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2020年8月30日日曜日

8月最後の土日も暑かった

昨日の日記。

朝、にゅう麵。

猛暑日。長男と図書館に行く。

昼は妻が作ったかつ丼。

朝日新聞の連載小説に触発され、芥川龍之介「きりしとほろ上人伝」を読む。

夕食は、たこ焼き、焼きそば、フランクフルトという縁日メニューでビール、酒。今年はどこもお祭りがなくなっちゃったからね。せめて、こういうの食べて、お祭り気分を味わいましょう。

寝しなにアイリッシュウィスキー。


今日に日記。

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージと卵の炒めもの、鮭フレーク、なめ茸。

コーヒーを淹れて子どもたちと飲む。

長男と図書館。『天狗党鹿島落ち』(織田鉄三郎・筑波書林)を借りる。

昼はつけめん、五平餅。

今日も暑い。家に籠る。

夕食はサバの味噌煮、シューマイでビール、酒。鳥取の先輩が送ってくださった梨を食べる。新甘泉という品種。上品な甘さ、旨し。

食後にアイリッシュウィスキー。



殿様のレガシー。「一強の作り方」。

①人事を握り、あからさまにやる。盲従する者を重用し、しない者を冷遇する。

②好意的なメディアにだけ情報を与える。

③そうして手なずけたメディアとともに野党を貶める。

④まずいことがばれても説明しない、証拠を消す、責任を取らない、論点をずらす。そして支持者が全力で擁護する。

とにかく「限られたパイをお仲間に分ける」ということに関しては徹底した人でしたな。普通はそれに対して後ろめたさを感じるものなんだが、そんなもの、まるでない。人間、あからさまがいちばん強いのか。こういう手法が通用してしまった今、我々の社会は真っ当な道に戻れるだろうか。

まあ多くの人が求めるのは「真っ当さ」よりも「現世的利益」なんだろう。でも支持したからといって、支持者全員が「現世的利益」を手に入れられるわけじゃないんだよ。

2020年8月28日金曜日

暑い日

 この前の休日仕事の代休をもらう。

今日も暑いねえ。


久し振りにイーアスつくばに行ってみる。

フードコートで明太子スパゲティを食べる。本屋で『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』(頭木弘樹・ちくま文庫)、『滝田ゆう 昭和×東京下町セレナーデ』(松本品子・コロナブックス)を買う。

せっかくなので国土地理院の資料館にも行ってみる。展示してある古地図を見る。いいなあ。売店で明治40年の東京浅草区全図の復刻版を買う。

土浦に行き、蔵でコーヒーを飲みながら、買った本を読む。

少しだけ中城通りを散歩。



5時頃帰って、妻と夕方ビール。安倍首相辞任のニュースを教えてもらう。

持病が悪化して辞めるとのこと。またぞろ「体調が悪い人を批判するな」という声が聞こえ始めた。

この方は自分で「政治は結果が全て」と言っていた。私はこの方が引き起こした結果を、高く評価する気はない。

夕食は、煮込みハンバーグ、サラダ、いぶりがっこでビール、酒。

寝しなにアイリッシュウィスキー。

そういえば内海桂子師匠が亡くなったんだよなあ。桂子師匠、川崎の伯母さんに似ていたのよ。その連れ合いの伯父さんはコロンビアトップにそっくりだった。だから、何となく他人に思えなかった。骨っぽい好きな芸人さんでした。ご冥福をお祈り申し上げます。

出口一雄に関する内海桂子の記事を再掲載する。(出口の姪、SUZIさん提供)



2020年8月27日木曜日

昭和の絵葉書 茨城県の観光名所

 物置で見つけた昭和の絵葉書シリーズ。

今回は茨城県内の観光名所を集めてみました。

まずは笠間稲荷神社と菊人形展。




天引観音です。


奥久慈、袋田。







県境を超えて矢祭山。





最後は石岡で締めましょう。金比羅神社前の中町通りです。



2020年8月23日日曜日

家族で会食

この土日は仕事でした。

昨日は仕事から帰って、家族五人で近くの中華屋へ。

歩いて行って、大人は生ビールを飲む。エビチリ、レバニラ、餃子、チャーハン、あんかけ焼きそばを取り分けてつまみにする。父と次男はラーメンも食べる。

お腹いっぱい。旨し。



1時間程飲み食いして帰る。

ミー太郎の写真を見ながら、アイリッシュウィスキーを飲む。


ミー太郎は、こんなふうに、ここから入って来たのだ。

梶井基次郎の『檸檬』の中に、主人公が掌に檸檬を載せ「つまりはこの重さなんだな」とつぶやく場面がある。
私にとっては、膝に乗る猫の重さがそれだった。
私はミー太郎が膝に乗るたび、「つまりはこの重さなんだな」と心の中で言っていたよ。

「猫死んで膝もの足らぬ夜長かな」(風柳)

2020年8月21日金曜日

さようなら、ミー太郎

今日の午前中、子どもたちが、家の縁の下でミー太郎が死んでいるのを見つけた。

午後に父が埋めに行ってくれたという。

妻の話によると、眠っているようにきれいな顔をしていたそうだ。

一昨日、午後に帰ってきて、だらだらと寝て過ごし、昨日の朝元気に家を出て行った。

いくら食べても太らなかったから、どこか悪かったのかもしれない。

一昨年、住みついた野良猫だった。誰からも可愛がられたことがなかったのだろう。なかなか心を開いてくれなかった。触らせてくれるまで、ひと月かかった。

安心できるねぐらがあって、飯を思う存分食えて、撫でてくれる人がいた。野良猫に生まれたことを思えば、幸せな一生だったよな。猫アレルギーの妻も、口では色んなことを言いながら、結局お前を可愛がっていたよ。

私たちもお前がいてくれて幸せだった。子どもたちも随分泣いたみたいだ。

私は仕事から帰ってきて、初めてミー太郎の死を知ったし、その時にはもう埋めてしまっていたから、実感がわかない。食後にウィスキーを飲んでいると、出窓から、「入れて」というように、にゃーと鳴く声が聞こえるような気がしてならない。

ミー太郎よ、安らかに眠れ。うちに来てくれて、ありがとうな。



2020年8月16日日曜日

『戦争論妄想論』

物置で『戦争論妄想論』という本を見つけて読んでいる。小林よしのり『新ゴーマニズム宣言special戦争論』のカウンター本として、1999年夏に出た。装丁も『戦争論』を想起させるデザインになっている。

『戦争論』が出たのは1998年夏。文字通り大ヒットになった。新聞の下半分にでかでかと広告が打たれ、売れに売れた。

実は私も買った。思想的には相容れないが、読まずに批判するのもまずいと思って買って読んだ。読んでいるうちに吐き気を催した。右翼トンデモ本の焼き直しのような主張が延々と繰り返され、しかもマンガだからそれが強烈にインプットされる。これがベストセラーとなることに、改めておぞましさを感じた。そして、その売り上げに自分も貢献してしまったことを心底後悔した。だから、以後私はこの手の本を買わないことにした。

 

さて『戦争論妄想論』についてである。

この本のあとがきでは「本書は『戦争論』と対決するという試みの構想としてスタートした」と書かれている。『戦争論』が大きな支持を集めることへの危機感がこの本を生んだと言っていい。宮台真司、姜尚中、水木しげる、石坂啓、中西新太郎、若桑みどり、沢田竜夫、梅野正信という豪華執筆陣が、「「国家と個人」「戦争と平和」の論争に答え、『戦争論』を根底から撃つ!」と帯にはある。

しかし、この試みは成功したとは言い難い。

『戦争論』で勢いづいた歴史修正主義はネット右翼を生み、果てはヘイトスピーカーをも生み出した。(事実、「『戦争論』で目覚めた」というヘイトスピーカーも少なくない。)

また、この流れは憲法改正を目論む大日本帝国復権主義者にも力を与えた。今や現政権の中枢や、その取り巻きは、大日本帝国復権主義者で席巻されている。しかも、巧妙に人事を利用し、マスコミ、司法、行政も服従させる。もはや「関東大震災直後における朝鮮人虐殺」も「南京事件」も「慰安婦問題」も「諸説あり」とされ、正面切って取り上げれば攻撃を食うので、何となく口にするのも憚る雰囲気になってしまった。(何しろ原爆の悲惨さを伝える展示でさえ「政治的だ」として退けられるのである。)

こうした奔流に、『戦争論』批判は、あえなく飲み込まれてしまった。「飲み込まれてしまった」という表現がそぐわなければ、『戦争論』に目覚めた者たちの大多数には届かなかった、と言い換えてもいい。

『戦争論妄想論』、改めて読むといわゆる総花的である。それぞれ得意分野での論評で、ひとつひとつはしっかり読ませる内容になっているが、全体的に気迫に欠け、攻めあぐねている感じが拭えない。「それぞれの立場は異なるが、方向性は鮮明に出せた」というが、それは対立軸に旗を立てたにすぎなかったのではないか。むしろ私は当初の構想にあった「『戦争論』で描かれている中身に沿って、一つひとつに反論する方法」に似た、『戦争論』で描かれた虚偽やごまかしを徹底的に暴き反証するといったやり方の方が有効だったと思う。

振り返ってみれば、美しい物語、力強い語り口、誇りの回復といったものに身を委ねる快感が用意され、それに国家権力が味方する(特にここ7、8年はそれが顕著だった)。どう考えても負け戦にならざるを得ない状況だったな。

 

小林よしのりは『戦争論』に先立つ1996年『新ゴーマニズム宣言special脱正義論』の中でこう言っている。

「はっきり言ってわしのやったことは世論捜査のための言論暴力ですよ。(中略)正義もクソもないの。世間に正義と思わせるようやっただけ。そういう意味じゃファシズムかもしれんよ。どうぞわしをファシストとののしってくださいという気持ちだよ」

こういうやり方をしている相手である。同じ土俵に立って戦おうとしても、噛み合うはずがない。論点をずらし、隠し持った凶器で襲い掛かかってくるだろう。(今やあっち側はそんな手合いばかりである。)

 

現在小林はネット右翼については批判しているが、マッチョな体質に変わりはない。

また『戦争論』的なアジテーションが金になることが分かったからか、ビジネス右翼がわらわらと沸き上がった。これらがこぞって隣国攻撃や現政権擁護に走る。本屋に行けばこの手の出版物が山と積まれていて、ある意味壮観だが、その末世感たるや半端ない。

 

では現状を嘆くだけでいいのか。そうではあるまい。

『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(加藤直樹)、『歴史戦と思想戦 歴史問題の読み解き方』(山崎雅弘)、『「南京事件」を調査せよ』(清水潔)などは、確かな論証で歴史修正主義を正している。ツイッターでもそういったものが数多く発信されるようになった。

歴史を捻じ曲げ、隣国憎悪を煽り、大日本帝国的価値観を復権しようとするものは、やっぱり粘り強く潰していくべきなんだよな。

その意味では、あの当時『戦争論妄想論』が出たのには、やはり大きな意義があったのだと思う。



2020年8月15日土曜日

お盆

 今年は母の新盆。

13日、新盆の家は午前中にお寺に行き、法要を行う。


お盆の間は次々と来客がある。お客のほとんどはご老人。昔話やご先祖の話になる。

うちのご先祖についていくつか分かったことがあるので、忘備録として残しておく。

うちのご先祖、もとは石岡市石川地区の辺りにいたという。安食村の竹内百太郎から「お前はやっとう(剣術)ができるから、俺の仲間に入れば士分として取り立ててもらえるぞ」と言われて天狗党に入った。竹内は敦賀まで行って斬首されたが、うちのご先祖は初期の段階で離脱したらしい。

その後、夫婦でこの地に住みついた。そして妻の方がそこで裁縫所を始める。それがうちの初代のおばあさんである。

戸籍を見ると、明治10年頃に二人は離婚。初代のおばあさんが裁縫所の師匠として残ったというわけである。

それにしても暑かったねえ。ミー太郎もだらだらでしたな。


今日は墓参り。

さすがに最終日はほとんど来客はなし。

夕食は妹親子とお盆の打ち上げ。刺身、焼き鳥、天ぷらでビール、酒。

寝しなにアイリッシュウィスキー。


うちの地域は明日が送り日であります。



2020年8月12日水曜日

今日の日記

 朝、トースト、牛乳、目玉焼き、ウィンナーソーセージ。

妻は仕事。

午前中、『大鏡』を読む。昨日、『和泉式部日記』を読んで面白かったので、こっちにも手を出してみた。

『和泉式部日記』は、日記というより歌物語という感じ。死んだ恋人の弟との恋愛物語。恋の駆け引きとか、相手の正室とのぐちゃぐちゃとか、当時としてもスキャンダラスな話だったんだろうなあ。

同じ巻にあった『紫式部日記』の中の和泉式部評を見てみると「歌はすらすら出てくるんだけど、歌に対する理論や知識は持っていないわね」みたいなことを言っている。和泉式部っていわゆる天才肌の人なんだね。まあ紫式部の毒舌っぷりもすごいけど。

『大鏡』は、菅原道真と藤原時平とのバトルのくだりまで読む。こっちも面白い。

甲子園の交流試合、中京大中京対智辯学園戦をテレビで見る。両エースの見事な投げ合い。いいもの見させてもらった。


結末は延長10回、タイブレークの末、中京大中京のサヨナラ勝ち。無死満塁でのセカンドフライ落球、インフィールドフライ・インプレーでの決着だったが、10回表を中京大中京が無得点に抑えて勝負ありだったな。中京大中京のエース、140球以上投げてなお150キロを投げるんだもの、すごいよな。

昼は次男が作った炒飯。

午後はお盆の買い物。

夕食は鶏の唐揚げ、冷奴、ハムサラダ、ソーメンチャンプルーでビール、酒。

食後に妻と赤ワイン。

寝しなにアイリッシュウィスキー。


お気に入りの置物。



2020年8月9日日曜日

週末の日記

昨日の日記。

朝、御飯、味噌汁、マルシンハンバーグ、納豆。

妻は仕事。次男とカスミに買い物に行く。

昼はカスミの弁当。

長男のバイトの送迎。

夕食は、庭でバーベキュー。エビスビール、牛久ワインを飲む。旨し。

花火をやる。子どもたちがやっている花火を、母は目を細めて見ていたっけ。

シメの焼きそばまでしっかり食べる。お腹いっぱい。寝しなにウィスキーハイボールを飲む。


今日の日記。

朝、ホットサンド、牛乳。

神崎の江戸や亭。開演前にちょっとだけ辺りをぶらつく。暑い。







私は中入り前に出て『真景累ヶ淵・お久殺し』を演る。

5時過ぎ帰る。

夕食は、豚の角煮、スープ餃子、卵豆腐でビール、酒。

寝しなにウィスキーハイボール。


ミー太郎はこの頃縄張りを縮小したみたい。外へ出ても、その辺でうろうろしている。



2020年8月7日金曜日

茨城町の火の見櫓 ~火の見櫓27~

 茨城町、長岡坂下から右に入って少し行った所の火の見櫓。

「水戸浪士の毛塚」という看板を見て行ってみようとしたのだが、見つからず、ちょっとがっかりしていた時に火の見櫓を見つけた。おれも持ってるねえ。



半鐘、屋根付き。

半鐘のアップ。

お向かいには、こういうシブいお店もありました。


2020年8月2日日曜日

昭和の絵葉書 足尾銅山

物置で見つけた、昭和の絵葉書シリーズ。
足尾銅山。
横書きの表記から想像するに戦前ものではないかと思われる。











夏目漱石『坑夫』の世界ですな。