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2016年2月29日月曜日

今年もまた、大洗の宴

今年もまた、昔の職場の仲間と1泊の宴会をやった。
メンバーのKさんが「海の近くがいい」というので、ここ数年、場所は那珂湊か大洗だ。
今年は大洗。磯前神社下の宿を取る。

車で行くのが手っ取り早いが、「小さな旅」の気分を味わいたくて鉄道を使う。常磐線で水戸へ出て、鹿島臨海鉄道に乗り換え、大洗に着いたのがお昼頃。
大洗は、アニメの舞台になったことから、観光客が増えている。昨年乗った湊線に比べ、車内が何となく浮かれている。ほとんどの乗客が水戸からの乗り換えのせいか、精算窓口には長い行列ができていた。アニメ人気恐るべし、である。



駅から、ぶらぶら商店街の方に歩く。
「聖地巡礼」って言うんですか、一眼レフのカメラを手にしている人たちが目立つ。
混まないうちに昼食にしたい。当てずっぽうに柳屋という食堂に入る。
メニューを見ると、中華から洋食、そば、うどんと何でもあり。地元の人々が集う、私好みのお店。
ここは基本に則っていこうと、ラーメンとビールを頼む。ラーメンは何の衒いもない「中華そば」。いいねえ。店内の客は私を入れて4、5人だが、出前も入っているみたいで忙しそう。次の機会があれば、チキンライスもいいなあ。

それから、商店街が尽きるまでぶらぶら歩く。(この時撮った写真は後日アップします)
ここまできたら、と磯前神社にお参り。磯前神社は海に臨む高台に建つ、1160年の歴史を持つ由緒ある神社である。


石段の上からの眺めは、まさに絶景ですな。

いささか疲れたので、鳥居を出た向かいにある大洗美術館に入ってみる。
いつもは車で素通りなので、入るのは初めて。入場料500円。サービスでコーヒーが付く。
明治の実業家、渋沢栄一の息子、秀雄が小学5年生の時に水戸旅行をした際の水彩画が面白かった。
目玉は、窓外の風景を一幅の絵に見立てたもの。その絶景がこれです。


昼はラーメンだけだったので、小腹が空いた。そこで漁港近くまで歩き、回転寿司に入る。
ビールを飲みながら、イカ、鯵、つぶ貝をつまむ。ビールに皿3枚で軽く1000円を超えた。「はま寿司」に慣れた身にはちょっと高いなあと思うけど、こっちの方が適正価格なのかもしれない。


もう1回、商店街に戻ってぶらついて、3時過ぎに宿に入る。
風呂に入って、湯上りにビール。この日ついに中瓶3本目。でも、やっぱり旨いんだな。


やがて、Oさん、Kさん、Sさんの順でメンバーが揃う。
そして、予定通り6時開宴。
あん肝。めひかりの唐揚げ。めばるの煮つけ。刺身はまぐろ、かんぱち、さより、ほたてというラインナップ。メインにあんこう鍋がどーんと鎮座まします。ここ近年ではトップクラスの豪華さだ。



宴会場で大いに飲み、かつ食うこと3時間。シメの雑炊まできっちり楽しむ。
2次会は部屋で、日付が変わる頃まで。
昔話に花が咲き、今の話に力を貰う。お互い齢は取ったけど、瞬時にあの頃に帰ることができる。
年1回のお楽しみ。来年もまた、シブいとこ探そっと。




2016年2月24日水曜日

ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』

一昨年の今頃、21年半乗ったミニを新しいミニに買い換えた。
前のミニには、妹から貰ったカーオーディオを積んでいたのだが、5年ほどで壊れ、それ以後車の中で音を楽しんだことはなかった。
新しいミニでは、もちろんラジオもCDも聴ける。
朝の通勤では、いつもNHK-FMを聴いている。月曜日は「キラクラ」、火曜から金曜は「クラシック・カフェ」。今朝の「クラシック・カフェ」はヤナーチャックの『シンフォニエッタ』がかかった。
ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』といえば、村上春樹ファンには『1Q84』でお馴染みの曲だ。
『1Q84』の冒頭、この小説のヒロインである青豆は『シンフォニエッタ』を、渋滞の首都高3号線のタクシーの中で聴きながら、ボヘミアの草原を吹く、のびやかな風に思いをはせる。
この曲が書かれたのは1926年。日本では年号が大正から昭和に変わった年である。その当時の日本について、村上は「日本でも暗い嫌な時代がそろそろ始まろうとしていた。モダニズムとデモクラシーの短い間奏曲が終わり、ファシズムが幅をきかせるようになる。」と書いている。(何となく他人事には思えないな)
『シンフォニエッタ』のメロディーは、チェコスロバキアの伝統音楽を下敷きにしたものだという。私もしばしボヘミアの草原を吹く風に身を任せる。

仕事から帰ると、先代の風柳師から先日参加したOB会の写真が届いていた。こんな末端の後輩にまでありがとうございます。次回は是非、2次会以降も参加させていただきます。

夕食は、餃子、回鍋肉、肉じゃが、なめこ汁で燗酒。夜になって雨が降り出す。

新しいミニ。


2016年2月22日月曜日

土浦、亀屋のカツカレー


土浦、亀城公園前にある亀屋のカツカレー。
カツは揚げたてのサクサク。ポテトサラダ、スープが付いて、900円。
真っ当な味。旨し。

亀屋といえばカツ丼だが、他にもそそるメニューは多い。
オムライス、ラーメン、ポークソテー(ポークソテーは前に食べたことがあるが、これもまた旨かった)、「亀屋のスペシャルプレート、1300円」なんてのもある。(ああ気になる)
長年ここで商売して、地元の人に愛されて、近郷の人は「土浦に出て亀屋でカツ丼」というのを楽しみにやって来る、というお店。いつまでもいつまでも、変わらないでいて欲しいなあ。

ではカツカレーのアップです。



店先にあるサンプルもいいねえ。

2016年2月21日日曜日

土浦散歩

今日は、長男が英検の2次試験を受けるというので、土浦まで送迎。
試験中、久々の土浦散歩と洒落こむ。
今は雛祭りの真っ最中。ほどほどの賑わいといったところ。
中城通りからモール505の辺りまで、1時間ほどぶらつく。

まちかど蔵野村。


土蔵を利用したお汁粉屋。

老舗の蕎麦屋。吾妻庵総本店。

ほたて食堂。その昔は海軍の指定食堂だったという。

ほたて食堂の前にある桜橋の遺構。
昔、店の前の道路は川だった。

『ぶらり瓢箪』というのは高田保が一世を風靡した随筆。
土浦土産の最中にもなるくらい有名だったのだなあ。
木村伊兵衛が撮った高田のポートレートは、飄々とした実にいい顔をしている。

高田保の碑。
私も『ぶらり瓢箪』は読んだことがない。

この裏通り、好きなんだよね。

駐車場の奥に煉瓦造りのシブい建物を発見。


モール505は閑散としておりました。


イトーヨーカドーの跡は市役所になったのね。

イトーヨーカドーがあった頃の絵が高架道の下に飾られていた。

12時ちょっと前、試験を終えた長男と合流。
昼食を亀屋で食べる。
長男はカツ丼、私はカツカレー。長男は初めて食べる「亀屋のカツ丼」に、いたく感動しておりました。



2016年2月17日水曜日

出口一雄、交通事故に遭う

出口一雄と京須偕充が出会った昭和48年春、出口は既に昼間も酒を飲むようになっていた。
三遊亭圓生は京須との雑談の中で、
「どうもあの出口てェものは、以前はまことにテキパキと切れる男でしたが、この数年少々変わりました。交通事故がいけなかったのかな」
と前置きしながら、
「何年か前になりますかねえ、たしか神田の須田町のあたりだったと思いました。どういう事故か、あたくしはよく知らないが、頭を打ったとかで、一時は危ぶまれてあたくしどもも随分心配しました。まア、いい按配に治って仕事に戻ったんですが、その頃でしょうかねえ、昼間も飲むという話を聞くようになったのは。やはりどこか具合が悪くて酒で紛らそうとしているのかも知れませんねえ」
と語ったという。(圓生の台詞は、京須偕充著『みんな芸の虫』中「鬼の眼にも涙」から引用した) 

この交通事故について、Suziさんに訊いてみたら、こんな答えが返ってきた。 

「帰宅するのでタクシーに乗っていたら(もう夜中近く)、そのタクシーが交通事故に遭った。(運転手が悪いのではなく相手が横からものすごい勢いで当たってきた)どういう訳か運悪く伯父の座ってた側のドアが開いてしまい投げ出された。これも運悪く、頭のてっぺんを歩道の縁石にパッカーーっとぶっつけた。飲んでいるから本人はビックリもしなかったらしいけど、ひどくぶつけ、出血多く一時は危ない!!ってな状態でICU入りでしたが、助かったんです。伯母は驚いたーーー!、って言ってましたよ。(事故の時間帯とどんな状況だったか―縁石に当たった云々など―は事実です)
私も病院に行きましたが、包帯をぐるぐる頭に巻いていました。『わー、凄い』と思わず声を出しましたね。
芸人さんからの花束のお見舞いがメチャメチャに多く、香りと花粉でくしゃみが出ると圧がかかって出血が止まらないからと、医師から花束禁止令が出されたんです。そこで、カードだけは残して花束は他の病室行き。何をやっても何が起きても落語の世界です。
カードと言ったって日本はカードを書くなんてカッコイイカードはないし、ましてやその当時の落語家さんはそんなことには無縁の世界の人たち。花束に棒に刺さった小さな宛名書きの札がくっついてくるだけですからねえ。その紙っ切れがうず高く窓際に積まれていて、なんとも殺風景な病室でした。
そしてカード(?)を残した理由は、後になって伯母が礼状やお返しをする人たちへの記録でどうしても必要だったんです。
この頃は確か伯母の妹の御主人の水野さんが秘書をやっていたんじゃないかな、と記憶しています。」 

その後、出口の様子がどう変わったかは詳しくは分からない。仕事仲間からの印象では、事故からの復帰後、昼間でも酒を飲むようになったということらしい。(私は、桂文楽の死もそこに大きな影響を与えていると思うのだが) 

Suziさんの証言によると、やはり出口が昼酒をやるようになったのは事故後のことらしい。
さらに彼女はこう語る。 

「私の勝手な想像ですが、文楽師匠が亡くなったのが一番の原因だと思っています。それがたまたま事故の頃と重なり、事故の後遺症(首が思うように動かなくなったという)もあり、だと思います。人のバイオリズムってツキの良いときはいくらでも良い風が吹き、良くない時は良くない激しい嵐の風が吹く、のではないでしょうか。伯父は寂しくて仕方なかったのではないかと思いますね。私の父もそんなことを言っていました。
そしてもう一つ、事故後は急にお酒に弱くなったのも事実です。すぐに酔ってしまうんです。足元もふらつきが早くなりました。年齢と心の不安定、そんな要因が全て重なったのだと思います。姪の私と何気ない話をしていても少量のお酒で酔いの回るのが見えましたし、文楽さんが亡くなった後は急加速で涙もろくなりましたね。」 

この事故が、その後の昼酒の件も含め、結果的に出口の寿命を縮めることになったのだろう。
内海桂子は「出口さんは交通事故が元でお亡くなりになってしまいました。」と新聞社の取材に答えている。

内海桂子の記事。
Suziさん提供。

2016年2月15日月曜日

今日は真冬


昨日初夏の陽気だと思いきや、今日は一転して真冬の寒さ。あまつさえ、雪が降りだした。
その気温差、20℃という。あきれたもんだねえ。
昼は久々に外食。ときわでオムライス大盛りを食べる。この量がハンパない。旨かったから食べ切れたけど。私も齢だねえ。

ふと思った。前の西の方の市長さんみたいな人は、傍から見れば面白いんだろうけど、下で働くとなったら大変だろう。だけど、ああいう人を生む空気がこの時代にあるとしたら、ああいう人はこれからもどんどん出て来るんだろうな。しんどい世の中だ。
私はけっこうブログを使って現実逃避しては浮世の憂さを紛らわしておりますが。
勝つことはできないかもしれないが、負けなきゃいいや。

大福さんのブログ、久々の更新。昔の写真懐かしかったよ。無理させちゃったみたいですみません。でも、読者の一人として更新は楽しみにしていますよ。

2016年2月14日日曜日

春一番


今日、春一番が吹く。
朝から、雨風。家が揺れるほどの強風だった。
南風に加え、午後からは晴れて、最高気温23度に達する。
春を通り越して初夏の陽気。いったいどうなっているのだ。

おやつに妻が作ったバレンタインデーのチョコレートケーキを食べ、車のオイル交換に土浦へ行く。
帰りに本屋に寄ったが、欲しい本はなし。無理にお金を使うこともないか、とそのまま帰って来る。

夕食は刺身で酒。暖かかったので、冷やで飲む。親父が笠間で買って来た、松緑特別純米。旨し、でした。


もうすぐ春ですね。
・・・「春一番」といえば、私たちの世代は、キャンディーズですなあ。



2016年2月8日月曜日

麻生温泉白帆の湯


昨日は、妻子を連れ、麻生温泉白帆の湯に行く。
何といっても風呂場のロケーションは最高。目の前にばーんと霞ヶ浦が広がる。
この日は、かすかにだが富士山も見えた。
のんびりお湯に浸かってあったまる。もう頭ん中が空っぽになりますな。
湯上りに、2階の食堂兼休憩室でキンと冷えたコーヒー牛乳をごくごく。
子どもたちは、本棚にあった『こち亀』にはまる。
『こち亀』って、少年ジャンプに連載が始まったのが、1976年。ってことは今年で40周年か。すげえなあ。作者秋本治は、デビュー当時「山止たつひこ」を名乗っていた。当時『がきデカ』で一世を風靡し、後に小説家に転じた山上たつひこをもじった名前である。山上本人から苦情が来て変えたというが、そもそもそういう名前を名乗ること自体、尋常じゃない。
子どもたちは、あのドタバタがたまんないみたい。本当に面白いものは時を超えるんだな。
昼食に醤油ラーメンといなり寿司を食べる。ラーメンに胡椒をかけ過ぎてしまい、いささか悔いが残った。
食休みをしてもう1回、風呂に入って帰る。
妻と長男のしもやけも大分楽になったみたい。

帰り道、次男のリクエストで石岡イオンまで足を延ばし、ゲーセンで遊ばせる。
3時ごろ帰宅。
イオンで買って来たハートチップル(アメトークの「にんにく芸人」の回を見て食べたくなったのだ)をつまみに、ヱビスビールを飲む。
夕食は節分で使ったイワシの焼いたので燗酒。このイワシがけっこう旨かったなあ。

写真は、白帆の湯、休憩室からの眺め。いいでしょう。


2016年2月6日土曜日

石岡散歩 総社宮にお参り

昼はどん兵衛。普通5分待ちのところ、倍の10分にすると旨い、という話を聞き、試してみる。
なるほど、麺はもちもち、おあげはふっくら。旨し、です。

午後はちょっとだけ、石岡の街を散歩する。
まずは、中町通りから。

久松商店の窓枠のデザインがいい。

市民会館の方へ向かう。

平松理容店。

総社宮にお参り。全国でも最古の総社宮とのこと。







日本武尊、腰掛石。

余談。『常陸風土記』によると、日本武尊は現在の小美玉市玉里地区に立ち寄り、桑原の丘という所で、食事をなさった。その際、井戸を掘らせたところ、湧き出た水が清らかで香しく美味であったため、「よくたまれる水かな」と仰せになったことから、この地を田余(たあまり=たまり)というようになったという。
ちなみに日本武尊は、その後現在の行方市玉造地区へ行き、やはり行方の地名の由来となるエピソードを残している。

総社宮内をもう少し。

この道を下りて、寒禊をするという。


禊の場所。

総社宮はいかにも清浄な雰囲気が漂っておりました。

ぶらぶら中町方面へと向かう。
上池公園。
昔はここに市民プールがあった。
正面になぜかミニチュアの前方後円墳がある。






町かど蔵に戻って、お散歩終了。

1時間ほどの散歩。ちょっと寒かったけど、いい運動になりました。