大福さんのブログを読んで、森田童子のことについて書きたくなった。
森田童子を知ったのは、高校生の時だ。友川かずきがディスクジョッキーをしていた「若いこだま」というラジオ番組で『さよならぼくのともだち』を聴いたのだと思う。(私はこの番組で、三上寛、なぎらけんいち、ジャニス・ジョプリンなどを知った。)甲高い繊細なその声を聴いて、私はケイト・ブッシュみたいだと思ったのを憶えている。
石岡のレコード屋で、童子のデビューアルバム『グッドバイ』を見つけて買った。ジャケットの彼女は、もじゃもじゃのカーリーヘアに丸いサングラスをかけ、革ジャンを羽織っていた。まるで少年のような容貌で、「ぼく」と「きみ」の歌を歌う童子は、性を超越した存在に思えた。
保育園から高校まで一緒だったH君から『マザースカイ』と『ア・ボーイ』の2枚のアルバムをダビングしてもらった。私はこの3本のテープを持って、川崎のアパートに引っ越していった。
特に『マザースカイ』は好きだったな。1曲目の『ぼくたちの失敗』からラストの『今日は奇蹟の朝です』まで、緊密な統一感にあふれた、まさにトータルアルバムと呼ぶべきものだった。
1980年に出た『ラストワルツ』。これも買ったが、これを川崎の四畳半で聴いていると、我ながらやばいと思った。このままいったらまずいよなあと、『たとえばぼくが死んだら』を聴きながら思ったものだ。
そういえば、昔聴いた、なぎらけんいちのライブアルバムで、なぎらがこんなことを言っていた。
山崎ハコの歌を聴いていると、条件反射的に暗くなって死にたくなる。そこで『パブロフのハコ』という歌を作った。
ハコも暗いが、森田童子は超弩級に暗い。以前ツアーで一緒に回った時があった。ある街で、宿で打ち上げをやったが、そのうち外に出ようということになった。童子も誘ったが行かないという。そこで「じゃあそこにいて」と言って皆で出かけた。
2、3時間して帰ってくると、童子は出かけるときと寸分たがわぬ姿勢で同じ場所に座っていた。
深入りすると危険だという雰囲気と、深入りせずにはいられない魅力が森田童子にはあった。(ラストアルバムとなった『狼少年』も、私はしっかり買った。)
大福さんも書いていたが、ドラマ『高校教師』での森田童子ブームには違和感を覚えたな。あの時発売されたベスト盤は90万枚以上売れたという。当時は意地でも買わなかったけど、今思えば、90万人の人が童子の歌に心を揺さぶられたということなのだな。
あのブームでも、森田童子は表に出なかった。新聞記者の取材には、「今は普通の主婦なのでそっとしておいてほしい」と言ったという。
現在、森田童子と道ですれちがっても誰も彼女とは気がつくまい。しかし、カムバックしないということは、今の生活が彼女の守りたい幸せなのだろう。
そうか、あの森田童子が主婦か。よかったなあ。彼女が平凡な幸せを手に入れたことは、私にとってもささやかな希望に思えてくる。
森田童子、間もなく60歳に手が届くはずである。
4 件のコメント:
彼女の歌が一部の敏感過ぎる人達の、生きようかなそれとも死のうかなという、危うい紙一重の精神状態にあるところを、死んじゃいなよこっちへおいでよと死のスイッチを押させたのは負の一面として事実。
森田童子は手放しで称賛出来ない、ある意味自殺誘発ソングで何人も自殺に追いやった批判も加えられるべき人物。あれだけ死ぬだの死にたいだの死を甘美に唄った自殺誘発ソングの旗手森田童子が平凡に幸せに生きてるのはなんたる皮肉。
森田童子を検索していて、このブログにたどり着きました。
あの世界観は唯一無二ですね。
それにしても彼女の歌が自殺誘発ソングとは。
僕は彼女の歌に生きることの意味を聴きました。
わたしも生きる意味を感じています。
自殺誘発ソングだなんて、浅すぎる。
童子の歌に救われた人もいっぱいいる。
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