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2012年3月28日水曜日

土浦の洋品店


今はなくなった建物。
土浦の洋品店。
以前紹介した、武蔵屋の近くにあった。
取り壊されて10年近くになる。
店としての営業をやめても、街のランドマークになったであろうに。
もったいないよねえ。

2012年3月27日火曜日

快楽亭ブラック『立川談志の正体』

タイトルは五代目柳家つばめへのオマージュだろう。柳家つばめ、早すぎた創作落語家。彼の「佐藤栄作の正体」は、放送禁止になった。著者もまた先鋭的でラジカルな落語を自作自演している。
著者は二代目快楽亭ブラック。元立川流の落語家。(彼の立川流離脱の経緯も本書で詳しく書かれている。)
談志門下は、立川流旗揚げ以前の弟子と以後の弟子とでは毛色が違う。扱いも違う。本書でも、談春が「志の輔兄さんが長男で、私が次男、志らくは三男」と言っているのを取り上げて憤慨しているが、一般のファンも、実はそういうふうに思っているのではないか。旗揚げ以前の弟子が冷遇されていると、著者も認めているな。
冷遇された弟子の師匠論は味わい深い。三遊亭圓生門下の春風亭一柳、川柳川柳なんかそうだ。師匠の芸には惚れているが、人間性には強い違和感がある、その愛憎相克の有様が人間臭い。その距離感が、師匠を客観視させる。
「文藝春秋」の立川談春のエッセイや、「新潮45」の吉川潮の対談とは違う。信者の言葉ではない。しかし、屈折した愛情がそこにある。
恐らく、彼の談志観が実像に近いのだろう。金の亡者で(上納金制度にしても、話題作りなんかじゃなく、至ってマジだったのね。)、小心で、さびしんぼうで、根はやさしいくせに悪ぶって立川談志を演じる。談志の複雑な人間性が、余すところなく描かれる。
落語に関しても手放しの賛美はしない。「家元の『芝浜』がいいなんて奴は田舎者だ。」と切って捨てる。(私は「芝浜」で感動するけどね。)いいのは「鼠穴」「黄金餅」「富久」といった金に対する執着を描いた噺。「らくだ」のような屈折した恨みを持つ人間の噺もいい。「文七元結」などは根本から解釈が間違っている。「弥次郎」「饅頭怖い」のギャグセンスは素晴らしい。等々。「お前が言うな」的な見方はあるだろうが、考えには一本筋が通っており、ブラックのプロとしての見識が覗える。
談志は「落語とは業の肯定である」と説いた。そして、談志自身、金と権力への執着を隠そうともしなかった。その点では、談志は自らの業に忠実だったと言える。ただ、彼にはやさしさがあり含羞があり愛嬌があった。やはり、魅力的な人だったと思う。談志が政治家として大成しなくてよかった。落語協会の会長や三遊協会の会長にならなくてよかった。そうならないことで、彼は既成の落語家の枠に納まらない名人になったのだと思う。
これは、決して暴露本ではない。立川談志という複雑な魅力を持った人間を神格化させることへ、正面からNOを突きつけた本なのである。

2012年3月19日月曜日

二つ目試験

久々に落研の話。
1年の冬合宿には二つ目試験がある。
内容は実技と口頭試問だった。実技は着物や襦袢を畳んだり、太鼓のリズムを叩いてみたりとか。口頭試問は、落語の基礎知識だったかな。
真打と幹部が審議をして、普段の働きぶりなどを加味し、総合的な判断で決めていた。
冬合宿で二つ目に昇進するのは、2、3人。一応ここで同輩の中で差がつくことになる。まあ、2年になれば全員が二つ目になるわけなんだが、それでも先に昇進するのは気持ちがいい。
そして、ここで二つ目になった者が、6月の「みな好き会」で対外発表会の初高座を踏むことになる。
私も当然、ここでの昇進を狙った。何を訊かれたかは、全く憶えていない。緊張はしたが、無難にはこなしたと思う。
私の代では、私と八海君と酒合丈君が、ここで昇進を決めた。酒合丈君は特例として、既に秋の対外発表会に出演していたので、「みな好き会」での出演はなし。私と八海君が出演することに決まった。八海君が前座で「日和違い」、私が二つ目で「牛ほめ」を演ることになった。「みな好き会」の二つ目は、歴代のトップ真打が初高座を踏んだ位置である。その点でも誇らしかった。
プロの落語家さんは、二つ目昇進の時がいちばん嬉しかったと言う。
私たちにしても、二つ目からは好きな噺を選んで覚えることができるし、後輩もできる、それはそれは嬉しかったものだ。

2012年3月18日日曜日

高浜、開運醤油


今はなくなってしまった建物。
石岡、高浜の開運醤油。取り壊し直前の姿。
かつて水運で栄えた、高浜の象徴のような建物であった。
高校の時は、毎日この前を自転車で通った。
当時から大好きな建物だったな。
現在は煉瓦煙突の下の方しか残っていない。

2012年3月15日木曜日

石岡、弁天屋


今はもうなくなってしまった建物。
石岡、弁天屋。鰻屋である。
店先に置いてあった、鰻を掴む狸の置物が可愛らしかったな。
ここの奥座敷で宴会をやったことがある。
これがなかなか風情があって、よかったのだ。
震災の後、石岡を散歩した時には更地になって、あの狸の置物だけがぽつんとあった。
それは寂しい光景だったよ。

2012年3月10日土曜日

旅の終わりは、きしめん


関ヶ原を出たのが12時半。
それから、1時間半かけて春日井まで昼飯を食べに行く。
この旅行では、食事の場所は全てT君にお任せだった。T君は、いずれも名店を用意してくれた。
春日井「岡崎屋」で味噌煮込みうどん定食。
昼時にはえらく混むらしいが、2時過ぎに着いたので、落ち着いて食べることができた。
ぐつぐつ土鍋で煮えたぎったのがやって来る。うどんは手打ち、腰がある。
はふはふしながらうどんを啜る。白いご飯がまた合うねえ。生卵が熱でいい具合にとろりとなって、旨い。
あっというまに食べちゃったよ。
楽しかった旅ももうすぐ終わり。T君が名古屋駅まで送ってくれる。
再会を約して車を降りる。
名古屋駅で切符を買い、家族へのお土産を買う。
旅のシメに、新幹線ホームのきしめんを食べる。T君のアドバイス通り、いちばん安いやつ。ちっちゃい油揚げがひとつ、それに鰹節がふわっと載せてある。これがまた旨かった。
T君には大変お世話になった。この場を借りて感謝したい。
次は近江路を攻めよう。すぐには無理だが、しっかり家族サービスをして、隙をうかがいながら、妻の機嫌のいい時にでもお願いしてみるよ。T君、その時はよろしくお願いします。

2012年3月8日木曜日

いざ関ヶ原


関ヶ原に行く途中、御首神社に寄る。
関東を目指して飛行中の平将門の首を射落とした場所に建てられたという神社である。郷土の英雄所縁の地だ。これは行かずばなるまい。
首から上の病にご利益があるといわれていて、境内には帽子が奉納された絵馬堂がある。
意外にも参詣人が多かったな。
さて、T君が行きたくて行きたくてしようがなかった、関ヶ原ウォーランドに行く。
ここも桃太郎神社同様B級スポットマニアの聖地といっていい。浅野祥雲先生作のコンクリ芸術の宝庫だ。その数、200体以上という。
ほどほどの賑わい。いやあ凄いな。まさに圧巻。詳しくは写真を見てほしいが、ひとつひとつに強烈な個性がある。
以前は客の入りが悪く、T君が問い合わせた時に「お客がいないので、今日はもう閉めます。」と言われたことがあったという。B級スポットブーム、歴史ブームで完全に息を吹き返したな。展示のコメントを見ると、イマドキの感じ。若いスタッフが増えたようだ。楽しんでやっている雰囲気がいい。
大満足でウォーランドを後にし、今度は実際の古戦場を見に行く。
T君の案内で笹尾山に登る。石田三成が陣を敷いた所だ。右手に宇喜多秀家、その向こうに大谷吉継、さらに向こうには小早川秀秋が陣を敷いた。左手は東軍の陣。しかし、背後には西軍の毛利勢がいる。陣立てを見ると、圧倒的に西軍が有利だ。全軍が機能すれば、西軍の圧勝だったろう。全軍が機能すれば、だ。そうならないところが人間の面白さだな。司馬遼太郎の『関ヶ原』は、その辺を描いて見事である。
ここで、血で血を洗う天下分け目の戦いがあったのだなあ。笹尾山のすぐ下の畑の真ん中に、「決戦の地」の碑がある。私たちは山を下りて、碑の前で写真を撮った。T君は近くにいた若者に「わくわくしますねえ。」と声を掛けられたらしい。
T君にはマニアを惹きつける何かがある。

では、関ヶ原ウォーランド、浅田祥雲先生作、コンクリ芸術の粋をご覧いただきたい。
徳川家康の陣。

足、脱臼してないか?

石田三成、君はよくやったよ。

大谷吉継切腹の場面。

後の狂気を予感させる、金吾将軍小早川秀秋。

戦いの無意味さを訴える、武田信玄の亡霊。

亡霊だから顔色が悪い。

生首を下げて歩く侍。目付きがよくない。

2012年3月6日火曜日

水都大垣


翌朝、ホテルをチェックアウトした私たちは、大垣の街を散策することにした。
ぶらぶらとお城へ向かう。立派なお城だ。天守閣は再建されたもの。鉄筋コンクリートでガラス窓が嵌めてある。それでも、なかなかに美しい姿である。
お城の近くに、ディープな飲み屋街発見。飲み屋はこの辺にあったのか。まあ昨夜見つけてたところで、入るのは躊躇うだろうな。
この大垣は、松尾芭蕉の『奥の細道』結びの地でもある。芭蕉は、東北から北陸を回り、敦賀から近江を経て、この大垣に入った。門人たちの歓待を受けた後、船問屋谷本因宅から船に乗って伊勢に向かった。芭蕉の旅は終わらない。ここで芭蕉は「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」という句を詠んだ。
水門川に舟がもやってあり、その近くに芭蕉と彼を見送る門人の銅像がある。芭蕉が船に乗ったのは、この辺りだったのだろう。
濃尾平野の西側は、木曽川、長良川、揖斐川という3本の大河が縺れるように流れ、伊勢湾に注いでいる。我が国屈指の水郷地帯である。この大垣も、街の真ん中を水門川が流れ、縦横に水路が走っている。水門川はやがて揖斐川に合流する。交通の要衝で水運も盛んだったに違いない。古い商家が至る所にあり、歩いていて飽きないな。
水門川の流れは清く、川底には水草が靡いている。八幡神社の境内には湧水があった。まさに水都大垣。この街の豊かさを、しみじみと実感できる。俳諧、お茶なんていう文化も育つ。そりゃ芭蕉も寄りますよ。
1時間ちょっとの散策。楽しかったねえ。やっぱり街は歩いてみなきゃ分からない。

大垣城

ディープな飲み屋街

中はこんな感じ。

こういう名前の通りもいいねえ。

松尾芭蕉像近くにあった建物。いいでしょ。

2012年3月3日土曜日

養老は焼き肉の町


桃太郎神社を後にすると、私たちは犬山城を眺めながら岐阜へと入っていった。
岐阜公園で板垣退助像を見て、夕飯を食べに養老町へと車を進める。
養老町は精肉業が盛んで、焼き肉のメッカとのこと。その中でも、いちばんの名店に案内するとT君は言う。宿泊予定地大垣を通り越しての行程だ。
6時ごろ順番取りの電話をして、店に着いたのが6時半。この時点で10番待ちだった。そして、これから延々待ち続ける。
その間、私はT君に借りた「文芸北見」を読んでいた。この雑誌は、我々のゼミのゼミ長だったS君が、T君の所に送って寄越したものだ。この中にS君の「山の上大学文学部国文学科ゼミ対抗ソフトボール大会」という小説が載っている。これは我々が4年の時やったソフトボール大会の模様を、脚色も交えながら書いたものである。事実を知っている者にとっては、ここに登場する青春群像が楽しい。私は「伝助」で出ている。冗談ばかり言っている、それでいて落語には真摯に取り組んでいる落研部員という役柄だ。照れ臭いが、S君にはそう見えていたんだな。
店に呼ばれたのが、7時40分過ぎ。焼き肉藤太、恐るべし。
オーダーはT君におまかせ。タン塩、カルビ、ハラミ、ホルモンを2人前ずつ。キムチを一つ。私だけ申し訳ないが生ビールを飲ませていただいた。いやあ旨い。今まで食っていた焼き肉は何だったんだ、とすら思える衝撃だ。これだけ旨けりゃ混みもするわな。
大満足で、大垣へ。駅前のビジネスホテルにチェックインして、T君と飲みに出る。
ところが、飲み屋がろくにないんだねえ。橘屋総本店というカウンターだけの店を見つけて入ったが、これが当たり。なかなかに渋い。納豆油揚げ、鯵の開き、甘海老のから揚げ、どて煮で酒、黒ビール。どて煮が絶品。まるでビーフシチューである。
ラストオーダーは10時。飲み足りないので、私の部屋で飲みなおす。コンビニで買ったウイスキーハイボールとカマンベールチーズ。
明日は関ヶ原に攻め上る。

下の写真は「文芸北見」。「文藝春秋」と見まごうばかりの立派な製本だ。

2012年3月2日金曜日

桃太郎神社


多治見のT君の家を見て、いよいよ本日のメインイベント、犬山の桃太郎神社へ行く。
木曽川沿岸の桃太郎伝説の拠点となる神社だが、実はB級スポットマニア垂涎の場所としても有名である。
コンクリ芸術の鬼才、浅野祥雲先生制作の石像が、文字通りわんさか置いてあるのだ。
色彩、表情、造形、どれをとっても妖しいオーラを放っている。凄いよ。
まず、鳥居付近にある、おばあさんの像、桃太郎誕生の像にがつんとやられる。石段を上り、拝殿に参拝。それから、宝物殿を見学する。桃太郎や鬼に関する充実した展示が楽しめる。鬼のミイラの写真や鬼の珍宝の化石なんていう珍品もあった。
けっこう参拝客もいたな。皆、石像を見て喜んではいたが、別にB級スポットマニアというわけでもなさそうだった。
お土産を見たが、それほどぐっとくるものはなかった。コンクリ石像のストラップでもあれば買ったのに。せっかくそれで有名なのに、勿体ない。

では桃太郎神社で撮った写真です。
まずは、おばあさん。

桃太郎神社拝殿。

まさに圧巻。

快楽亭ブラックか?

よっ日本一、桃太郎。