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2017年3月31日金曜日

パリアッチみき 鉄板スパゲティー



パリアッチみき。鉾田市串挽にあるログハウス風のお洒落なお店。鉾田では昭和の御世からの人気店である。洋食だけではなく、釜飯が自慢で和食も充実している。

鉄板スパゲティーセット。スープとサラダが付いて、税込1004円。
ナポリタン風の味が付いたパスタにミートソースがかかっている。どこか「もんく」のナポリミートを連想させる一品だ。パスタの下にはキャベツが敷いてあって、これがメニューにあるように、焼きそばみたいな感じにさせている。
鉄板のおかげで、ずっと熱々。せっかちの私は口の中を火傷しそうになるが、それがまたいいのだ。

では、アップでどうぞ。



タバスコかけて、粉チーズかけて、もりもり食うのがよろしい。
旨し、です。

2017年3月30日木曜日

沖縄へ行っちゃった

妻子を連れ、沖縄に行く。
長男の受験で、ずーっとどこにも行けなかったので、「受験が終わったら旅行に行こう」と決めていたのだ。
予約を随分前に済ませていたので、入試の結果によっては、と心配していたのだが、めでたく長男が志望校に合格。心置きなく楽しむことができた。

出発は茨城空港から。
駐車場は無料だし家からも近い。いやあ楽だわ。
3時間のフライトで那覇に到着。レンタカーを借り、首里城を見て、1泊目、ナハナホテルに投宿。
国際通りからちょっと入った所にある居酒屋で、沖縄料理を楽しむ。

守礼の門。
長男は「2000円札の門」と言っておりました。

首里城。

夜の国際通り。

土産物屋の店頭に、燃え尽きたジョーがいる。

2日目は、まず高速道路をひたすら走り、美ら海水族館に直行。ジンベエザメやマンタの雄姿を拝む。
昼食は街道沿いの沖縄そば屋で、沖縄そばとタコライス。お腹いっぱい食べる。
次男がグラスボートに乗りたいと言うので、部瀬名ビーチに行ってみる。天気はいいのだが、風が強く、波が高い。遠目で見るグラスボートは、まるで北の漁場へ向かう漁船のようだった。というわけで、この日は断念。鮮やかなコバルトブルーの海を眺めるだけにする。
その後、絶景ポイント万座毛、テーマパーク琉球村に寄りながら恩納村に。2泊目の宿、ホテルモントレ―沖縄に入る。





夕食はホテルを出て外へ。ホテルの近くにあった焼肉屋に入る。
肉はなかなかのお値段だったので、ここでも沖縄料理を中心に攻める。
次男の食欲が止まらない。

鶏と豚は、リーズナブルでした。

翌朝、ホテルのアクティビティーにグラスボートがあるというので、朝一番のに乗ることにする。
まあまあの揺れ。それでも念願のグラスボートに、次男は食い入るように海中に見入っていた。
10時過ぎにチェックアウトして、ゆっくりと国道58号線を那覇へと向かう。国道の左手はずーっと米軍基地。「基地はいらない」と言う沖縄県民に対し、国は県知事個人への損害賠償請求をちらつかせ、あくまで辺野古新基地建設を推し進めようとする。長男が買った沖縄タイムスのコラムには「新基地建設阻止という一丁目一番地の知事公約を、国が『破れ』とは何事か。民主主義の危機が表出しているのに、本土はいつまで人ごとか。」とあった。
左側には米軍基地があるため、店があるのは道路の右側。渋滞で時間が読めないこともあって、妻念願のブルーシールに寄ることはできなかった。



昼食は空港のフードコートで沖縄ランチ。とんかつと鶏の唐揚げ、白身魚のフライにゴーヤチャンプルーが載せられている。ここでもお腹いっぱい。


食後に売店で買った、カップのブルーシールアイスを食べる。
帰りの飛行機からは、美しいサンゴ礁の島々が見えた。


2時間のフライトで茨城に帰る。
これが羽田だったら帰るまでがまたひと苦労だ。茨空があってよかったなあ。

楽しい家族旅行でした。しばらくは倹約しないとねえ。

2017年3月23日木曜日

堅倉を歩く

ちょっと前、石岡を歩いた後、小美玉市堅倉へ行ってみた。
旧美野里町役場、小美玉市役所がある辺りである。

まずは国道6号線を渡り、貴布禰神社にお参り。



京都の貴船神社が本社だが、なかなかに立派な佇まい。
息子の合格を祈る。(この時期は色んな神様にお祈りしたのよ)

歩道橋からの眺め。

お参りを済ませ、もう一度国道を渡り、旧道を歩く。
旧美野里町は、竹原村と堅倉村が合併してできた町。どちらも旧水戸街道の宿場があった。

元は宿屋とおぼしき建物。

ここと同じ屋号のビジネスホテルが国道の向かい奥にある。

この建物も、漆喰の看板を見ると宿屋っぽいなあ。



この門の前に小さな石碑があった。それによると、この家の主人は水戸郷士で名主を務めていたが、元治元年(1864年)、天狗党の焼打ちに遭って焼失、門の前柱2本だけが焼け残り、この門を再建する際、その2本の柱を使用したという。
吉村昭の『天狗争乱』の中には、田中愿蔵(たなか・げんぞう)隊が土浦真鍋宿を焼打ちした後、森沖新田や中貫の村を焼きながら北上、府中に宿陣した翌日、竹原宿の伊勢屋に投宿したという記述がある。
隊長の田中は当時21歳。隊員には、同じ思想の下では平等であると言って、身分の象徴である髷を切らせた。隊には血気盛んな若者が多く、軍用金の徴収も強引で、「ザンギリ組」と呼ばれて恐れられた。真鍋宿焼打ちに先立ち、栃木町では町民を殺害した上、400戸を焼き尽くした。(消火にあたった者も容赦なく斬り捨てたという。)
やがて田中隊は本隊から除名され、那珂湊の戦いの後、独自の道を行くことになった。助川陣屋で追討軍に敗れ、八溝山中に逃れるも進退窮まって解散。田中は、とある山小屋に潜んでいたのを通報され、捕えられて処刑された。彼の首は水戸に送られ晒された。
天狗党は、後に武田耕雲斎を総大将にして京都へ向かい行軍している時には厳しい軍律で知られ敬意も払われていたが、挙兵当時は田中隊のような振る舞いをする者が少なからずいた。偽天狗党も跋扈し金品略奪があちこちで行われ、民衆の天狗党に対する恐怖と怨嗟が広がっていったという。
この堅倉宿でも、そんな歴史の一コマがあったのだなあ。碑文を読みながら、しばし感慨にふける。
いつもは車で通り過ぎるだけの所だが、歩いてみると色々面白い。

2017年3月21日火曜日

ステーキ宮 ロースステーキと赤ワイン


牛久で長男の合格祝いと息子二人の卒業祝いで、ステーキ宮に行く。
ロースステーキ(150g)1500円、赤ワイン飲み放題(1時間)680円。
北関東で肉をがっつり食うとなると、このステーキ宮だ。
若い頃、日光湯元へスキーに行った帰りに、宇都宮のステーキ宮に寄るのが楽しみだったな。
おろし醤油ベースの「宮のタレ」が絶品。スーパーカスミにも売っていて、バーベキューの時によく使う。うちの次男は、このタレが大好物だが、宮のステーキは食べたことがなかった。この度、めでたく初体験ということに相成る。
牛久の宮もけっこう古い。昭和の御世からある。職場が牛久だった頃は、よく行ったものだが、かれこれ20年振りぐらいの来店となった。
ロースステーキのミディアム。柔らかい。タレも進化しているな。昔よりまろやかで旨い。
ワインは、グラスが1杯280円。ということは3杯飲めば元が取れる。しっかり3杯いただく。

ではアップで。



特別な日のステーキというのもいいもんだね。

2017年3月20日月曜日

彼岸の中日

彼岸の中日。
一家6人で墓参りに行く。
寺の境内にある古墳の上に建てられたお社を見る。
雨乞い祈願に霊験のあったお社らしい。
このお社を建てる時、鎌倉末期と推定される経塚が発見されたという。
そういや子どもの頃はここで肝試しをやったっけ。


古墳は前方後円墳。前方部の名残りがある。

祀られているのは別雷槌の命。
私たちは雷電様と呼んでいる。

境内の観音堂の修理も終わった。

歩いて帰る暖かい。色んな花が咲き始めた。



昼はインスタントのとんこつラーメン。
午後から妹夫婦が来る。
夕方にハートランドビールを飲み、晩飯にさんまの味醂干しで燗酒。
のんびりした休日でした。

2017年3月19日日曜日

牛久に行く

昨年の暮れ、義父が亡くなり、初めてのお彼岸。妻子を連れ、妻の実家に行く。
義父に長男の合格を報告し、その晩は義母、義妹と一緒に、ステーキ宮で合格祝い。

今日はお墓を買った牛久大仏に行く。
お墓はお盆前にできる予定。
付近のお墓を参考に、デザインを皆で話し合う。
サービス券があるので、大仏の胎内巡りをする。
子どもたちは大仏の中に入るのは初体験。たいそう喜んでおりました。

早咲きの桜が咲いておりました。

大仏のお胸からの眺め。

こぶしも咲いていた。

昼は阿見のアウトレットに行き、フードコートでうどんを食べる。

帰りに牛久シャトーに寄る。
シャトーは先の震災で被害を受けたが、やっと修理が終わった。





神谷伝兵衛記念館。

こちらでも早咲きの桜が咲いていた。


2017年3月17日金曜日

石岡散歩

先日、石岡を散歩した時の写真です。
まずは石岡の誇るレトロ建造物。

すがや化粧品店。

森戸文四郎商店。

喫茶四季。

東京庵。

石岡の街は昭和4年の大火でほぼ焼き尽くされてしまったので、これらの建造物はほとんど昭和5年頃に建てられている。看板建築が立ち並ぶ中町通りは、何度も紹介しているが、壮観である。
もちろんこれだけではない。至る所に味のある街並みが広がっている。
駅へと続く八間通りもいい。






八間道路に並行する金丸通りには、こんな歴史遺産がひっそりとある。

鈴の宮稲荷神社。

元治元年(1864年)、水戸の尊攘派が筑波山で挙兵した。世に言う「天狗党の乱」である。
藤田小四郎を中心とした水戸藩激派約60人は、元治元年春、府中に集結。紀州屋を本陣として、三好屋、井関屋、山本、金升屋、近江屋、松屋の各妓楼に分宿した。藤田らは、水戸町奉行田丸稲之衛門を説得して大将に据え、3月27日、この鈴の宮稲荷神社で目的遂行を祈願した後、筑波山へと向かったのである。
紀州屋など、もはやどこにあったかすら分からない。その昔を伝えてくれるのは、この神社の境内にある案内板だけだ。


この挙兵がきっかけとなって、血で血を洗う水戸藩の内紛は明治の初めまで続いた。おかげで水戸藩の人材はことごとく斃れ、明治新政府で活躍できるような者は残っていなかったという。

散歩のシメにヴィオレでサンドイッチを買う。
おかみさんが「中で食べられますよお」と言ってくれたので、コーヒーを注文し店内でいただく。
ハムサンド、220円。コーヒー、200円。
玄米パンを1枚、おまけにくれた。もちもちで旨かった。