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2012年6月4日月曜日

昨日今日明日

時間とは連続性のものである。
昨日の次は今日、今日の次は明日というように、その流れは自然でよどみない。
しかし、その連続性が、時に分断されるということも、私たちは知っている。
例えば、2011年3月11日の前と後。あの日以降、私たちは放射能の存在に常につきまとわれ、それは一生消えることはないだろう。
そして、私にとって2012年5月30日もそんな日になりそうだ。集中治療室のベッドに横たわり、きちんとした言葉を発せないいらだたしさに顔をしかめる母の姿を見ていると改めてそう思う。
正確に言えば、どのような事態になっても時間はよどみなく流れている。よどみなく流れないのは人の心だ。そして、今の状況も極めて個人的なものだということも自覚している。
また、私ぐらいの年齢になれば、親が健在でいる方がラッキーなグループに入っていることくらいのことも分かる。しかし、それがこうなって初めて思い知らされた。その感情にうまく適応できない。
この出来事をあれこれと考えて、文章に置き換え、抽象化、相対化しようとどんなに試みても、無理だな。この数十分でやっとそこにたどり着いた。
まあいいや。自分にとっては非日常だが、それもやがて日常になる。日常とは向き合わなきゃな。
皆、一度は通る道だ。皆、そうやって生きてきたんだよな。おれも頑張ろう。

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