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2020年5月6日水曜日

『黄金餅』あれこれ


物置から『落語名人大全』という本を見つけて持って来た。講談社スーパー文庫のシリーズ。1995年刊。明治・大正・昭和の名人上手の速記を集めたものだ。
中に、三遊亭圓朝の『黄金餅』があった。『黄金餅』といえば、五代目古今亭志ん生の十八番。圓朝作の原型はどういうものだったのだろう、ということで読んでみる。

基本的に私たちが聴きなれた志ん生版とストーリーはそのまま、「貯め込んだ金を飲み込んで死んだ坊主を焼き場へ運び、焼いた骨の中から金を拾い出して、それを元手に餅屋を開くというおよそ不道徳な噺」(保田武宏『志ん生の昭和』より)に変わりはない。しかし細部は大分違う。
まず、圓朝はマクラで、この噺は芝の金杉橋にあった餅屋「黄金餅」の由来を語るということを予告する。
舞台は芝の将監殿橋近くの貧民窟。餅を飲んで死ぬ坊主の名前は源八。主人公は金山寺の金兵衛、これは変わらない。
買って来てやった餅を源八が食うのを、金兵衛が隣からのぞく場面で金兵衛はこんなことを言う。
「(前略)ぜんたいあの坊主はたいへんに吝(けち)で金を溜めるやつだということを聞いているが、ああいうやつはきっとものを食う時にボーと火かなにか燃え上がるにちげえねえ。一番見たいもんだな、食い物から火の燃えるところを。(後略)」
「爪に火を点す」という慣用句は知っているが、「食い物から火が上がる」というのは聞いたことがないな。明治の頃はそんな言い回しがあったのだろうか。
寺は麻布の三軒家にある貧窮山難渋寺。道中付はない。和尚はまともだな。きちんと引導を渡す。戒名も「安妄養空信士(あんもうようくうしんじ)」と付けてくれる。
随分、金兵衛さんが丁寧だな。当時の「・・・でげす」調が多用される。圓朝の芸風と言われる「柔らかな、しんみりとした、いわゆる〝締めてかかる〟たぐい」(岡本綺堂)、「あまり高くない、静かな調子でシトシトと話し出す」(岡鬼太郎)感じが想像される。

こうなると志ん生の『黄金餅』を聴きたくなる。早速、ポニー・キャニオン「古今亭志ん生名演集(一)」のCDを取り出してきた。
志ん生は噺に入ると、いきなり「下谷山崎町に・・・」と語り出す。山崎町は明治になって万年町と名を変えた。『最暗黒の東京探訪記』というルポルタージュにも出てくる、東京三大スラム街のひとつである。志ん生は神田の生まれだが、すぐに一家は浅草に転居し、学校へ上がる頃には下谷北稲荷町に住んでいた。万年町とは目と鼻の先である。志ん生の口から発せられたこの地名ひとつで、社会の底辺に生きる者たちの匂いが濃厚に立ち上る。
坊主の名は西念。主人公は金山寺味噌を売る金兵衛さん。寺は麻布絶口釜無村の木蓮寺。ここの和尚がすごい。べろべろに酔っ払って「金魚~、金魚~、出目金魚~」と経を読む。
圓朝版に比べ、一人一人の人物が厚みを増している。最下層に生きる人間のやりきれなさ、したたかさが、明るくあっけらかんと描き出される。志ん生自身の「赤貧洗うが如き」経験が、余すところなく活かされているのだと思う。ただ面白おかしいだけではない。底流に、底冷えのする凄みと乾いた叙情が漂う。(五代目三遊亭圓楽は、「志ん生の芸かこころか寒月夜」という句詠んでいる。)
中でもこの噺を「志ん生オリジナル」にしているのは、下谷山崎町から麻布絶口釜無村の木蓮寺に向かう道中付だ。一時、講釈をやった経験が効いている。低迷時代の回り道だったが、ここでも志ん生は転んでもただでは起きていない。
金兵衛が黄金餅の店を出すのは目黒。圓朝版の芝金杉橋からはちょっと距離がある。

返す刀で立川談志の『黄金餅』も聴いてみる。1969年(昭和44年)の「談志ひとり会」の高座。
型は志ん生そのまま。下谷山崎町は「今の下車坂町の辺り」と解説、昔、この町がスラムだったことを強調する。
道中付は志ん生版をやった後、それを現代版にして演じなおす。談志の才気がほとばしる。昭和40年代の東京が活写されていて楽しい。「風月堂と松坂屋の間をまっすぐに、風月堂の裏は古今亭今輔、桂文楽が住む黒門町だ」などのくだりは談志の美学を感じる。
リズムもテンポも良く淀みない。間も的確。上手い。文句はない。ただ、達者に演じているが上っ面を撫でている感じ。30代の談志に、志ん生のような深みを求めるのは酷だろう。
私が談志をよく聴いたのは昭和50年代の後半、迫力は随分増していた。しかし今思えば、そこに描き出されていたのは、人間の凄みというより金銭への執着だったような気がする。

改めて聴くと、やっぱり志ん生は凄いな。
平凡社のコロナ・ブックス『日本を知る105章』という本に、土門拳が志ん生を撮った写真がある。多分、古今亭圓菊の真打昇進披露興行での高座のもの。緞帳は下がっている。斜め後ろからのアングル。志ん生は顔を横に向けている。その切れ長の目が怖い。当時、志ん生は底抜けに明るい爆笑派という評価を得ていたが、土門のカメラはそれとは違う志ん生の本質をえぐり出している。


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