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2021年4月29日木曜日

今日は雨の日、昭和の日


朝、トースト、ハムステーキ、スクランブルエッグ、紅茶。

長男を教習所に送る。

午前中、ちょっと遅れたが妻の誕生日のプレゼントを買いに 、妻とABCマートに行く。

帰って、昼は明星チャルメラを食べる。

午後は長男のお迎え。めでたく卒検をパスしたという。

夕食は鶏のおろしソース、煮込み、ポテトサラダ、無限ピーマンで燗酒。食後にメロンで白ワイン。


今日は一日雨。代掻きの予定だったが、天気予報を見て父が昨日ひとりでやってしまった。すごい人だ。


そして今日は昭和の日。昭和天皇の誕生日。「激動の日々を経て復興を遂げた昭和の時代を顧み国の将来に思いをいたす」という趣旨で制定されたという。

ならば顧みよう。

あの大戦でアジアの国々に多大な迷惑をかけ、多くの無辜の民や有為の若者を死へ駆り立ててしまったあの昭和を。

今になって仲間内でしか通用しない、醜悪な歴史修正にいそしむ人々の姿を。それを権力者が後押しするのを。

昭和という時代は、大日本帝国から日本国へと国の体制が大きく変わった激動の時代だ。国の将来に思いをいたすとすれば、世界を相手に無謀な戦争に突き進んだ末に滅んだ大日本帝国の反省から出発した日本国の理念を形にしていくことが基本になければなるまい。

「奇跡の復興を果たした日本はすごい」を肥大化させる日ではないはずだ。

2021年4月25日日曜日

一周忌

今日は母の一周忌。

お寺で法要をし、お墓参りをし、本来なら会食となるのだが、コロナ第4波のためそのまま散会とする。

我々は家に帰り、お弁当をつまみに昼酒を飲む。

お弁当は母の好きな鰻にした。旨し。

去年の今頃は母も病院から戻り、庭の花や新緑や流れる雲を眺めていたっけ。私の仕事も在宅勤務となり、母のそばでずーっとPCでエクセルファイルと格闘していた。


ああ目も痛いほどの新緑の季節だ。


心配していた雨も降らず、いい一日だった。

夕食は豚の焼肉、酢の物でビール、酒。食後に妻と白ワイン。


明日から仕事かあ。休みはあっという間に終わるなあ。

 


2021年4月24日土曜日

今日の日記

朝、トースト、スープ、ハムステーキ。

長男と図書館。『風来坊』(舟木一夫)、『ガイド落語特選プラス100選』(京須偕充)、『日本詣で』(嵐山光三郎)を借りる。

昼は長崎ちゃんぽん。旨し。


『風来坊』(舟木一夫)を半日で読了。舟木一夫、55歳の時の自伝的エッセイ。このチョイスは高山T君が喜ぶに違いない。

舟木一夫は昭和19年(1944年)、愛知県一宮市生まれ。舟木が9人の「母」を持つほどの、無頼の父親のもとで育つ。昭和38年(1963年)、「高校三年生」で歌手デビュー。「修学旅行」「学園広場」などの青春歌謡で一躍時代の寵児となる。昭和60年(1985年)頃にはマネージャーも付き人もいない、カラオケのカセットテープを持参して健康ランドを回るという低迷期を迎える。その後、時代劇+歌謡ショーという舞台で復活を果たした。

「高校三年生」は私が5歳の時初めて人前で歌った歌。「修学旅行」は私のカラオケの得意ネタのひとつだ。舟木の自伝的名作「ロックンロールふるさと」は高山T君に教えてもらった名曲中の名曲である。

林与一や萬屋錦之介などとの交流や低迷期の苦い思い出、若くして亡くなった弟、苦労を掛けた妻、一粒種の息子への思いなどが、独特のべらんめえ調で語られる。びしびしと感じるのは舟木の芸人としての矜持だ。芸に対する真摯な態度は、以前読んだ東山紀之と響き合うような気がする。


午後は石岡を散歩。この間買ったオリンパスペンをお供にする。








 八幡通りの和菓子屋さんで、自家製のわらび餅を買って帰る。旨かった。

夕食は、父が那珂湊で買って来たフグの一夜干しの唐揚げ、トマトと玉ねぎのサラダ、ごぼうとひき肉のきんぴらでビール、酒。食後に白ワイン。

風呂に入って寝しなにボウモア。

2021年4月22日木曜日

多摩川園

その昔、東京都大田区に多摩川園という遊園地があった。

大正14年(1925年)開業。昭和54年(1979年)閉園。吉田初三郎のパノラマ絵図が掲載されている「東京横浜電鉄目黒蒲田電鉄案内」(昭和3年刊行と思われる)には、「家族連れ一日の行楽には最高適地なり」とあるという。

ウィキペディアによると昭和26年(1946年)にはヒグマが脱走し、市街地で警官隊が射殺した、という騒動があったらしい。

ここは親戚のあった川崎にほど近く、私が幼い頃泊りに行くと必ずといっていいほど連れて行ってくれた。田舎の子どもにとっては「夢の国」に匹敵する場所だった。

父が撮ってくれた写真が残っている。

写真というのは偉大だな。その瞬間を瞬間冷凍したようにフィルムの中に封じ込めてくれる。見るだけで、その時の空気や匂いまでも解凍してくれるような感じがするのだ。父がカメラに凝っていてくれたことに感謝したい。

私もできるだけ色んなものを撮っておこう。

ネットで調べたら、多摩川園の遊園地の写真はあまり残っていない。うちの写真はけっこう貴重だったんだ。せっかくだから、載せてみる。

河童の乗り物ですよ。

左上にちょっとだけ観覧車のゴンドラが写っています。

ちょうど東急の電車が止まっています。

昭和40年代の東京の風景。いいねえ。

2021年4月18日日曜日

休みの日

昨日の日記。

朝、さばトースト、紅茶。

妻は仕事。子どもたちと家にいる。バド・パウエルのトリオ、セロニアス・モンクのピアノソロ、ビル・エバンスのトリオを立て続けに聞く。仕上げはレコードでビリー・ホリデイ。

昼は子どもたちが作ったサラダうどん。旨かったよ。

午後、長男をバイトに送る。帰りに本屋に寄る。前の職場で親睦会からの餞別で図書カードをもらっていた。『主権者のいない国』(白井聡著)、『キツネ目 グリコ森永事件全真相』(岩瀬達也著)を買う。ハードカバーの本を買うのは久しぶり。

夕食は揚げ餃子、サラダ、ペンネで燗酒。食後に妻と赤ワイン。

寝しなにボウモア。


今日の日記。

朝、パン、ハムステーキ、スープ。

携帯のプランの相談にPCデポへ行く。結局、今よりは安くならないというので、そのままにする。私のガラホだけ、Wi-Fiにつなげるようにしてもらう。いよいよLINEデビュー。

妻が「定年の記念にカメラでも買いなよ」と言ってくれたので、デジタル一眼レフカメラを買うことにする。

ひとつ前のモデルのオリンパス・ペンがほぼ半額になっているに目をつけていたので、ありがたく購入する。奥さんありがとう。


帰ってカメラをいじる。ちょっと外に出て写真を撮る。




色々試しながら撮ってみよう。

夕食は、ちょっと早いのだけれど、妻のお誕生会をする。父が買って来た焼き鳥で、ビール、酒。ケーキを食べて、食後に妻は赤ワイン、私はボウモアを飲む。

一日中、強風が吹き荒れる。

2021年4月17日土曜日

池内 紀著『ヒトラーの時代 ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか』(中公新書)

 図書館で借りてきた。ドイツ文学者池内紀が「『ドイツ文学者』を名乗るかぎり、『ヒトラーの時代』を考え、自分なりに答えを出しておくのは課せられた義務ではないのか」(「あとがき」より)という思いに駆られ著した本。1930年代、ヒトラーが権力を掌握するまでの過程を鮮やかに分析し、分かりやすく解説してくれる。

ヒトラーは武力を用い強引に権力の座に就いたわけではない。選挙や国民投票など、極めて民主的な手続きを経て独裁者となった。

そのプロセスを、池内は以下のようにまとめる。

 

(ドイツには)第一次世界大戦終了後、狂乱の二〇年代があった。古今未曽有のインフレで、ドイツ・マルクが紙クズになり、預金が一挙にかぎりなくゼロに近くなった。失業者がうなぎのぼりで、総数六〇〇万をこえ、ドイツ人の一〇人に一人は失業者だった。ワイマール憲法は史上もっとも優れた憲法といわれたが、三〇をこえる政党の足の引っぱり合いで、どの政権も半年ともたない。とめどない混乱を縫ってナチスがめざましく勢力をひろげ、ついに過激を売りものにする極右政治家に首班の座をあけわたした。

ヒトラーは内閣を組織した翌日のラジオ演説で、「われに四ヵ年の猶予を与えよ、しかるのち批判し審判せよ」と大ミエをきった。誰もがいつもの大ボラだと考えていた。数カ月もせぬうちに行き詰まり、すごすごと政権を投げ出すだろう。

ところが、そうはならなかった。「ドイツ国民への檄」に始まり、きびすを接して「経済四ヵ年計画」「フォルクスワーゲン(国民車)」構想、「自動車専用道路計画」・・・。人気とりの青写真と思われていたことが、一つまた一つと実現する。日ごとに膨大な雇用の場が生まれ、六〇〇万もの失業者が、めだって減っていく。約束の四年が過ぎたとき、全国民所得が一・五倍にふえ、失業者は一〇〇万台にまで減少していた。

   (中略)

1933年~38年は)ドイツ国民がやっと迎えた「平穏の時代」であり、安らぎの時期だった。経済が安定し、暮らしが目に見えて向上した。ナチス体制は多少とも窮屈であれ、体制に口出しさえしなければ平穏に暮らせる。ナチ党員のユダヤ人苛めは目にあまるが、われ関せずをきめこめばすむこと。ナチスの好きな式典の華麗さ、もどってきた戦車隊の大行進、強大な戦艦、短期間にヨーロッパ一に整備されたドイツの翼。第一次世界大戦後、打ちひしがれていた国民感情が誇りと自負をとりもどした。そのすべてがヒトラー総統の偉業によった—。

 

大衆は、ヒトラーを、ナチスを支持したのだ。確かにナチスは雇用を安定させ、地に落ちたドイツ経済を回復させた。しかし、それは個人の自由や多様性と引き換えにしたものだった。大衆は生活の安定と引き換えに個人の尊厳を差し出した。そして体制側につくことで、少数派を蔑み踏みつけにするサディスティックな快感を得るに至る。体制側からこぼれまいと強度な相互監視社会を生み出した。

もちろんドイツ国民の全てがナチスを支持したわけではない。ナチスが議会の第一党に躍り出た総選挙ですら得票率は43パーセント程度で、議席は過半数に満たなかった。だが議事堂放火事件を利用して共産党を排除し国会運営の実権を握ると、非常事態宣言から一気に全権委任まで突き進んだのである。ナチスに批判的な人々は、あれよあれよという間に少数派に追いやられ、体制側につかない限り冷遇されることとなった。

ナチスの得意技に「敵を設定して攻撃することで人々の不満を転嫁させる」という手法がある。ナチスの場合、その対象がユダヤ人だった。「ユダヤ人がドイツの経済界を支配し富を独占している」と繰り返し攻撃することで、インフレの苦しみをユダヤ人への憎悪に転嫁させたのである。

それは「日本社会は在日が支配している」としつこく繰り返す、我が国のある人々と見事に重なり合う。

池内はこうも書いている。

 

ヒトラーが呼びかけたのはつねにこの「国民の皆さま」だった。お得意の演説、ただ一つの標的を狙うように多数派市民に向けられていた。何かあれば、みんなといっしょでいたがる「よき市民たち」である。

 

そしてそれは「多数派でいないと不安でならない。他の誰かに利をさらわれそうで落ち着かない」人々である。それはまるで、少数の貧困者に対する援助に目くじらを立てて攻撃する、我が国のある人々に重ならないだろうか。

 

またこのような記述もある。

 

(マスコミは)多数派の市民に陰謀幻想を煽り立てた。政治家が大衆迎合的効果を図って、マスコミに便乗する。選挙戦のワンフレーズにして訴える。誇張して注目させ、おどしをかけて燃え上がらせる。

 

これは我が国のある種のマスコミと政権を言ったものとしても充分に通用するのではないか。

 

明らかに池内は現在の我が国を意識してこの本を書いている。

この本が出たのは20197月。前政権現政権やある種の人々のやり方は、ここ1、2年でかなり可視化され「みえみえ」となったが、油断はできない。ヒトラーやナチスのやり方もかなり「みえみえ」だったのであり、その「みえみえ」のやり方で彼らはああいうことをしでかしてしまったのだ。それに「過激を売りものにする極右政治家」など、我が国にも掃いて捨てるほどいるのである。

池内は2019830日に亡くなった。ということは、ここに書かれていたのは彼の遺言のようなものか。そう思って心に刻んでおきたい。

2021年4月14日水曜日

4月は苦手

週の真ん中水曜日。休肝日明け。豚の生姜焼き、ホタテのバター焼き、ポテトサラダで燗酒を飲む。

この頃は夜10時を過ぎると眠くて眠くてしょうがない。体が疲れているんだね。昨夜は寝言が多かったと妻に言われた。

「何言っているかは分からないけど、何だか悲しげな感じだったよ」という。

全く覚えがないな。どんな夢を見たかも覚えてないし。大丈夫か、俺。


4月は昔から苦手だ。新しい人間関係が始まり、お互いまだ距離感がうまくつかめないので、何だかぎくしゃくして面倒くさい。

まして今年は12年いた職場を離れての新天地だ。やることなすこと慣れないことばかり。「使えねー年寄りが来たな」と思われているかもしれないな。

まあ取りあえず、木々は緑。新しい命がうれしいうれしいと言わんばかりに萌え出している。

今ある景色を愛でながら、自分にできることを誠実にやっていくしかないな。


菜の花が咲き乱れる下の畑。


この前の日曜日は神崎へ行く。

川のある風景はいいなあ。



 

2021年4月10日土曜日

早くも新緑の季節

朝、パン、オニオンスープ、ウィンナーソーセージと卵の炒めもの。うちはホームベーカリーを使っているので、休日の朝には焼きたてのパンが食べられる。


午前中、図書館で借りた『セロニアス・モンクのいる風景』(村上春樹編)を読む。残り3分の1ぐらいだったが、CDでモンクの『クロス・クロス』を聴き終わったところで読了。

そうか、この本は安西水丸が亡くなった直後に出たのか。表紙は、若かりし頃の水丸がニューヨークのライヴハウスでモンクから煙草をねだられたというエピソードをイラストにしたもの。描いたのは和田誠である。(亡くなった水丸の代わりに描いたのだ)

水丸がモンクにあげた煙草はハイライト。そのハイライトのパッケージをデザインしたのが和田誠だ。色々な意味ですごいな。


息子二人を連れて図書館に行く。今日は『ヒトラーの時代』(池内紀・中公新書)を借りてきた。ナチスのメディアを総動員して国家を一色に染め上げていく手法に戦慄する。

ナチスはやがて領土拡張を目論み、世界を相手に戦争をした挙句に自壊したが、ただ権力維持のみを目的にしていたらと思うと空恐ろしい。それをやっているのが、我が国のここ10年の政権であり、西の方の地方自治体なのではないだろうか。以前、「ナチスの手法に学んだらどうか」と言った人がいたが、彼らは確実に学んでいると思う。


もはや新緑の季節。季節がひと月進んでいるような気がする。





 下の畑は早くも八重桜が見頃です。


昼は次男が作った生ラーメン。

夕食は鶏のおろしソース、ペンネ、菜花のごまあえで燗酒。食後に妻と白ワイン。

寝しなにボウモア。


2021年4月7日水曜日

さよならの昼飯

定年前の昼飯。

まずは、とらじ苑。同い年のおじさんと食いに行く。

ここはお手頃のランチが評判だが、この日は奮発して石焼ビビンバ定食に、カルビとハラミを単品で頼む。

石焼ビビンバ定食は、ランチで800円。

スープ、付け合わせなどの脇役もいい。

カルビ単品は800円、ハラミは700円。

 本格的韓国料理。旨し。


こちらはおぬま食堂。塩ポーク定食、1000円。

ポークは鉾田特産「まごころ豚」。
どうです? 味噌汁はあさり、デザートはパイナップルですよ。

厚切りの豚肉が好き。
塩とわさびとの相性がたまらん。

食後はコーヒーが付くのだ。

これから新しい職場で、新しい店を探そうっと。


2021年4月3日土曜日

お花見をした

朝、パン、ホットミルク、ハムステーキ。

早くも柿の若葉が出てきた。


物置からマンガを持って来る。

大友克洋『ハイウェイスター』、萩尾望都『訪問者』を読む。

『ハイウェイスター』は大友の第2作品集。相変わらず身も蓋もないドタバタ喜劇が多いが、後半にはぐっとシリアスな方に傾いてゆく。「あしたの約束」は、多分『童夢』の源流。大友のその後の飛翔を予感させる作品集である。

『訪問者』は『トーマの心臓』のサイドストーリー。オスカー・ライザー幼少時代のお話。もう涙腺崩壊です。私の中では萩尾望都の最高傑作だな。

今日はセロニアス・モンクを聴く。モンクといえば、かつての鉾田の「もんく」を思い出す。数年前、惜しまれつつ閉店したが、最近店舗があった建物を取り壊していた。寂しい。


あの伝説のナポリミートをもう一度食べたい。



昼は御飯、味噌汁、焼肉、ウィンナーソーセージ、キムチ、みつばのおひたし。

午後、石岡を散歩する。





4時頃帰る。下の畑に降りて花見。発泡酒を1本飲む。いいねえ。



夕食は鶏の唐揚げ、エシャレット、ポテトフライ、塩辛でビール、燗酒。

食後に妻と白ワインを飲んでいると、Iくんから電話が来る。高校大学の同級生で、元同僚。東日本大震災直後に早期退職し、今は福島で働いている。

「定年お疲れ様、これが言いたかった」と言ってくれた。ありがとう。胸にしみる。

Iくんはこのブログにも登場している。それがこちら。

鮟鱇鍋ツアー① 鮟鱇鍋ツアー② 鮟鱇鍋ツアー③


寝しなにボウモア。

2021年4月2日金曜日

歓送迎会はなし、寿司を食う

12年勤めた職場を離れて、昨日から新しい環境で働いている。

状況の変化に弱い私にとっては、なかなかにきつい日々が続くが何とか頑張ろうと思う。


今日は本来なら職場の歓送迎会があるのだが、このご時世なので何もなし。

せめて家でご馳走を食べようと、寿司をとる。

寿司は特上、酒は同僚からもらった獺祭。もう旨くないわけがない。



 妻曰く、「ちっとも生臭くないんだよねえ」と。

全くその通り。うちの男どもは、そろって大トロを最後まで残して食べていた。次男はしみじみと味わって食べていたな。「次、いつ食べられるか分からない」とのこと。これも全くその通り、である。

食後は妻と白ワイン。

寝しなにボウモア。


まあこれでひと区切り。これから新しい日常が始まる。