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2022年5月29日日曜日

何もしない休日

昨日の日記。

朝、御飯、味噌汁、目玉焼き、ウィンナーソーセージ、納豆。

妻は一日仕事。次男は文化祭の準備だと言って学校へ行く。

長男にコーヒーを淹れて、セロニアス・モンクを聴きながら飲む。

一週間分の新聞を見て、目ぼしい記事を切り抜く。

昼は、長男とラーメンを作って食べる。

長男は午後からバイトに行く。留守番。

辺見じゅん『大下弘 虹の生涯』読了。

夕食をカスミに買いに行く。ビールを飲みながら、夕食の支度をする。

夕食は、豚の味噌漬け、マカロニサラダ、イカの唐揚げ、冷奴、春雨炒めで酒。

食後に妻と缶のチューハイレモン。

風呂に入って、寝しなにアイリッシュウィスキー。


今日の日記。

朝、パン、牛乳、卵とウィンナーソーセージの炒めもの。

布団を干す。

昨日、図書館でもらってきた『いったい、この国はどうなってしまったのか!』(魚住昭・斎藤貴男)を読む。2003年の刊行。彼らが危惧したものが、今、まさに目の前で繰り広げられている。

昼はざるうどん。

次男と本屋。帰りにハートランドビールを買って来る。

妻と夕方ビール。

夕食は、父が買って来た刺身、天ぷらと妻が茹でたそら豆で酒。酒は、この間住職が持って来てくれた「酔鶴」。旨し。

今日は今年初の真夏日となった。




何もしない休日だったな。ゆっくりしたよ。

2022年5月27日金曜日

三代目林家九蔵襲名騒動からの、彦六批判記事を読んだ

前回の記事を書くのに参考にしようと、ネットで「正蔵 襲名問題」で検索したら、林家九蔵襲名問題の記事が続々と出てきた。

笑点メンバーの三遊亭好楽は、もとは八代目正蔵門下で九蔵を名乗っていた。師匠の死後に五代目圓楽門に移り、三遊亭好楽となった。

好楽は、2018年、弟子、好の助の真打昇進に際し、思い入れのある林家九蔵を襲名させようとする。八代目正蔵門下で、同じ笑点メンバーの林家木久扇の了承を得、九蔵襲名を公表し、配り物も用意した。そこで当代正蔵から待ったがかかった。林家を名乗るからには、林家の止め名である正蔵の承認が必要である、ということだ。正蔵及び海老名家との話し合いの結果、結局この襲名は実現しなかった。

八代目正蔵は、自分の名跡が一代限りの借り物であるところから、弟子が真打になる時には林家以外の亭号にした。惣領弟子に五代目春風亭柳朝を襲名させた時には、春風亭の総本山、六代目柳橋にきちんと了解を得ている。そう考えれば、好楽のやり方はいかにも脇が甘い。

 

この騒動で、彦六の八代目正蔵について、とばっちりのようなとんでもない記事が書かれていたのを見つけた。さすがに落語ファンは相手にしなかっただろうが、これを見つけた若い人に真に受けられても嫌なので、ここできちんと批判させていただく。

 

これはリアルライブというサイトに載った、「三代目・林家九蔵襲名騒動で噴出した海老名家「積年の怨念」」(週刊実話 2018.3.24)という記事である。

まずは、この記事では、正蔵側が九蔵襲名を許さなかった理由として、次の証言を挙げている。

 

「好楽の師匠で八代目・林家正蔵を一代限りで襲名した彦六さんへのわだかまりがあるんです」(事情を知る演芸関係者)

 

ここで言う八代目正蔵襲名のいきさつはこうだ。

 

「権力志向が強かった彦六さんは、五代目・柳家小さんの名を弟弟子の九代目・柳家小三治に取られたことから、当時、空き名跡だった林家正蔵を一代限りの約束で海老名家から譲ってもらったとの話が伝わっています」(ラジオ落語番組関係者)

 

さらっと「権力志向が強かった彦六さん」と書いているが、私たちが知る彦六ほど「権力志向」と程遠い人はいなかったと思う。何しろ、六代目圓生に請われるまま、香盤順を譲ったくらい。共産党支持者であったこともよく知られている。

次のエピソードはもっとすごい。

 

「九代目・正蔵が、懇意にしているビートたけしに、彦六さんが根岸の海老名家に来て、日本刀を突き付けて名跡を迫ったというエピソードを語ったことがある。彦六さんは浅草の稲荷町に住んでいたことで“稲荷町の師匠”として親しまれていましたが、一方で喧嘩っ早いことから“トンガリの師匠”と呼ばれていましたからね。かなり強引だったことは間違いない」(落語雑誌編集者)

 

実名を出してまことしやかに語っているが、真偽のほどは疑わしい。五代目小さん襲名の話を進めていた、八代目桂文楽を、馬楽だった彦六を贔屓にしていた山春という親分が、日本刀だかピストルだかで脅したという噂はあったが、彦六が海老名家に日本刀持って行ったなどという話は聞いたことがない。

まさか、あの謙虚な九代目が、こんなことを言うとは、にわかには信じられない。

「トンガリ」の解釈も間違っている。あれは「正義感が強く頑固一徹で周囲との摩擦を生みやすい」ということで、ただの「喧嘩っ早い」とは違うのだ。

襲名のいきさつは、前回紹介した『笑伝 林家三平』の記述とまるで違う。同じ海老名家目線であるにも関わらず、である。

 

「三平さんはテレビで大ブレークして落語界に貢献しましたが、彦六さんは、名跡を返して三平に正蔵を継がせるべきだという周囲の声に耳を貸さず、返上したのは三平さんが亡くなった後だった。三平さんの妻、香葉子さんは、そんな彦六さんをいまだ許していないんです」(噺家関係者)

 

「彦六さんは、名跡を返して三平に正蔵を継がせるべきだという周囲の声に耳を貸さず、」はひどいよなあ。

山本進の『図説 落語の歴史』の中のコラムでは「律儀で知られた正蔵は、生前弟子が真打になるとき、必ず林家以外の名跡を継がせることにしていた。また、三平が売り出してからは、何度か正蔵の名前を返そうとしたこともあるらしい」と書いてある。三平は、芸風が違うから、と言ってその申し出を辞退したと言われている。

 

証言は、皆、見事に「関係者」。名前を出して証言している人は一人もいない。ちょっと、この記事を書いた人と、その関係者を名乗る人、一人一人に会って真偽を確かめたい。もし、これが事実なら、私の中の八代目正蔵、彦六像が根底から覆されてしまうなあ。

2022年5月25日水曜日

先代遺族から見た八代目正蔵襲名

 かなり前だが「襲名考2」という記事を書いた。五代目柳家小さん襲名問題で、小さん襲名を争った蝶花楼馬楽に、小さんに匹敵する名前を、ということで八代目林家正蔵を襲名させた経緯を書いた。

私は、この二人の襲名を評価する者である。五代目小さんは名人三代目小さんを彷彿とさせる芸と人間の大きさで柳家の隆盛を築いた。八代目正蔵は、三遊一朝譲りの怪談噺、人情噺で、この名跡を本来の芸風に戻した。それはまさに天の配材と言っても過言ではないと私は思っている。

しかし、名跡を譲った七代目正蔵の遺族の視点も存在する。彼ら側の描写が、神津友好著『笑伝 林家三平』にある。それを引用しよう。

 

 世間的には一件落着の襲名騒動であったが、三平の父正蔵が亡くなってまだ一周忌にもならぬうちに、先代の門人でもなんでもない他人の馬楽が林家正蔵八代目を名乗る。

 襲名は借用で、一代限り。将来林家三平が正蔵を名乗るべきときにはいつにても返名するという一札が七代目未亡人、歌の手もとに差し出された。まず異様で強引な解決法だが、五代目小さん襲名をめぐっての争いを無事におさめるためには、他に手がなかった。

 落語界の、ときの長老五代目柳亭左楽までがのり出し、桂文楽と対立する馬楽、それを後押しする浅草の親分山春との間に入って、「まあ一つ、不服だろうが正蔵襲名で納得してもらいたい」「五代目(左楽)に頭を下げられたんじゃ、もう・・・」と頑固一徹の馬楽も折れた。

 そして、そのとばっちりが、身よりたよりもなく心細い母子二人暮らしの三平一家にふりかかり、正蔵の名を貸すことに否も応もなく、一門としての勢力もなく、財力もない足もとにつけこまれて、名跡をとりあげられてしまった。

(中略)

 一代を売った芸名は残された遺族の財産でもある。それを襲名する弟子なり縁故の芸人は、故人の一家なり未亡人なりの暮らしの立つようにしてゆく責任を負う。しかし一代限りの正蔵名跡借りは名前を貸しただけのことであった。

 

理屈から言えば、七代目正蔵襲名自体、協会の分裂騒動がもとで、柳家小三治を名乗る落語家が二人出来てしまい、先に小三治を名乗っていた方が、空き名跡だった林家正蔵を襲名した、といういきさつがある。七代目もやはり「先代の門人でもない他人」だった。八代目が正統な後継者でないとすれば、七代目も同じようなものではないかと、どうしても思ってしまう。

でも、人間は感情の生き物だ。七代目の遺族、海老名家の気持ちも分かる。私の考えとしては、名跡は落語界のもので家のものではないということに変わりはない。ただ、一方で、今まで私は海老名家に対しずいぶん厳しい見方をしていたのだな、という思いも新たにした。

前出の「襲名考2」という記事の中で、私は、三平の死後、八代目が名跡を返しに行った時、七代目夫人が「ずいぶん遅くなりました」と言ったというエピソードを引いた。以前何かで読んで強烈に記憶に残った言葉だったので、それを書くのにためらいはなかったが、最近、quinquinさんからのコメントで、七代目夫人が「こんなに大きな名前にしていただきまして、本当にありがとうございました」と言ったと、八代目正蔵(彦六)の娘さんが証言していることを知った。

私が引いたエピソードは第三者のもので、出典は今では思い出せない。どう考えても、彦六の娘さんの証言の方が事実に近いだろう。自分の不明を恥じたいと思う。

七代目夫人としてみれば、我が子三平が正蔵を襲名せずに逝ってしまった(三平自身が正蔵襲名を断っていたという話もある)失意の中で、言いたいことは山ほどあったろう。しかし、七代目正蔵の妻として、三平の母として、誠実に対応したい。「こんなに大きな名前にしていただきまして、本当にありがとうございました」という言葉は、そんな夫人の矜持が言わせたのだと思う。

そして、その言葉通り、襲名当時のわだかまりを越え、正蔵の名で芸術祭賞や紫綬褒章など数々の栄誉に輝いた八代目に、夫人が感謝の念を抱いていたとすれば、それもまた素晴らしいことである。

2022年5月22日日曜日

土日の日記

昨日の日記。

朝、御飯、味噌汁、ハムステーキ、納豆。

福の家一門の落語会に出演する。ネタは『猫の災難』。いいお客様。噺の中で、いい酒が飲めた。

夜は妻の女子会の送迎。夕食は御飯、味噌汁、冷しゃぶ、さつま揚げ。


今日の日記。

朝、トースト、牛乳、チキンナゲット。

先日、時計が止まってしまったので、つくばのQ’tへ行く。


昼は、インドカレーの店、サイノでランチ。

アイスチャイ。

ナンの下にはライスがある。

豆のカレー。

日替わりのカレー、トマトチキンカレー。

帰りに、山がきれいだったので、土浦市(旧新治村)大志戸で寄り道。




おやつに、お土産に買って来たドーナツを食べる。

夕方、お寺の住職が来て、父と一緒に飲む。父の昔話を住職と聞く。父の実家の先祖は平勝重という平家の武士だったという。忘れないうちに書いておく。


物置から『大下弘・虹の生涯』(辺見じゅん著)を持って来て読む。

2022年5月19日木曜日

土浦ラーメン

土浦ラーメン。川海老つけめん、950円。

霞ケ浦産天然川海老と土浦の老舗柴崎醤油のコラボレーション。




 霞ケ浦産川海老といえば、かつての土浦の名店、小櫻のエビマコ(川海老の卵)を使ったラーメンを思い出す。

こちらはエビマコこそないが、海老の香りと醤油のコクが絶妙のハーモニーを奏でる。旨し。

人気ナンバーワンの鶏白湯ラーメンも旨いよ。

2022年5月14日土曜日

涸沼北岸

今日は休日出勤。午後、休みをもらって涸沼の北岸を通って帰る。

まずは宮前で車を停める。


白鳥がすぐ近くを泳いで行く。

船溜まり。

芝崎神社。宮前の地名はこれに由来するのだろうか。


こちらは親沢公園。キャンプ場にもなっていて、けっこうお客が来ていたよ。



この筑波山の向こうに夕日が沈むのだ。


 

ビル・エバンス・トリオのCDを聴きながら帰る。ビル・エバンスのピアノ、スコット・ラファロのベース、ポール・モチアンのドラム(NHK・FM「ジャズ・トゥナイト」の大友良英ふうに)。エバンスのトリオは対話だ。ピアノとベースとドラムが絶妙に響き合う。ゴンチチのどっちかが、「エバンスの右手の撥ねがたまりませんなあ」と言っていたが、まさにそう。おれはエバンスのピアノが好きだったんだなあ、と再認識する。


妻と夕方、ハートランドビールを飲む。

夕食はモツ炒め、お好み焼き風オムレツで酒。食後に妻とワイン。

寝しなにアイリッシュウィスキー。

2022年5月11日水曜日

行楽の昼飯

この前、家族で行楽をした時、昼食を筑波の丸忠という蕎麦屋で食べた。

あてはなかったのだが、ふと目についたこの店に入ったのだ。子どもたちが「お父さんの見つけた店にハズレはないからなあ」と言うのがちょっとプレッシャーになったが、これが当たり。

父はもりそば、長男はざるそば、妻は好物の冷やしたぬきそば、大食いの私と次男は天丼セットを頼む。

天丼セット、1150円。


天ぷらは、海老、さつまいも、まいたけ、たまねぎ、山菜。みそ汁の実は筍。次男は喜んだな。妻の冷やしたぬきそばには、何と茄子とかぼちゃの天ぷらが載せてあった。それじゃ「たぬき」じゃないやないか、と思うが、妻も「こんなの初めてだよ」と喜んでいた。お味も結構。旨し。


それから真壁の街をぶらぶらして、峠を越えて石岡市八郷へ抜けて帰った。ささやかな行楽だったけど、楽しかったよ。











2022年5月8日日曜日

久し振りにS君とぷらぷらする

昨日は地元の親友S君と車でぷらぷらする。

若い頃はこうやってあてもなく車を走らせ、方々へ行ったものだ。

この日はS君のカルマンギアに乗せてもらう。初夏のオープンカーはいい。

県道石岡城里線を北上する。のどかな里山の風景。いいねえ。




城里町石塚から常陸太田へ向かう。常陸太田市パルティーホールに12時頃到着。向かいの福都で昼食。台湾ラーメンと餃子のセットを食べる。



パルティーホールで、小出裕章氏の講演を聴く。演題は「日本の原子力開発と東海第二原発の再稼働」。

小出氏は元京都大学原子炉実験所助教。原子力のエキスパートにして反原発の旗手である。氏の主張は明快だ。原発は危険だから廃止しなければならない。この一点に尽きる。重大事故が起きれば甚大な被害を及ぼし、放射性廃棄物の処理については根本的な解決法はない。理性的に考えて当然だと思う。

しかしながら国は一向に原子力発電をやめようとはしないし、そこに様々な利権が絡み合う。東日本大震災による福島第一原発の事故で、私たちは原発の恐ろしさを思い知らされたはずなのに、いつしか復興の大合唱にかき消され、放射能汚染などはなかったかのように日々を暮らしている。

福島県から岩手県や北関東、埼玉、千葉、東京の一部など14,000㎢が、本来なら放射線管理区域となるレベルの汚染を受けていること。事故当日発令された「原子力緊急事態宣言」が、今に至るまで解除されていないこと。たとえ100年経っても解除できないこと。半径30㎞以内に92万人が住む東海第二原発を、国や日本原電はあくまで再稼働させようとしていること。原子力開発は我が国の国策であり、そこには核兵器を作るための技術を保有していたいという野望があること。小出氏は、私たちが見たくないつらい事実を、平易な言葉で次々と可視化する。

会場には400人ほどの聴衆がいたが、ほとんどが高齢者だった。若者もちらほらいたが、働き盛りの、社会の中核で働いているような人は、ほぼいなかったように思う。理性的でまっとうな主張が広く届かない。政治の話は忌避される。社会の中で生きている以上、私たちは政治と無縁ではいられないはずなのに。


S君と車中でいっぱい政治の話をした。絶望的なことしか話せなかったが、楽しかった。


 

2022年5月4日水曜日

ゴールデンウィーク恒例、バーベキュー

朝、納豆カレー。

妻は仕事に行く。コーヒーを淹れ、息子たちと飲む。

いい天気。布団を干す。セロニアス・モンクを久々に聴く。

『小三治の落語』、読了。著者の広瀬和生は小三治の訃報に接し悔やみに行った際、小三治のマネージャーから「師匠は広瀬さんのこの本(『小三治の落語』の底本、『なぜ小三治の落語は面白いか』)をいつも読み返して参考にしていたんですよ。高座の前とか、ちょっと時間が空いたときとか。とっても励みになっていたんです」と言われたという。著者冥利に尽きるな。小三治落語の素晴らしさの本質に、これほど迫った文章はあるまい。小三治としてもうれしかったのだと思う。

芥川龍之介『年末の一日・浅草公園』、読了。芥川が横須賀海軍機関学校の英語教師を辞め、大阪毎日新聞社の客員社員となって、小説家一本の生活を始めてから晩年までの作品を収めたもの。「あばばばば」以外は初読。芥川の才気は随所に感じるが、小説の完成度としては疑問符が付く。個人的な感想だが、芥川が壊れていく過程を辿ってゆくような感じがした。

昼は子どもたちが作った焼きそば。旨し。

夕方からゴールデンウィーク恒例のバーベキューをやる。炭火で焼く焼き鳥は旨い。お腹いっぱい食べ、ビール、赤ワインを飲む。


寝しなにアイリッシュウィスキー。

2022年5月3日火曜日

田植え

朝、カレー。

今日は田植え。今年から近所の人に頼んで植えてもらうことになった。苗を渡したりする「岡回り」は私がやる。さすが六条植え、1時間ほどで植え終わる。隅っこをちょっとだけ手植えして、11時には終了。



昼は子どもたちが、納豆・めかぶが入る「冷やしねばねば蕎麦」を作ってくれる。旨し。

午後はルイ・アームストロング を聞きながら本を読む。いい天気。空には、牛堀出身の画家、小堀進の描く絵のような雲が浮かんでいる。


妻と夕方ビール。

夕食は刺身、イカ焼き、こんにゃくでビール、酒。デザートにメロンを食べる。旨し。

食後に妻と白ワイン。

寝しなにアイリッシュウィスキー。


憲法記念日。朝日新聞のアンケートでは改憲賛成が半数を超えたという。何をどう変えるかもはっきりしないまま、ムードだけで「そろそろ変えよう」となってきているのが恐ろしい。基本的人権が尊重され、戦争を起こせない憲法を、日本人は自分から手放そうとしているのか。


昨日の夕方、虹が出た。




2022年5月1日日曜日

三連休、母の三回忌

一昨日の日記。

朝、トースト、コーンスープ、卵とウィンナーソーセージの炒めもの。

父と田圃に出る。

妻は仕事、長男は学校。午前中、次男が一人で留守番をしていたので、昼飯に連れ出す。

石岡の紫園。私はドライカレー、次男はピラフを食べる。旨し。二人で1500円。安いねえ。


石岡の街は静かだった。


一日中肌寒い。夕食は筍御飯、味噌汁、鍋。

長男の迎え。帰って風呂に入ってビール、アイリッシュウィスキー。



昨日の日記。

朝、筍御飯、味噌汁、卵とウィンナーソーセージの炒めもの。

妻は仕事。午前中、一週間分の新聞を読みながらコーヒーを飲む。

昼は息子たちを連れてマクドナルド。チキンタツタのセット。妻にはチキンタツタのお持ち帰り。やっぱりチキンタツタは旨いなあ。

今回はウルトラマンとのタイアップ。



翌日の母の三回忌のため、牛久から義母が来る。

夕食は焼き鳥、義母が煮てくれた蕗、鶏レバーで、ビール、酒。

食後に妻と白ワイン。

寝しなにアイリッシュウィスキー。



今日の日記。

朝、筍御飯、味噌汁、ハムエッグ。

今日は母の三回忌法要を行う。この日のために、父が、母の娘時代から晩年に至るまでの写真をパネルにした。「ばあちゃんも幸せだよね」と妻は言った。

昼は会食。帰って、父、妹の旦那、従妹の旦那と飲む。

午後から雨が降り出し、夜は本降りになる。法要中は傘をさすことなく済んだ。


夕食は、法要の料理の残り、昨夜の焼き鳥の残り、蕗の煮たのなどで、ビール、酒。

食後に妻と白ワインを少し。


芥川龍之介『年末の一日・浅草公園』、広瀬和生『小三治の落語』、松本正剛『日本的芸術』をぽつぽつ読む。