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2022年12月31日土曜日

大晦日

朝、パン、スープ、目玉焼き、ウィンナーソーセージ。

妻は今日も仕事。お疲れさん。

父とカスミへ買い物に行く。帰るとすぐに灯油を買いに行く。

昼はチャーハンを作って食べる。ちょっと足りないので、カップラーメンを食べる。

テレ東の『孤独のグルメ』を見る。昨年の大みそかスペシャルの再放送。井之頭五郎がミニで旅しながら食って食って食いまくる。いいねえ。




午後は車を2台洗車。疲れた。妻と夕方ビール。

さーて、これから年越し蕎麦を食べますか。


妻と子どもたちの今年の漢字は「猫」だそうであります。

2022年12月28日水曜日

『真景累ヶ淵・お久殺し』

先日、父と常総に出掛け、『真景累ヶ淵』ゆかりのお寺を見てきた。

一つは『真景累ヶ淵』の下敷きとなった怪談の主人公、累の墓所がある法蔵寺、もう一つは累の祟りを鎮めた祐天上人がいた弘教寺である。

累が夫与右衛門に殺害されたのが、法蔵寺に程近い鬼怒川のほとり累ヶ淵。そして、私が持ちネタにしている「お久殺し」で、お久が新吉によって殺されるのが、やはり累ヶ淵付近なのである。

 

「お久殺し」は『真景累ヶ淵』の中では比較的地味な場面である。直前には名場面「豊志賀の死」がある。どうしても、その後日談としての扱いを受けることが多い。以前、あるベテランの落語家が鈴本で『真景累ヶ淵』の続き物を演じた時も、この「お久殺し」を「豊志賀」の付け足しのような感じ(実際、そんなことをマクラで喋っていたし)で、ごくあっさりとやっていた。

 

私はそれが不満だった。「お久殺し」は重要な部分だと思う。何と言っても、ここで新吉は初めて殺人を犯すのだ。この後彼は悪の道に転げ落ちていくのだが、この時点ではまだ、人間に甘い所はあるものの、基本的に善人だったと思う。『真景累ヶ淵』全体から見ても、一大転機となる場面なのだ。

 

それに、お久という娘が何とも哀れだった。継母からの虐待から逃れ、新吉とともに下総羽生村で新生活を始めようという道行の途中、愛する新吉の手で殺されてしまう。救いがない。全くない。

お久のためにも「お久殺し」を、きちんとした一席の噺にしようと、私は考えたのだ、大それたことに。

 

下敷きにしたのは、岩波文庫、三遊亭圓朝作『真景累ヶ淵』。あえて落語家の音源は聴かなかった。

豊志賀と新吉の馴れ初めから豊志賀の死までは、あっさりと地の語りで済ませた。豊志賀の死の直前、新吉とお久が池之端の寿司屋の二階で語り合う場面もいいのだが、後のことを考えて割愛した。

物語の幕開けは、豊志賀の墓前から。そこでお久は継母の虐待を打ち明け、新吉に下総へ連れて逃げて欲しいと懇願する。私はここで新吉に「お前さんのことは、あたしが守る」と言わせた。新吉は本気でお久を守ろうとしたのだ。

そこから二人は手に手を取って駆け落ちをする。その晩泊った松戸の宿で契り。翌日、水海道から羽生村を目指す頃には、もう夜になっていた。

・・・あの辺の鬼怒川には何度も行った。そこから見える筑波山の形まで分かる。

やがて、雷鳴がとどろき雨が降り出す。羽生村へと土手を下りる道で、お久は足を滑らせ、土地の者が置いていった鎌で膝を突き刺してしまう。応急措置をして歩き出すが、新吉は豊志賀の幻影を見て逆上し、その鎌でお久を殺してしまう。我に返った新吉が、土砂降りの中、呆然と立ち尽くす場面でエンディングとした。

本来はその後、新吉が土手下の甚蔵という土地のならず者に出会う場面で切れ場となる。圓朝自身もそこで切っているのだが、私はカットした。あくまでお久と新吉に焦点を当てたかったのである。

私は、雨に打たれる新吉にこう呟かせた。「何でこうなるんだ・・・。俺はお前を守りたかっただけなんだ・・・」。

 

お久が新吉を誘ったように演じる人もいる。新吉を不実に描く人もいる。だけど、新吉は豊志賀を懸命に看病していたし、豊志賀を置いて家を飛び出したのだって、彼女の嫉妬からくる執拗な責め事に対して感情を爆発させたのだ。新吉は、お久の境遇に心から同情し、お久の純愛に応え、新たな土地で再出発することで、豊志賀の死から立ち直ろうとしたのだ。私はそう解釈した。

甘いかな。でも、そうでなければ、お久がかわいそうじゃないか。そう思って、私はこのような噺にした。たとえ、その悲劇的な結末から逃れ得なかったとしても、である。

法蔵寺、累の墓所の案内板

累の墓所


2022年12月26日月曜日

常総の酒蔵巡り

この前の土日は、両方とも落語を演っていた。

土曜は、つくばの老人ホームで『時そば』、日曜はみほ落語会で、やはり『時そば』。お客さまには楽しんでいただけたようだ。

『時そば』は、同期の悟空くんのネタ。落研時代はやっていない。ぶつぶつやってみたらできたので、稽古にかけてみた。梅八さんからアドバイスをいただき、直しを入れた。こういう定番ネタを持っていると、何かと便利でいい。


今日は休みを取って、父の酒蔵巡りに付き合う。今日は常総市の2軒の酒蔵を目指す。

まずは水海道の竹村酒造店。宝町商店街のすぐそばにある。


創業260年、もともとは近江商人だったという。先日、行った真壁の酒蔵も近江商人だったな。

店舗の向かいに広い駐車場があるが、以前はそこに酒蔵があった。今の店舗は、2015年の鬼怒川水害で被害を受け、新しく建てたものだいう。おかみさんが、とても丁寧に応対してくださった。


この井戸は水害の時、大活躍したという。

父はここで純米吟醸「京の夢」を買う。谷崎潤一郎の随筆からの命名とのこと。


せっかくだから国道を挟んでお向かいにあった八幡神社にお参り。


せっかくなので車を走らせ、浄土宗の名刹、弘教寺にお参り。ここには徳川家康の孫で豊臣秀頼に嫁いだ千姫の墓所がある。


またまたせっかくなので『真景累ヶ淵』ゆかりのお寺、法蔵寺へ。


累の墓所へ参る。『真景累ヶ淵』を(一部なりとも)持ちネタにするからには、とわずかばかりだが、お賽銭をあげて手を合わせ頭を垂れる。


父が見たがっていた坂野家住宅に行くが、中には入れなかった。残念。




さて、そこから鬼怒川沿いを北上し、石下に向かう。

石下は「紬美人」の野村醸造。明治30年(1897年)創業。私の祖母と同い年だ。





ここでもおかみさんが丁寧にお話してくださる。野村醸造さんも鬼怒川水害では水に浸かったという。あの時は常総市のおよそ三分の一が浸水した。今もその傷跡がそこここに見える。

現在は店舗兼住宅だった建物を改装し、フレンチレストランも営業している。今日はお休みだったが、おかみさんが中を見せてくださった。洒落た心地よい空間になっている。


ここで父は「紬美人・純米山廃づくり」を購入。


最後のシメはつくば市吉沼の浦里酒造。「霧筑波・初しぼり」をゲット。父はここでもご主人と歓談。




私は、この「霧筑波」で茨城の地酒の旨さを知った。

運転は疲れたけど、父はたいそう喜んでいた。よかったよ。


2022年12月18日日曜日

栄楽のラーメン

「飲んだり食ったり」の連続第3弾。つくば市北条の栄楽のラーメン、500円。


普通の店の大盛ぐらいの量があって、チャーシューも4枚もある。コスパが半端ないっす。お味もあっさり系の昔ながらの中華そば。飽きがこない味。週一でもいける。

コの字型のカウンターの他に、カウンターが二つ、テーブルが3つか4つ、ちょっと個性的なレイアウト。調理場に向かい合うカウンターのガラス窓にはファンシーなシールが貼ってある。いいねえ。


お店は昔のお城の堀端にある。外観もシブくていい。


2週連続で食べたよ。大上段に振りかぶったラーメンではないけど、そこがいいんだよね。

2022年12月17日土曜日

蔵 ツェッペリンカレー

今日は次男の学校の保護者面談に行った。

帰りに昼飯を食う。長男が高校の頃、学校帰りに寄っていたという中城通りの蔵という喫茶店に入った。

名物、ツェッペリンカレー、840円。


ライスが飛行船ツェッペリン号の形をしているのね。土浦名産の蓮根を使った、まろやかなポークカレー。旨し、であります。

食後にコーヒーを飲む。食事につけると300円になる。


昔の商家の煉瓦造りの蔵が店になっている。いい雰囲気だよね。


駅前の古本屋で本を買って、土浦の街を散歩して、ここでコーヒーを飲むのが、お気に入りのコース。

中城通りには古い建物が残っていて好きな場所だ。


天気が悪く寒い。この後行く所もあったので、早々に退散した。今度ゆっくり歩きたいなあ。

2022年12月15日木曜日

楼外楼でランチ

つくばの楼外楼。ここもずいぶん前からある店だ。シェフが「料理の鉄人」に出た時の写真が飾ってあるぐらいだから、古いよねえ。

この前、車検に行った時、長男と昼飯を食べた。けっこうお客が入っていたな。

私は角煮たっぷり麺にする。私はここの角煮たっぷり麺とサンマー麺がお気に入り。


この中に角煮がごろごろ入っている。
色んな香り、色んな味がする。

長男は中華麺を食べた。せっかくだから半チャーハンをつけて、半分こして食べる。

中華料理屋の本格チャーハンだ。

デザートに杏仁豆腐が出る。ジャスミン茶が大ぶりのポットに出て、二人で2000円でお釣りがくる。


イオンのフードコートに出店したこともあるけれど、ここの方が断然に旨い、と私は思います。

2022年12月11日日曜日

S君と飲む

昨日はS君と車で出かけた。

S君は1963年製のカルマンギアに乗っている。オープンにして走る。いい天気、気持ちいい。


 北条の栄楽でラーメンを食べる。帰りに北条蔵で来福特別純米の四合瓶を買う。


カスミでつまみを買い、明るいうちから飲み始める。S君と飲むのは久しぶりだ。若い頃は週末ごとに飲んで騒いでいたものだ。あの頃と同じように色んな話をしながら飲む。

8時頃、妻に迎えに来てもらう。

風呂上がりに1杯だけウィスキーを飲む。


今日の日記。

朝、マフィン、コーンスープ。

散歩がてら床屋に行く。ずいぶん寒くなった。


灯油を買いに行く。留守中S君が来て、昨夜の割り前を届けてくれる。

昼はからあげ丼、味噌汁。妻は午後から仕事。

長男と県議会議員選挙の投票に行く。帰って物置から昔のカセットテープを持って来て聴く。小泉今日子、石川秀美、三田寛子、原田知世というなかなかのラインナップ。B面は松田聖子だった。こんなテープ作ってたんだ。その後は、ビリー・ホリデイのレコードを聴きながら橋本治を読む。橋本の死の直後に出た『父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』(朝日新書)。

仕事から帰った妻と夕方ビール。

夕食は、妹の所からいただいたお肉でしゃぶしゃぶで酒。食後にウィスキーを飲む。


2022年12月8日木曜日

ジョン・レノンの命日に寄せて

 1980128日、ジョン・レノンは40歳で死んだ。しかし、彼がこの世から消滅した訳ではない。彼の22歳から40歳までに録音した楽曲はいつでも聴くことができる。夥しい量の映像も残されている。彼の文章や喋ったこと、描いた絵も楽しむことができる。ジョン・レノンは、今でも消費され続けている。

それでも、ジョンは40歳以上にはなれない。ジョンは40歳のまま静かに死に続けている。

私もいつの間にかジョンの齢を追い越した。追い越すどころか、もはや60を過ぎてしまった。60を過ぎた目で見ると色んなものが見えてくる。そんなことを、とりとめもなく書いてみたい。

 

母よ、私はあなたのものだったが、あなたは私のものではなかった

私はあなたが欲しかったが、あなたは私を欲しくなかった

だから、私はこう言うしかない さよなら、さよなら

 

父よ、あなたは私を捨てた 私はあなたを捨てなかったのに

私はあなたを必要としていたが、あなたは私が必要ではなかった

だから、私はこう言うしかない さよなら、さよなら

 

ジョン・レノン初のソロアルバム『ジョンの魂』のオープニングを飾る「マザー」の一節である。

ジョンが生まれた時、父のアルフレッド・レノンは船員として外洋にいて不在だった。母、ジュリアは一人でジョンを育てることができず、ともに実家で暮らすことになる。一時、アルフレッドが帰って来るが、夫婦仲が険悪となって間もなく出て行った。やがてジュリアはジョンを姉のミミに預けて新しい恋人と暮らし始める。

ジョンが6歳の時、アルフレッドが不意に姿を現し彼を連れ出した。一週間、父とブラックプールで暮らすが、ジュリアが連れ戻しに来る。幼いジョンに両親は、どちらかを選ぶよう迫った。初めジョンは「父さんといたい」と言ったが、悲嘆にくれる母を見て「母さん、ごめんなさい。やっぱり母さんと行く」と泣きながら訴えた。こうして、ジョンは母と一緒にリバプールへ帰るが、結局、もとのように伯母に預けられた。

この出来事はジョンの胸に深い傷を残す。あずかり知らぬ大人の事情に巻き込まれ、両親を傷つけた罪の意識を背負わされ、挙句の果てに捨てられたのだ。

後にジョンは母との交流を再開するが、18歳の時にジュリアは非番の警察官の車に轢かれ死んでしまう。

ジョン・レノンを理解するうえで、この幼少期の過酷な体験を抜きにして語ることはできない。

21歳でアートカレッジの同級生、シンシア・パウエルと結婚。これはシンシアが妊娠したからである。翌年、息子、ジュリアンが生まれる。後にジョンはジュリアンのことを「ウィスキーでできた子どもだ」と言った。「酔っ払ってやったらできちゃった」ということだ。

ジュリアンが生まれた1963年、ビートルズは瞬く間にスターダムにのし上がる。ジョンは乱痴気騒ぎのようなツアーに明け暮れ、家庭を顧みることはなかった。(考えてみればジョンも22歳のあんちゃんだ。家庭より乱痴気騒ぎの方が面白いに決まっている)

そして、ジョンはオノ・ヨーコと出会う。やがて二人は恋に落ち、ジョンとシンシアは離婚する。ジュリアン、5歳の時であった。ジョンは、自分の父と同じように、我が子ジュリアンを捨てたのだ。

ポール・マッカートニーはジュリアンのために名曲「ヘイ・ジュード」を作った。ポールはジュリアンをかわいがり、一緒に西部劇ごっこをして遊んだ。ジョンはポールに向かって「どうやったら子どもとそんなふうに遊べるんだ?」と訊いたという。

1970年、ビートルズ解散。ジョンとヨーコは一時別居するがよりを戻し、1975年、一粒種、ショーンを授かる。以後、ジョンは音楽活動を引退し、ハウスハズバンドとして育児に専念した。

もちろん、そこにはジュリアンにした仕打ちに対する後悔がある。ジョンは言う。

「五年間、常にそばにいてやれる時間を(ショーンに)与えたかったからだ。僕は一人目の息子の成長を見ずにきてしまい、気がつけば電話でバイクの話をするような一七歳の青年になってしまった。あの子が小さい頃、僕はツアーに出ていて、まったくそばにいてやれなかったんだ。この先どうなるかわからないが、子どもとの関りを怠った代償は大きい。〇歳から五歳の間見てやれなかったら、一六歳から二〇歳のあいだにもっとしっかり見てやる必要が出てくる。借りがあるんだから。宇宙の法則みたいなものだ」と。

引退前のアルバム『心の壁、愛の橋』のラストナンバーは、ジュリアンの叩くドラムに合わせてジョンが歌う「ヤ・ヤ」。「スタンド・バイ・ミー」のPVでは、冒頭にイギリスのファンへのメッセージとともにジュリアンに語りかける場面がある。ジョンは明らかにジュリアンとの交流を求めていた。(事実、1979年にはジュリアンをアメリカに呼び寄せ、一緒にフロリダを旅している)

1980年、音楽活動を再開。しかし、その直後、ジョンは凶弾に倒れる。この時、ショーンは5歳。ショーンもまたジュリアンと同じ、5歳で父と引き剥がされたのである。

ジュリアンは、父と同じミュージシャンの道を歩んだ。偉大な父と同じ道に進むのは、それだけで苦難の連続だろう。デビュー作は成功を収めたものの後が続かず、薬物にも溺れたという。それでもジュリアンは生き延びた。来年は還暦を迎える。ショーンもまた、今年47歳になった。二人とも、父の齢を追い越したか。よかった、と思う。

ジョンが書いた二人の息子への子守歌、「グッド・ナイト」と「ビューティフル・ボーイ」は両方とも「目を閉じなさい」から始まる。色々あったけど、ジョンにとって二人ともかけがえのない息子だったんだな。

 

今、改めて思う。やはりジョン・レノンは、あんなふうに死ぬべきではなかった。二人の息子たちのためにも。ジョンはジュリアンへの借りを返していないじゃないか。

 

今日は通勤の行き帰り、『ダブル・ファンタジー』と『ミルク・アンド・ハニー』を聴いた。ジョンの最後の録音だ。まだまだこの先があったはずだと思うと、とても悲しい。

『ミルク・アンド・ハニー』、ジョンのターンのラストナンバー「グロー・オールド・ウィズ・ミー」。ジョンはこの曲を「ウェディングソングのスタンダードナンバーになるよ」と言ったという。

私たちの結婚式に使わせてもらったよ、ジョン。本当にいい曲だ。私も君と同じ、二人の男の子の父親になった。まだまだ頑張るよ、ほんの少し君の曲に助けてもらいながら。

 

「ジョンの命日に何か書いてくれ」という高山T君のリクエストに応えて書いた。だらだらとまとまりのない文章になってしまったが、ご容赦願いたい。

なお、この文章は河出書房新社『文藝別冊/ジョン・レノン・フォーエバー』を参考にした。



2022年12月6日火曜日

最近の昼飯

このところ、昼飯は職場の外に出て食べている。

まずは柳家食堂。チャーハン。800円。


いかにも町の食堂らしい、しっとり系のチャーハンだ。チャーシュー、葱、卵、それにナルトが入っている。このナルトが大事。紅ショウガが添えてあるのがうれしい。


パラパラの本格チャーハンも旨いが、このまん丸い形のチャーハンも捨てがたい。


お次は栄食堂の刺身フライセット。1000円。


私的はこの店でこれがいちばんお得。ついつい頼んでしまう。

イワシとイカのフライ

まぐろと、何のお刺身だろう。日本酒飲みたくなっちゃうね。

天丼も、海老、ハゼ、穴子と素敵なラインナップ。いずれも1000円を超えてしまうので、まだ頼んでいない。懐があたたかい時に挑戦してみよう。

お店は涸沼川の近く。座敷からの眺めが抜群です。


最後は涸沼のほとりにある麺味亭、味噌ラーメン。650円。


外は冷たい雨。味噌ラーメンが身も心も温めてくれる。旨し。

お店も私好み。


こうやって見ると、同じような店で同じようなもの食ってんなあ。


2022年12月4日日曜日

妻とイーアスに行く

朝、御飯、味噌汁、チキンナゲット、スクランブルエッグ、鮭と明太子のふりかけ、海苔の佃煮。

妻とイーアスつくばに行く。お互いのクリスマスプレゼントを買う。

昼は美味俱楽部。私はビーフシチューハンバーグのセットを食べる。食後にチャイを飲む。

くまざわ書店で『文藝別冊・ジョン・レノン・フォーエバー』、『ひどい民話を語る会』(京極夏彦・多田克己・村上健司、黒史郎)を買う。aupayでお会計。「はじめてのおつかい」状態でした。

イーアスつくばは、クリスマスモードだった。


2時頃帰る。双子の甥が遊びに来ていた。子どもたちは、従兄のお兄ちゃんたちとゲームで盛り上がっていた。

妻と夕方ビール。

夕食は、妹夫婦からのお歳暮の鰻を鰻丼にする。その他に、酢の物、牛久からいただいたハム。八海山を飲む。


いよいよ本格的な冬到来か。明日は真冬の寒さになるという。


先日の朝焼けの風景。次は『芝浜』やりたいなあ。

2022年12月3日土曜日

今年も北条の街を歩いた

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ、佃煮。

次男は模試。妻は仕事。長男とコーヒーを淹れて飲む。長男は午後からバイトだ。


車検に出していた車を取りにつくばに行く。

つくば市北条に寄る。駐車場に車を停め、北条の街を歩く。








曇り空。寒い。雨がちらつく。気分が重くなる。コンビニで買った缶コーヒーのせいか小便がしたくなる。とりあえず車に戻り、平沢官衙跡へ行き、休憩所のトイレで用を足す。


近くの北条大池をぶらぶら歩く。


晴れてきた。もとの駐車場に戻り、街歩き再開。陽射しが出て暖かい。気持ちが上がってくる。




これは昔あったお城、多気城の堀だったという。

歩いているうちに旧筑波線の駅の跡に出る。多分、北条駅なのだろう。



元の駅前、線路沿いを歩く。



昼も過ぎた。そろそろ飯が食いたい。去年来た時はうどんを食べた。この辺りで、旨いラーメン屋があると聞く。今回はそれを食べたい。今まで歩いた道では見つからなかったので、歩いていない道をめちゃくちゃに歩く。


ふと見つけたこのお店、多分これだろうと思って中に入る。

ラーメン、500円。これがまた盛りがいい。ご主人がスープをこぼしながら持って来た。


チャーシュー4枚。これ、どう見ても大盛でしょう。コスパが半端じゃない。

昔ながらの真っ当な中華そば。旨し。お腹いっぱい食べた。満足満足。


帰り道、旧新治村、ゆうもあ村に行く途中にあった東城寺の仁王門を見る。




2時過ぎ帰る。妻と録画していた三谷幸喜の映画『記憶にございません』を観る。三谷の映画はテンポがよくて面白い。史上最低の総理大臣が記憶喪失になって、理想の政治を目指して突き進む、という話。絵空事かもしれないが、いいじゃないか。理想を求めるシンプルさがいい。


夕食はモツ炒め、大根豚バラ炒め、ワカサギのフリットで酒。伯母さんからもらった八海山大吟醸。これまた旨し。

食後に妻とワイン。寝しなにウィスキー。お手頃のシングルモルト「甲州」。