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2012年8月29日水曜日

藤子F不二雄ミュージアムに行ってきた

大学を卒業してからしばらくの間、東名高速で神奈川県に入る時には、向ヶ丘遊園の観覧車と山の上に大学の3号館が見えた。遊園は随分前に閉園となり、3号館も去年の震災で大きなダメージを受け取り壊された。
その遊園の跡地の一部に、今、藤子F不二雄ミュージアムがある。ボウリング場があった所だという。昔、文学部仲間とボウリング大会なんかやったなあ。
夏休みの最後に、妻子を連れてそこに行って来た。
私にとっては、藤子不二雄はAでもFでもなく、藤子不二雄だった。手塚治虫に憧れて富山から上京してきた青年が、お互い手を取り合って漫画家としてのステージを駆け上がっていくサクセスストーリーの主人公であった。しかし、実際は漫画家として自立するにつれて共作をやめていた。ジョン・レノンとポール・マッカートニーが共作をやめた後もレノン・マッカートニーのクレジットで曲を書き続けていたのと同じように。
そして、レノンとマッカートニーが別れたように、二人はAとFに分かれた。『プロゴルファー猿』と『ドラえもん』じゃ、余りに違うもんなあ。
Fの作品には、健全で良質なエンターテイメントといった趣がある。大人も子供も、誰もが共有できる。私は小学生の頃、『オバQ』と『パーマン』が大好きだったな。(麻雀で八萬をツモった時は、「真っ赤なマントを翻し、来たぞ僕らのパーマンが」と口ずさんだものだ。)

この炎天下、電車ではつらいと思い、車で行った。用心して早めに家を出る。首都高で渋滞に捉まったものの、登戸駅には10時頃着くことができた。時間があったので、大学をちょっとだけ、見に行く。
登戸駅前のコイン駐車場に車を止め、シャトルバスでミュージアムに向かう。バスはほぼ10分おきに出ている。
入場券は前売りのみ。キャラクターが描かれたシャトルバス。街の通り道にあるモニュメント。いやがうえにもテンションは上がる。そして、きめ細やかな展示。素晴らしい見せ方。期待を裏切らない。洗練されているなあ。客は皆、大喜びだったよ。
展示された原稿を読んでいくと、Fの作品には、ぴりっとした毒や色っぽさもある。決して健全で人畜無害なわけじゃない。そこが面白いな。
帰りのバスでは、運転手さんが楽しい案内をしてくれた。終点間近ではピンポン押し放題の大サービス。最後は子どもたちとハイタッチしてくれた。いい気持ちのまま帰途に就けました。
次男は夏休みの日記に、「もう一度行きたい」と書いていたよ。運転は疲れたけど、行ったかいがあった。
長男が買って来た『キテレツ大百科』、読んでみたけど、面白いなあ。

冒頭の写真、ミュージアムから小田急線向ヶ丘遊園駅の方向を望む。昔はここをモノレールが走っていた。ちなみに遠くに見えるダイエーは、私の学生時代からある。しぶとく生き残っているなあ。 下はカフェで頼んだカフェラテ。私はコロ助の方を飲む。ドラミちゃんは妻が頼んだココア。後方に暗記パンがある。

2012年8月26日日曜日

酒と…、どっち取る?

昔、落研の後輩に「伝助さんは酒を取るか、女を取るかだったら、酒を取りますね。」と言われたことがある。
私も健全な男子であるから、当然女を取る。そりゃあそうである。
だけど、酒と女とセットになっている所ってありますよね。そうなると話は違う。
ああいう所は基本的に一人で行くものではない。仲間で飲んでて、次はどうする、となっていく所である。自然、女の数より男の数の方が多い。そういう時、男の本能として、どうしても心理的に女の取り合いが起きるのね。(不思議なことに、絶対恋愛感情など起こしようもない人に対してもそうなっちゃうんだな。)これが面倒くさい。だから、私はああいう店に好んでは行かない。
落語、『猫の災難』の兄いが、熊さんに「脇で白粉臭え女が、おひとついかが、なんてのも煩わしいや。今日はおめえとサシでみっちりやろうと思ってな。」と言う台詞は、まさにしっくりくるんだよなあ。
ところで、最近、電車に乗った時、私が座っている前に立っていた若い二人の女の子の話が聞こえてきた。(けっこう大きな声で話していたんだ。)一人はどうやらキャバ嬢をやっているらしく、彼女が「お客さん、おじさんばっか。」と言うと、相手の子が「おじさんと話が合うの?」と聞いていた。キャバ嬢らしき子は「何言ってるか分かんない。だから、適当に笑っているんだ。」と答えてた。まあそうだよな。おじさんである私は妙に納得したよ。
今、冒頭の問いに答えるなら、「もちろん女。ただし、酒を飲むなら、女はいいや。」と私は答えるだろう。
むしろ、古今亭志ん朝の『男の勲章』じゃないが、「髪の毛と歯と、どっち取る?」の方が、切実な問題かもしれないな。

今日はお祭りで息子が当てたプラモデルを作っていた。 やっとここまで。もう疲れた。

2012年8月21日火曜日

盛岡の街

出張の合間に盛岡の街を歩く。
時間もないのでちょっとだけ。
夕方、晩飯を食べにホテルの外に出た時と翌朝、仕事に行く前だけ。もう少しゆっくりしたかったが、しょうがない。
何といっても石川啄木と宮沢賢治が学んだ街だ。落ち着いた文化的な雰囲気がある。
何枚か撮った写真をアップする。

不来方城公園。残っているのは石垣だけだ。
二の丸にある啄木の歌碑。中学の授業をさぼっちゃあ昼寝してた歌。清志郎でいえば『トランジスタラジオ』だな。
不来方城近くの街並みは昭和の香りがした。
繁華街、大通り。

2012年8月17日金曜日

1年半後の被災地②

3.11以降、分断された風景だ。
それ以前がどうだったのか、どの風景が日常のものなのか、今の私には分からない。
あれから、くどいようだが、1年半なのだ。

石巻。廃墟となった小学校の校庭に咲く向日葵。
そのすぐ近くの土台だけになった家の跡には子ども用の自転車があった。
その向こうには、骨組みだけになった建物。
女川。横倒しになったコンクリート製の建物。

偶然、私たちのすぐ後に、岐阜のT君も同じ所を訪れた。やはり奥さんが石巻でボランティアをしたという。 岐阜T君が送ってくれた写真です。(左端のポールの高さまで津波が来たと、さっきT君がメールで教えてくれた。想像を絶するな。)

2012年8月14日火曜日

1年半後の被災地

出張の帰り、相棒のTさんが、昨夏ボランティアに行った石巻をどうしても見たいと言うので、寄り道をする。
津波の被害を受けた地域は、今も何もない。住宅の土台だけが残り、雑草が生い茂っている。
小学校の校舎が廃墟になっていた。岐阜のT君が後でメールで教えてくれたが、津波で流された車が爆発引火して全焼したという。それでも校庭には向日葵が咲き、白い帽子を被ったユニホーム姿の子供たちが野球をやっていた。じんときたな。
残ったわずかな家の中には、改装してそこで生活を始めている人もいた。人々はそれでも今を生きる。生きるしかないよな。
さらに女川に進む。こちらは根こそぎ津波にさらわれた感じ。
コンクリートの建物が二つ三つ、横倒しに倒れている。その向こうに静かな海が見える。あの向こうから津波はやって来たのか。
陸前高田、南三陸、大槌、宮古等々、こんな入り江の街が、三陸では至る所にあるんだろう。言葉もない。
あれから1年半、1年半なんだな。

2012年8月13日月曜日

盛岡の昼

盛岡の昼はじゃじゃ麺。
冷やしうどんに味噌が載っている。具はきゅうりと葱、生姜。こいつを混ぜて食べる。 お好みで、酢、ラー油、切り胡麻、にんにくなんぞを入れてもよし。
旨いね。中盛りで450円。安い。
麺を一口ほど残して、サービスの「ちーゆ」をオーダー。これもサービスの生卵を投入。それに「ちーゆ」をかけてもらう。
多分、鶏のスープかな。塩胡椒で味を調えて啜る。このシメがまたよかったなあ。

2012年8月11日土曜日

盛岡の夜

昨日まで岩手に出張。
盛岡に泊まる。落ち着いたいい街だ。
晩飯は街に出る。大通りから一本入った路地の居酒屋に入る。これが当たり。
まずはきんきんの生ビールで乾杯。お通しによせ豆腐が出てくる。後で知ったのだが、どうやら盛岡は豆腐の消費量全国一らしい。
ほうぼう、いさき、まんぼうの刺身。南部ひっつみ。これはいわゆるすいとんだね。野菜に渡り蟹が入る豪華版。こうなると純米酒ですな。こいつもきりっと冷えて旨い。
程の良い所でお勘定。
シメにラーメン、ビール。中華そばだが、スープが独特。甘辛い。すき焼きの割り下みたいな感じ。ラーメンは土地それぞれですなあ。美味しくいただきました。

2012年8月8日水曜日

上野に行く

今日は1日休みをもらう。
妻子を連れて上野に行く。 午前中は国立科学博物館。特別展は「元素のふしぎ」。基本的には『世界で一番美しい元素図鑑』の実物展示といった感じ。色々おまけもあって楽しい。長男は大喜びで見て回る。
昼食は動物園表門近くのピザ屋。マルゲリータ、チキン、サラミ、ソーセージポテトのピザを、それぞれにつまむ。焼き立て、旨し。
午後は動物園に入る。 こちらは次男が大喜び。動物たちのほとんどは日陰でお昼寝。パンダを久々に見た。次男はアザラシのぬいぐるみを買ってもらってご満悦。夜はしっかり抱いて寝てた。
陽射しは強かったが、風は涼しく過ごしやすい一日でした。楽しかったよ。

2012年8月6日月曜日

柳家小里ん・石井徹也(聞き手)『五代目小さん芸語録』

亡き師匠の遺風を感じさせる人っているよね。
古くは三代目柳家小さんに対する七代目三笑亭可楽なんていうのがそうだったんだろう。 今では八代目林家正蔵に対しての林家正雀、八代目桂文楽に対しての柳家小満んかな。私のイチ押しとしては五代目柳家小さんに対する柳家小里んだ。最近は、風貌までそっくりになってきたもんなあ。
その小里んが、師匠小さんの得意噺54席について、演目ごとに師の教えを語ったのがこの本である。お相手は放送作家の石井徹也。
これがいい。いわゆる職人肌。「落語はこう演じろ」というノウハウを惜しげもなく披露してくれる。ひとつひとつが具体的で分かりやすい。『論語』みたい。『老子』のように奇抜ではないが、すんなりと身体に入ってくる。
いわば実践的な教えだ。実際に客前で演じた結果生まれてきた教えだ。ここが評論家の分析とは一味違う。あえて踏み込んでいえば、寄席の高座で磨き上げられた教えだな。毎日、必ずしも自分を目当てに入って来たわけでもない、聞き手のレベルとしても雑多な寄席の客を相手に磨き上げられた教えだと思う。
しかも深い。「落語は季節感と情景と人物が描ければ自然に面白くなる。」というのはまさに至言だなあ。
立川談志との「『大工調べ』論争」にも小さんの見解が出ている。この噺は、道具箱を店賃のかたに取られた与太郎に、棟梁が金を出してやろうとしたが、生憎、わずかに持ち金が不足していたことが発端になっている。談志は、もともと棟梁の渡した金が不足していたのがいけないと言い、古今亭志ん生の「棟梁は啖呵を切りたい奴なんだ。」という言葉を引いている。それに対し小さんは「お屋敷には門止めの時間がある」という設定をきちんとさせ、そのために持ち合わせの金を持って行かせたとしている。大家の方に悪意があって、その網に引っ掛かって棟梁は喧嘩をしてしまうのである。与太郎を立てたいがために騒動になってしまった。ただの啖呵が切りたいだけの単純な男ではない。七代目橘家圓蔵が柳家小三治にアドバイスしたように、棟梁を「人を束ねるだけの貫録も思慮もある人物」として描く。その方が気持ちがいいよねえ。
また聞き手の石井徹也もいい。この人の小さんを評して「友情の名人」というのは新鮮な視点だった。そうだよな、『長短』『饅頭怖い』『強情灸』『猫の災難』など友達同士の話だ。しかも、それぞれ騒動は持ち上がるものの、皆仲が良い。それがまた小さんの落語の心地よさでもあるんだな。
巻末には柳家小三治のエッセイも付いている。(これが素晴らしい。)
五代目小さんの教えを後世に伝える、まさに落語界の『論語』ですな。

2012年8月4日土曜日

親子マジック教室

昨夜は久々鰹の刺身で酒を飲む。
今日も暑い。
午前中、妻が買い物に行っている間、DVDで古今亭志ん朝の『鰻の幇間』を観る。志ん朝のこの演目を、立川談志は「リズムも人物描写もなってない」と酷評していたが、そんなことないよなあ。噺の型は古今亭だが、テイストは黒門町。一八が野幇間じゃない。粋できれい。少々理に詰むところはあるが、そこが現代性なのだろうな。見事だと思う。
昼はそうめん。
午後、妻子は近くの生涯学習センターで「親子マジック教室」。
私は同じ建物にある図書館で本を読む。島尾敏雄『死の棘』。読了。
夕食の後は、息子たちが教わってきたマジックを披露してくれた。楽しかったよ。