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2014年4月29日火曜日

とりたてて何もない一日

朝、ごはん、シチュー。
物置から、飯島耕一の詩集『上野をさまよって奥羽を透視する』を持って来て読む。
奥付を見ると1980年初版。重版があったかは知らない。
向ヶ丘遊園駅前の中和ビルの中にあった本屋で買ったんじゃなかったかなあ。
飯島の、個人的な散文的な、この詩集が好きだった。
作者の名を冠した『**詩集』というのが、ベスト盤であるのに対し、こちらはオリジナルアルバムといった感じかな。全てがその人の最高水準というわけではないが、それぞれの作品に統一感がある。
『上野をさまよって・・・』は東京をうたったものだ。しかも昭和50年代の、まさに私の大学時代の東京。そして、飯島のまなざしは歴史的だ。過去は彼岸にあるのではない。あくまで現在は過去と地続きにある。
昼は緑のたぬき。
午後は石岡イオンで買い物。
だらだらしながら、漱石『道草』、日本ペンクラブ編『私小説名作選』を読む。
夕方、イオンで買って来たギネスを飲む。
夕食はお好み焼きでビール、酒。
とりたてて何もない一日だったけど、のんびりしたよ。

玄関先のパンジー、随分大きくふくらんだねえ。

2014年4月26日土曜日

八重桜満開

朝、妻が牛久のパヌトンで買って来たパン、牛乳、ハムエッグ。
洗車をして、午前中は、漱石の『道草』を読む。
昼食は、パスタ。カルボナーラとミートソースを大皿に盛って、取り分けて食べる。
午後は床屋。いつもは車で行くのだが、天気がいいので、散歩がてら歩いて行く。
下の畑の八重桜が満開。
散髪は、いつものように、髭剃りの頃には熟睡。コーヒーをご馳走になる。もうかれこれ40年、ここで髪を切ってもらっている。まったりして居心地がいい。
帰ってから、本屋に行って、村上春樹『女のいない男たち』を買って来る。
夕方に缶ビールを一本飲む。明るいうちから飲むビールは旨いねえ。
夕食は、豚の冷しゃぶともやし炒め、揚げ餃子で酒。
数日前から、夜になると蛙の声が聞こえるようになった。
下の畑の菜の花。
柿の若葉。

2014年4月25日金曜日

『永遠の詩08 八木重吉』

小学館から出た、「永遠の詩」シリーズ全8冊の、最後を飾る本である。
私が八木重吉の名前を知ったのは、20年ほど前か。確か、新潮文庫から出ていた、『近代名詩選』(上・中・下)の中に、彼の作品が入っていたのだ。
重吉の詩は短い。ほんの1センテンスのものが、けっこうある。
「かなしみと/わたしと/足をからませて たどたどとゆく」(悲しみ)とか、「ほそい/がらすが/びいん と/われました」(ほそい がらす)とか、まるで自由律の俳句や啄木の歌のようだ。
石川啄木が妻子から逃げるように借金を重ね遊興にふけり、自由律俳句の尾崎放哉や種田山頭火が実社会そのものを捨てたのに対し、八木重吉は、生涯を通して、敬虔なクリスチャンであり、よき夫、よき父、よき教師として生きた。重吉の詩には、そんなふうに誠実に人生に向き合う姿勢と、生きることのかなしさにあふれている。
しかし、重吉は愛する妻や子を遺し、29歳で結核で死ぬ。
「桃子/お父ちゃんはね/早く快くなってお前と遊びたいよ」(春)なんて、涙なくして読めないよなあ。
そして、二人の子どもも、10代で、父と同じ結核で死んでしまうのだ。重吉の妻、とみの悲嘆たるや想像を絶するものがある。
しかし、とみは戦火の中でも、重吉の詩稿を守り通した。そして、歌人吉野秀雄と再婚し、吉野の援助を受けて、『八木重吉詩集』を世に出すことになる。
今、私たちが重吉の詩を読むことができるのは、とみのおかげであり、とみを助けた吉野秀雄のおかげである。重吉の人生は短かったが、その言葉は永遠のものとなった。それも、重吉が愛し、重吉を愛した人たちの力があったが故のことだ。
この奇跡のような美しい言葉を、私は大切に大切にしていきたいと思う。







2014年4月22日火曜日

若葉の季節


桜の時期が過ぎると、若葉の季節ですな。
うちの柿の葉も色鮮やかに萌え出してきました。
この季節は、仕事が回り出して、その分、細々とした行き違いやトラブルなんかが起きてくる頃で、もともと私は苦手なのだが、それでも、この景色はいいもんだ。木々の緑は、こんなに多彩なんだと感動すら覚えます。
こうなると、「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」となるんでしょうが、どうやら今年は鰹が不漁らしい。
海の水温が低いというのと、固体そのものが減少しているというのが、考えられる原因だという。
鰹は大好きだが、なくなってしまっては元も子もない。しばらくは我慢して、ほどほどに楽しむことにしようと思います。


「友がみな我よりえらく見ゆる日よ/花を買い来て/妻としたしむ」という啄木の歌が何だか心にしみる。
偉いのは友ばかりじゃない。皆それぞれに偉いのだろう。
ってことは、私もまた、ちょっとぐらいは偉いってことだよね。


裏山も新緑。いいねえ。

2014年4月20日日曜日

サイノ サイノランチ

先日、つくばのQ’tに時計を直しに行った時の昼食。
3階のレストラン街にあるサイノというカレー屋。
店員さんは全て本場の方々。厨房にはヒンドゥー語と思しき言語が飛び交っている。
サイノランチ。2種類のカレー、サラダ、サフランライス、ナン、これにソフトドリンクが付いて1000円。
カレーは好きなのを頼める。私はチキンとマトンをオーダー。マトンの方がちょいと辛い。両方とも旨かったねえ。
けっこうなボリューム。ナンなんか皿からはみ出ているもんな。満足満足でした。

2014年4月19日土曜日

散歩の途中

古い町並みを見ながら、カメラをぶら下げて散歩するのが好きだ。
気に入った建物を見つけると、せっせと写真に撮っている。
私好みの建物は、記録しておかないと、いつの間にかなくなってしまうのだ。
なかなか忙しくて、のんびり散歩をする時間が取れないが、隙を見つけてはうろうろしている。
本当は、ふと見つけた蕎麦屋に、ふらりと入って一杯、なんてのをやりたいけど、そういうのは、まだまだ先の話になりそうだねえ。
大洗を散歩した時撮った、お菓子屋さんの建物。しぶいねえ。
こっちも大洗。どうやら営業中の様子。
こちらは鉾田。忠魂碑の桜が見事でした。
これも鉾田。看板によると履物と青果のお店。面白い取り合わせですな。

2014年4月16日水曜日

古井由吉『槿(あさがお)』

主人公、杉尾と、彼をめぐる3人の女の物語。
献血場で知り合った井出伊子。同級生の妹、萱場国子、酒場の女将。この女が3人とも、何かしらの傷を抱え、微妙にバランスを崩している。
古井の小説には、こういうバランスを崩した女がよく出てくるな。
伊子は、自ずから痴漢を呼び寄せてしまう。国子は過去に何者かに辱められていた記憶を持つ。女将(彼女は過去に1度だけ杉尾と関係を持っている)の自宅マンションの二つ上の階の部屋では、殺人事件が発生する。
ちっとも具体的でない描写。独特の言い回し。時間軸も過去と現在を行き来する。決して読みやすい話ではない。
でも、これが癖になる。
仄暗い、しかし、闇の中に白く浮かび上がってくるような、どこか湿り気のあるような、そんな感じの文章。(どんな感じだ。)それが、決して甘くはない官能を掻き立てる。
ま、自分でも何書いているか分かんなくなってきたけど、古井由吉だけの世界が、そこにあるのだ。
落語でも何でもそうだが、その人だけのものを掴んだ者が勝ちなんだよな。
もつれもつれあいながら、やがて、3人の女のうちの1人、萱島国子の過去の傷の全容が露わになってゆく。
息もつかせぬ面白さってわけじゃない。だけど、あわあわと惹き込まれていく小説だったなあ。

2014年4月13日日曜日

笠間日動美術館

時間を見つけて、笠間日動美術館に行った。
企画展は「印象派からエコール・ド・パリまで」。ルソー、マネ、モネ、ユトリロ、シャガール、マチス、ゴッホ、ピカソ等を堪能。私としては、ルソーの風景画がよかったな。
企画館の2階は藤田嗣治特集。挿絵の原画等、充実の展示。イラストとしても秀逸。それにしても、藤田の白は美しい。
庭園の枝垂桜が見事に満開。
いつもより時間は取れなかったけど、行ってみてよかったっす。

2014年4月8日火曜日

花見をしながら、ちょっとだけ考えた

先日職場の仲間と花見をした。
海鮮のBBQに、もつ焼きやら焼きそばやら。差し入れの大吟醸酒が旨し、でした。
しかし、この花見というのはいいねえ。
満開の桜の下で、飲み食いせずにはいられないってのも、まあ日本の美しい文化なんでしょうな。
お酒も、料理も、文化も芸能も、私ゃ日本が大好き。私を生み育んだ風土を、私は素直に愛しているし、誇りにも思っている。
だからこそ、同じように、他の国の人も、自国の文化や風土を愛しているんだろうと思うし、そんな気持ちを尊重したい。
他を貶めることで自分を上げるなんて、さもしいことだと思う。相手がやってるから自分も、なんてのも、みっともないことだ。
ま、日本という国は素晴らしい国ですよ。私にとっては、他と比べようもない絶対的な存在です。敬うことを無理強いする必要なんてないですよ。

2014年4月6日日曜日

信月 塩しょうがラーメン

札幌での宴会は、まずは0次会をもつ焼き屋でやり、1次会はジンギスカン、2次会を炉辺焼きで
やった。ここでばらけて、私たちはバーへ。バーではシングルモルトの余市とボウモアを飲む。
シメはラーメン。信月の塩しょうが。宴会の後には、こういうあっさり系が旨いね。


信月は雑居ビルの1階の片隅にあった。

2014年4月5日土曜日

幇間考

前回、『鰻の幇間』の話を書いて、幇間についてつらつら考えてみた。
まあ変な職業だよな。同じ花柳界にあって、花魁や芸者のように、うまくイメージがわいてこない。
落語の中ではパアパア言いながら、客をヨイショしてご祝儀をせしめる役どころで出てくる、その程度。
幇間は、男芸者とも呼ばれた。歌や踊りで酒席を盛り上げる、旦那のお相手をするといったことが主な仕事だが、腕のある幇間は、旦那の財布を預かり、酒宴を取り仕切ったという。
まあいわば、旦那の遊びのプロデューサー的な存在ですかね。
ちょっと話がずれるかもしれないけど、宴会を仕切ってくれる、「気の利く後輩」がいるといいなあと時々思う。店の手配や女の世話なんかを一手に引き受けて、宴席でもカラオケで盛り上げてくれたり、話し相手にもなってくれたりする。タレントでいえば、今田耕司とかサバンナ高橋みたいなタイプね。飲んでて楽しそうだし、気は利くし、言うことない。
そして、それを職業としたのが、実は幇間なのではないかと、私は思う。
お旦の場合、その「気の利く後輩」がアマチュアだったら(例えば部下だったりしたら)、そいつの地位なんてのを配慮したり、それ以外の者との人間関係を考慮したりと、なかなか面倒臭い。
でも、それがプロならば、金銭で片付くわけだから、何かと便利だ。
かくして、お旦という富裕層が花柳界で遊んでいた時代には、幇間という職業に確実に需要があったのだ。お旦は、幇間の前で進んで自分の嫌な部分を見せることができ、我儘に振る舞うことができた。(落語の『幇間腹』や『つるつる』などは、そのような関係から生まれた噺である。)そして、お旦のような人種しか、そんなことに金は使わない。お旦階級の消滅とともに、幇間も消滅する運命にあったのだ。
しかし、幇間の本質が「気の利く後輩」であるとすれば、幇間的人物は普遍的な存在であるともいえる。(テレビの中に、今田耕司やサバンナ高橋がいるように。)幇間という職業が事実上消滅した今でも、幇間の噺が生命を持ち続けているのも、別に不思議なことではない。



2014年4月1日火曜日

ちょっとひと区切り

昨夜は、『笑っていいとも』のグランドフィナーレを最後まで見てしまった。
ふと、大学の頃を思い出す。あれは経堂の弥っ太君のアパートに泊まった翌朝のことだった。
弥っ太君がいきなり、「新宿に行こう」と言い出した。「タモリが昼の番組を始めたんじゃが、あんまおもろうないんじゃ。このままでは終わってしまいそうじゃ、見に行ってやろうぜ。」
弥っ太君は熱烈なタモリファンであったのだ。
私たちは、そのまま小田急線に乗って新宿に行き、スタジオアルタに向かった。そして、すんなりと入って生放送を見ることができた。
「友達の輪」は高田みずえがゲストで、トークの後には彼女が新曲を歌った。確かに新番組は手探り状態で、すごく面白いという印象はなかった。
それが32年続く長寿番組になったんだもんなあ。あの時は想像もつかなかった。
タモリは、私が高校の頃にデビューした。
初めて見たのは、和田アキコがゴッド姉ちゃんで売っていた『噂のチャンネル』だったかな。「4カ国語麻雀」とか「ハナモゲラ語」とか「イグアナのモノマネ」とか、いかにも怪しげな芸人だった。いや、いわゆる芸人臭さはなかったな。アンダーグラウンドのパフォーマーといった趣か。
その後、『タモリ倶楽部』や『今夜は最高』といった、自らがメインを張る番組を持つようになったが、いずれも深夜枠で、その彼が「民放のお昼の顔」になることには、多くの人が違和感を持ったに違いない。
でも、牙を抜かれたわけでもなく、タモリはタモリのまま、飄々と軽やかに「お昼の顔」になっていた。見事なもんだと思います。


3月が終わって4月になると、色んなことが変わる。消費税も上がったし、職場のメンバーも変わる。私も部署が変わって、新しい仕事に取り組むことになった。生来、変化には苦手な方だけど、ま、何とかやっていきますよ。