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2009年1月31日土曜日

はま寿司

雨、強風。大荒れの天気。
近所の床屋で散髪。ご主人と世間話。
家族で「はま寿司」で昼食。
あじ、づけまぐろ、ホッキ貝、豚カルビ、姿やりいか、穴子等。
一皿105円。安心してばくばく食べる。
下の息子は、イクラを4皿。
スーパーで買い物をして帰る。
家で「ドラえもんの日本旅行ゲーム」。
夕飯は鶏塩鍋、ラーメン入りで熱燗。
ミュージックフェアに岡林信康が出演。
いい具合に年取ってるなあ。定年間際の数学の先生みたい。
偉い人なのに、全然偉そうじゃない。相変わらずの軽妙洒脱なトーク。素晴らしい。
『君に捧げるラブソング』は圧巻でした。

2009年1月29日木曜日

志賀直哉『暗夜行路』

 これは、もしかしたら「性愛小説」なのではないか、とふと思った。
 前半のテーマは、主人公、時任謙作の生い立ちに関する疑惑。謙作は祖父と実母との不義の子だったということ。そして、後半は謙作の妻の従兄との間違い。人間の理性では御し切れない動物的な側面がえぐり出される。
 自分が祖父と母との子だったと知った時の衝撃は凄まじいものがあったろう。男にとって母親とは女性観を形作る重要なバックボーンである。その母親が不義を犯した。否応なく、母を女として意識せざるを得なくなる、聖母としての母親に動物の匂いを嗅がざるを得ない、そんな状況に時任謙作は追い込まれたのではないだろうか。
 その疑念のために、長年の間陥った父との不和。そこをやっと脱したと思ったら、最愛の妻が彼女の従兄と間違いを犯したことが発覚する。
 ここでも、人間のどうしようもない動物としての側面がのぞく。しかも、妻はその従兄弟と幼い頃、性的な遊戯を繰り返していた。その間違いの時も、妻は最初、激しく抵抗したものの最後はなすがままにされたらしい。夫としてはたまんないよな。
 謙作は理性でそれを納得させようとする。起きてしまったことは取り戻せない。妻も自責の念にかられている。許すしかないのは分かっている。でも、許せない。川崎長太郎は「他人の粘液が入った体を許せないのだ」と言う。身も蓋もないが、でも人間てそんなもんかもしれない。
 いくら人間が崇高な理念を持っていても、慎ましく貞淑であっても、駄目になるときは駄目になってしまう。地位もあり、守るべきものもある人が、いとも簡単に転落してしまう。それが性だな。人間のどうしようもない業、動物としての部分だな。
 そんな暗夜を私たちは行くのだ。危うい均衡を保ちながら。いつ奈落の底に落ちるとも限らない暗闇を。

2009年1月23日金曜日

少年期の桂文楽2

多勢商店で人気者になった益義だが、やがて芝居見物など夜遊びに夢中になる。
益義15の年。夜遊びで締め出しを食った彼は、そのまま京浜電車で東京へ帰ってしまう。
結局、店を辞めてしまうことになるが、主人はこんな益義に、今までの給金にボーナスを加えて届けてくれる。主人の人柄と、いかに益義が可愛がられていたかを示すエピソードだ。
その後、東京でいくつかの店に奉公するが、どれも長くは続かない。器用な質で、そのまま精進すればいい職人になったであろうものを、調子に乗って義理を欠いた仕事をしたりして続けられなくなってしまうのだ。
明治生まれの芸人の略歴を読むと、奉公をするがどこも長く続かず、転々と職を変えた末芸人になるといった例が多い。(最も甚だしいのが、文楽門下の七代目橘家円蔵である。)
色川武大は、文楽と志ん生を称して「普通人のはずれ者」と呼んだ。確かに、はずれ者に違いない。しかし、彼らが勤勉な商人や職人ではなかったおかげで、我々は得難い落語家を得ることが出来たのだ。
この転々とした時期に、益義は四代目橘家円喬を知る。
四代目橘家円喬。三遊亭円朝門下で、こと話術にかけては師匠を凌ぐと言われた不世出の名人である。後に、文楽・志ん生・円生という昭和の名人が、そろって円喬を「自分が聴いた中では最高の名人」として尊敬した。初代円右、三代目小さん、四代目円蔵、三代目円馬など錚々たる名人が居並ぶ中で、三人そろって円喬と言うところをみると、そのうまさは際立っていたのだろう。曰く、『鰍沢』で川の水音が聞こえた、曰く『金明竹』で二階から水が垂れる様子が見えた、等々まるで左甚五郎のような神業のごとき描写力が、昭和の名人の口から語られたものだった。ただ、円喬、人柄としては所謂「性狷介、自ら恃むことすこぶる厚く」といった人で人望はなかったらしい。嫌なやつだけどうまい、うまいけど嫌なやつだ、という評判がつきまとったというが、それを芸の力で圧倒していたのだろう。(タイプとしては六代目円生、あるいは当代談志か?)
益義は、多勢商店で「おしゃべり小僧」と言われていた頃、おかみさんから「どうしてお前のおっかさんは、お前を噺家にしなかったのだろう」と言われたという。その時、彼は落語に興味を持ってはいなかった。が、円喬を知ってから「自分は何者になるべきか」ということを心のどこかで意識し始めたのかもしれない。

2009年1月21日水曜日

佐藤多佳子『しゃべれども しゃべれども』

遅まきながら、『しゃべれども しゃべれども』を読む。映画にもなった有名な話だ。
芸の壁にぶち当たり、スランプ中の二つ目の噺家、今昔亭三つ葉が、ひょんなことから素人相手に落語を教えることになる。
この相手が一筋縄じゃいかない。吃音のテニスコーチで三つ葉のいとこでもある良。関西弁の小学生、村林。周囲の者に敵意むき出しの猫のような謎の女、十河。口下手で性格の悪い野球評論家、湯河原。どいつもこいつも他人とのコミュニケーションの取り方に問題を抱えている。
彼らと三つ葉とがぶつかり合いながら、お互いを理解していく過程が、甘酸っぱく、胸がちりちり痛い。
まず、今昔亭三つ葉がいい。古典落語に惚れ、師匠に惚れ、気持ちがまっすぐで、落語に正面から向き合うが故にスランプに陥る。そこを悩みながら、不器用に、でも逃げることなく壁に立ち向かっていく。たたずまいは古風だが、それでもしっかりと今時の若者に描かれている。(私のような田舎者には、人形町で生まれ、幼いうちから祖父に連れられ寄席に通う彼の生い立ちは、こと落語に関しては、特権階級に見えるけど。)
楽しいのは、三つ葉の師匠、今昔亭小三文とその弟弟子の草原亭白馬。小三文は柳家小三治、白馬は立川談志がモデルで間違いはないだろう。いかにも彼らがしゃべりそうな台詞が出てきて、おもわずにんまりしてしまう。リアリティーを持たせつつ、白馬を弟弟子とすることで、うまくフィクションとして処理している。
読んでいて、とても気持ちがいい。歯切れのいい、さわやかな語り口。見所もふんだんにある。
クライマックスは今昔亭の一門会における三つ葉の高座、それから、村林と十河による「東西『饅頭怖い』対決」だろうが、それに至るひとつひとつの場面が心に残る。いいなあ。
これは、優れた青春小説であり、芸道小説であり、恋愛小説だな、と思います。

2009年1月19日月曜日

温泉へ行く

この間の土曜日。
ここのところの寒さで、妻のしもやけがひどくなり、麻生温泉白帆の湯へ行く。
ここへは、毎年、冬場に2、3回は行っている。
まず、眺めがいいね。
眼前に広がる霞ヶ浦。遠くに筑波山が霞む。漁に出た舟が浮かぶ。つがいの鴨が泳ぐ。
上の息子とひとっ風呂浴びて、休憩室兼食堂でサイダーを飲みながら、妻と下の息子が上がってくるのを待つ。のんびりして居心地がいい。
四人で昼食。上の子はおでん。下の子はざるそば。妻はやきそばで私は牛丼。食休みをしながら、少しうとうとしてしまう。
子供たちが飽きてくると、もう一度湯に入りに行く。息子は泡風呂が面白いらしい。
風呂上がりのシメは、妻たちはアイスクリーム、私は牛乳の一気飲み。
ぽかぽかで帰る。車の中では兄弟二人、眠りこけておりました。
いい休みだったなあ。

2009年1月16日金曜日

島崎藤村『春』

中断していた島崎藤村の『春』をやっと読み終える。
教え子との実らぬ恋。敬愛する青木(北村透谷がモデル)の壮絶な自殺。没落する生家。長兄の受難。これから自分は何者となるかという苦悩。藤村の分身である岸本捨吉の精神的闘争の遍歴は、この後『家』、『新生』へと続いていくが、この『春』には若さ故の青臭さがある。
この人の小説を読むと、煮え切らない男の愚痴話を聞かされているようだ。読んでいて楽しくない。『春』の教え子への恋、『家』の生活苦、『新生』の姪との関係、どれもこれも自分で選んだものじゃないか、と言いたくなる。
食べ物に例えると不味い。苦悩に太宰治のような甘美な酔いはない。ただ、この不味さ、癖になる。本来、苦悩とは不味いもののはずだ。藤村はそこに甘い味付けをしない。不味いものを不味いまま出してくる。この不味さは本物だ。
父と姉は狂死した。父は実の妹と関係し、母は不義を働いた。不義の子である兄は放蕩の末廃人となった。名家の澱んだ血に搦め捕られるように、後に自らも姪と間違いを犯す。
身勝手なものを美化しない。身勝手なまま出してくる。その上で「自分のようなものでも何とか生きていたい」と居直る。見事だと思う。困難から目を背けても、逃げてでも、生きる。美しく死ぬことなんかしない。
自らの醜さに身悶え、生き恥をさらし、しかし、それすらも商売道具にしてしまうしたたかさ。島崎藤村の凄みはそこにある。
ふと、新潮文庫の出版リストを見ると『新生』がなくなっていた。相当問題のある内容だし、桂文楽の『按摩の炬燵』みたいな扱いをされているのかもしれないなあ。

2009年1月8日木曜日

初春 東京散歩

妻子を実家に置いて東京へ行く。
上野で降りて、御徒町まで歩く。
広小路亭の前を通り、風月堂の所から路地へ入る。
黒門町、八代目桂文楽の旧宅跡を見る。今は空き地。私が学生の頃には、まだ建物があったらしい。行っときゃよかった。
それから、湯島へ上る。湯島から神田明神。
聖橋を渡って、ニコライ堂下のカフェで休憩。コーヒーを飲みながら、『しゃべれども、しゃべれども』を読む。面白い。
神田駅まで歩き、電車で再び上野へ。
蓮玉庵で鳥南蛮そば。酒2本。しみじみと旨い。
鈴本演芸場、夜の部を観る。
小三治休演のためか、客の入りは薄い。
一琴『真田小僧』、小袁治『紀州』、小さん『替わり目』、小燕枝『手紙無筆』、藤兵衛『こり相撲』、さん喬『長短』、たい平『粗忽の釘』、扇橋『二人旅』、燕路『幇間腹』、金馬『七草』、〆治『松竹梅』。
扇橋の声量が大分落ちた。何言ってるか分からなかった。
初席で持ち時間は短いが、漫談は一つもなし。
権太楼が代バネ。『笠碁』。満足。
家に着いたのは11時ちょっと前。上野駅で買った鰺寿司で酒を飲む。

2009年1月7日水曜日

少年期の桂文楽

 益義7歳の年、父益功が赴任先の台湾でマラリアに罹って死んだ。
 この時から並河家の家運は傾き始める。根岸七不思議のうちに数えられた立派な門を持つ屋敷も、その半分を人に貸すことになった。
 益義は尋常小学校を3年で中退。そして、11歳で奉公にやられることになるのであるが、この体験は彼に大きな傷を残した。
 その日、益義少年は家の中で友だちを集めて戦ごっこに興じていた。日の暮れるのも忘れ、大暴れをしているところに、母いくが帰宅する。家運の衰微に鬱屈していた彼女は、ここで感情を爆発させる。1時間以上も益義を叱りつけ、母子ともども号泣しているところへ見知らぬ小父さんが訪ねてくる。いくは益義少年にこう言ったのである。
 「このひとに付いてお行き。お前は奉公に出るんだよ。」
 何が何だか分からないまま、益義は横浜まで連れて行かれ、多勢商店という薄荷問屋の丁稚となる。彼は三日三晩泣き通したという。
 多分当時としては珍しくないことだったろう。だが、幼い子どもにこのような体験は、今も昔もきついことには変わりない。益義少年の心には「捨てられた」という感覚が深く刻みつけられにちがいない。
 その後、天性の明るさと人なつっこさで「おしゃべり小僧」の異名を取り、益義は主人やお得意様に可愛がられるようになる。しかし、そこには「ここで見捨てられたら最後だ」という必死の思いはうかがえないだろうか。可愛がられることが、益義にとって唯一の生きる手段ではなかったか。
 後年、彼が三代目三遊亭圓馬にどんなに厳しくされてもすがりついていく様、五代目柳亭左楽に付き従う様の源流はここにあるのではないか。
 また、この母親に捨てられたという体験は、母性への思慕という形をとる。文楽は生涯5回の結婚をしているが、そのうちの初めの方の3回はどれも5、6歳年上の相手だった。