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2012年6月7日木曜日

かしてつ追想


鹿島鉄道鉾田線。通称かしてつ。石岡から鉾田を結ぶ、ローカル私鉄。廃線になって5年が過ぎた。
その昔は、鹿島参宮鉄道といったのだから、鹿島まで伸ばすつもりだったのだろう。
私が小さい頃は、関東鉄道鉾田線だった。後に関東鉄道が鹿島鉄道という子会社を設立してこの路線の経営に当たらせたのだ。
どう見ても儲かってはいなさそうだったし、通学や通勤に利用する機会はなかったが、いつも身近にあり、ずっとずっとそのまま存在していてくれるのだと思っていた。古いかわいらしい気動車が、筑波山をバックに霞ヶ浦沿いを走るのは、なかなかいい光景だった。
最初の危機は、自衛隊百里基地の燃料輸送がトラックに切り替えられた時だった。それまでは、榎本駅に燃料タンクがあり、そこからパイプラインでジェット燃料が送られていた。この燃料輸送がかしてつの大きな収入源だったのである。
かしてつ経営危機の報が流れると、近隣の高校生が「かしてつ応援団」を立ち上げ、存続運動を始める。このおかげで、かしてつはマスコミや鉄道マニアに注目されるようになった。様々な企画列車が運行され、イベントが行われた。
しかし、つくばエキスプレス開業のために、親会社の関東鉄道の高速バス事業が打撃を受ける。これが致命傷となって、かしてつの廃線は決まった。
自衛隊の燃料輸送、つくばエキスプレスの開業と、結局は国策の前にあっけなくかしてつは潰れた。
廃線決定後も、2つの団体が経営に名乗りを上げたのにもかかわらず、石岡市を中心とした地元自治体は、存続を断念した。この当時は平成の大合併が行われた頃で、自治体もかしてつのことなど十分に検討できる状況ではなかった。けっ、また国策だ。
写真は石岡駅、鹿島鉄道線区。今はもう更地になっている。

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