べる。

朝イチで洗濯機が壊れる。妻と車で次男を教習所に送って、そのままコインランドリーへ行く。

朝から雨。コーヒーを飲みながら、マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンクを聴く。林静一のマンガなんかを引っ張り出して拾い読む。


次男が無事、卒検合格。今日いちばんの明るいニュースだったな。

昨日から風邪を引いたと言っていた妻の具合が悪くなる。熱が出たというので布団を敷いて寝てもらった。

あれこれと用を済ます。

夕方、YouTubeで志ん朝の『時そば』を聴く。マクラで「毛と歯とどっち取る?」なんて言っているので年を取ってからの録音だな。軽く演っているけど、いいなあ。志ん朝は蕎麦っ食いでもある。

夕食は父が刺身と唐揚げを買って来る。それでもって「霧筑波初しぼり」。刺身で飲みたかったのか。今日で飲み切る。旨し。

YouTubeで小三治の『時そば』を聴く。小三治は晩年、フラと間でやっていたけど、若い頃はリズムとテンポで持っていく。そういや、五代目小さんの若いうちも、ぽんぽんゴムまりが跳ねるようだった。

先日の『芝浜』、この前の稽古の時に梅八さんが「サゲ際、芝居に傾いたな。ちょっと落語からは離れた」と言ってくださった。なるほど。体力、気力、知力は下り坂だが、落語にはまだ伸びしろがあるな。六十代なんて鼻垂れ小僧だ。頑張ろう。

雨は夕方まで降り続き、その後は強い風が吹いた。夜遅くなって風もやむ。今日は色々あったなあ。

 

2024年1月20日土曜日

曇天、猫が膝にのる

朝、御飯、味噌汁、魚肉ソーセージ卵炒め。御飯には鰻のタレをかけて食べる。

『ブギウギ』を観ながらコーヒーを飲む。妻は仕事に行く。

色んな意味を込めて、モーツァルトの『レクイエム』をかける。

灯油を買いに行く。

昼はチリトマトヌードル。息子たちは、限定「シーフードニャードル」を食べる。

一日中曇り空で寒い。猫がずーっと膝の上にいる。


YouTubeで六代目春風亭柳橋と柳家喬太郎の『時そば』を聴く。

柳橋先生、大人の風格、いいなあ。喬太郎はまさに「喬太郎ワールド」だが、さすが柳家、仕草が上手い。

同級生が死んだりすると気持ちが沈む。自分もまた人生の坂を下っているのだ、と実感させられる。できることといえば、せいぜい下りを緩やかにするだけで、身体も気力も能力も、もう上昇することはないんだな、と思う。そして、世界もこの国の社会も、これからよくなることがないのではないか、とも思っているところに震災まで起きてしまった。

小泉今日子の「大人の歌」の中に「夜見る夢が夢だけになり」というフレーズがあったように、今さら「将来の夢」など持てそうにない。

でもさ、と思う。おれはまだここでこうしている。だったら、今この時を大切に味わわなきゃな。そうでもなきゃ、今この時がもったいない。

揺れ動いたり沈んだりするけど、おれはおれで今この時を生きるしかないな。極めて凡庸な結論だけど。なあ、豆ちゃん。


夕食は白菜と豚バラのミルフィーユ鍋、モツ炒めで「霧筑波初しぼり」。旨し。

食後に赤ワイン。寝しなにボウモア。

 

2024年1月14日日曜日

土日の日記 

昨日の日記。

朝。パン、コーンスープ、チキンナゲット、スクランブルエッグ。

N君、S君とともに、高校の同級生だったK君の弔問に行く。

若い頃、集っては酒ばかり飲んで、バカなことばかり話した仲だ。結婚してからはお互いの生活のあれこれにかまけて会うこともなくなった。N君の結婚式で会って以来、K君がどこで何をしているかも分からなかった。

それが今月の2日、息子たちを連れて村松虚空蔵尊に行った時、突然S君からLINEが来て、K君の死を知らされた。特にK君と交流のあった、この三人で弔問に行こうという話になっていたのだ。

N君が運転する車で、K君の終の棲家になった龍ヶ崎市のマンションに行く。マンションではK君の奥さんが出迎えてくれた。彼女も昔の顔なじみである。娘さんが三人いるが、皆独立して、これからは一人暮らしだという。


お線香をあげ、K君の遺影を見る。いくらか若い時の写真なのだろう。いつものとぼけたK君の顔がそこにあった。

奥さんから詳しい話を聞く。がんの手術をした後、パーキンソン病になって、どんどん体の自由が利かなくなり、やがて認知症も出た。昨年の暮れ、29日に亡くなったという。その間、ずっと奥さんが介護してきた。そんな話を彼女は明るく話してくれた。

K君は奔放だったから、奥さんも大分苦労したらしい。昔話に花が咲く。困ったエピソードでも笑ってしまうのは、K君の人徳なんだろう。

昼どきになったので、私たちはマンションを辞した。駐車場まで歩く。穏やかな冬晴れ。



土浦のゆきむらで昼飯を食べて帰る。

午後から耳鼻科へ行く。この前風邪を引いて以来、鼻が詰まって苦しいのだ。また副鼻腔炎が出たらしい。しこたま薬をもらって帰る。夕方、雪がちらつく。

夕食は天ぷら、とろろで燗酒。眠くて眠くて早めに寝た。


今日の日記。

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ、スクランブルエッグ、ハゼの佃煮。

いい天気。布団を干す。灯油を買いに行く。

昼は雑煮。妻が作る雑煮は鶏肉入り。旨し。

午後は録画していた番組を皆で見る。

夕食は、御飯、鮭のちゃんちゃん焼き、たこ焼き。

今日は何もしなかったな―。

2024年1月11日木曜日

高山T君に会いに行く⑧ 一宮市街を歩く

真清田神社にお参りし、いよいよ一宮の街を歩く。

真清田神社の鳥居正面から道を渡って真っ直ぐ行くとアーケードが続く商店街がある。

多治見よりもきれいで大きい。写欲がそそられなかったんだろうな、アーケード全景を写した写真はない。それよりもシブい建物に夢中になっていたようだ。

さすが尾張地方の中核市、繊維産業の一大中心地だ。見応えのある街並みである。

T君イチオシ、真清田神社脇のウバ車(乳母車?)店。独特のフォント。


アーケードは建物が目立たなくなるんだよなあ。

その中で見事な存在感を放つこの一店。

80'sのお店。

アーケードが終わると一宮の象徴、ルボテンサンがある。
かつてはファッションビルとして栄えていたという。

お向かいのビルも味があるねえ。

1階はこんな感じ。

呉服屋さんの店構えはいい。

この並びもシブい。

こういう所で一杯やるのもいいね。


見事な配色。

マル秘、スッポンラーメンですぞ。



伊藤ウバ車店、別角度から。

真清田神社脇。かつては全部お店が入っていたんだろう。

1時間余りほっつき歩く。少々疲れた。

喫茶店でコーヒーでも飲んで締めよう、ということでT君推しの喫茶店に向かう。

車で10分ほどの所にあるアリス・カフェ・アンド・バー。


この店は、何と夜9時までモーニングサービスをやっているという。それを「モーニング」と呼んでいいかは意見が分かれるところだろうけれど。

そのせいか、客は多い。ちょっとだけ並ぶ。だけど、こちとら、昼にスパゲティーナポリタンと飯を食っているのである。まだ腹は減っていない。それでもT君はホットドッグを食うという。健啖家だなあ。私は弱気にチョコレートケーキをオーダー。

これで500円でお釣りがくる。本場のモーニングはすごいねえ。

店を出ると向かいに猿田彦神社があった。


ちょうど庚申の日に当たっており、氏子さんたちが集まっていた。

今はコロナの騒ぎで中断しているが、うちの方でも庚申講があり、その日は当番の家に集まって、猿田彦の神の掛け軸の前で飲み食いをしていた。

さて、楽しかった旅もそろそろ終わり。T君に名鉄一宮駅まで送ってもらう。駅前のロータリーで車を降りる。降り際に岐阜県の銘酒「三千盛」他の入った紙袋をくれた。

「電車の中で飲めるように紙コップをつけておいたよ」

おお、ありがとう。また会おう。元気でいてくれ。

T君の車を見送って、切符売り場へ向かう。


名鉄百貨店一宮店は閉店か。ちょっとばかり哀愁を感じる旅の終わりだった。