朝、パン、牛乳、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ。
朝ドラ『あんぱん』を観て、妻は仕事に行った。
昨夜は職場の飲み会があった。二日酔いではないものの、しっかり飲んだ気怠さが身体に残る。
サイダーを飲み、ビスケットをかじりながら太宰の短編を数本読む。
昼は次男が作ったスパゲティミートソース。旨し。
写真、2枚とも猫がテーブルの上にいるな。どうやら躾には失敗したみたいだね。
夕方、長男と散歩。高浜の恋瀬川の土手を歩く。
恋瀬川河口。 |
高浜駅近くのドック跡。 |
妻は職場の送別会に出かける。
夕食は、妻が作っておいてくれた煮込みハンバーグ、枝豆、冷奴、冷凍たこ焼きでビール、酒。
寝しなにジョニーウォーカー赤ラベル。
梅雨が明けた。以前はうっとうしい天気が終わるという解放感があったが、今はこれから猛暑が続くのかあ、と憂鬱になる。変われば変わるもんだ。
ビートルズに「レヴォリューション」という曲がある。ジョン・レノンが書いた曲だ。ジョンはこう歌う。
「君は革命を起こしたいと言う そりゃあ世界を変えたいと皆思っているよ」
「でも君が破壊について言い出した時は おれを頭数に入れないでくれ」
「君は知らないかい、大丈夫だってことに 大丈夫 大丈夫さ」
ジョン・レノンはこの曲をシングルのA面にしたかったけど、メンバーやジョージ・マーティンは「政治的」な曲を世の出すのは気が進まなかった。渋々ながら「ヘイ・ジュード」のB面として発表された。
改めて聴いてみると、「政治的」というのには至って穏健で楽天的。何てったって「世の中を変えなくっても大丈夫」と歌っているのだから。
時代背景としてはベトナム戦争の真っただ中。過激な政治活動も繰り広げられていた。ジョンとしては、それに対する興味も関心もあっただろう。彼は戦争にも批判的だった。ビートルズがM.B.E勲章をもらった時、ジョンは「戦争で人を殺した人が勲章をもらっているのに、人々を楽しませている僕らが、どうして勲章をもらっちゃいけないんだい?」と言っているくらいだ。何らかの形で「政治的」な発信をしたかったのだろう。
でも、表現としてはこういうものになった。ジョンとしては「世界を変えたい」という気持ちはあったものの、その「運動」には「頭数に入れないでくれ」だった。「破壊」という条件付けはしているが、結局、彼は党派会派に組み込まれるのを嫌ったのだと思う。あくまでジョンは、自由でありたかったのではないだろうか。
この曲は『ホワイトアルバム』で「レヴォリューション1」として収録されている。シングルバージョンよりもスローテンポ。ジョンは力が入らないヴォーカルを意図して、仰向けに寝てレコーディングした。歌詞も、「頭数に入れないでくれ」というところで「out」の後で「in」と歌っている。つまり、「頭数に入れないでくれ」と言った舌の根も乾かぬうちに「入れてくれ」と言っているのだ。ジョンなりに葛藤があったのだろう。
マルティン・ニーメラーの詩に言う。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会主義者を牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会主義者ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる人は、誰一人残っていなかった
そこにはジョンのような生き方の危うさがうたわれている。結局、一人一人が「行動」を起こさなければ、大変なことになる、ということか。そうなのだ。思っているだけでは何も変わらない。
一方で、「運動」に組み込まれたくない、「頭数」に入れられたくない、自由でいたい、自分がいる。
そんなことを考えながら私は明日、投票に行く。私は「内政の失敗を外国人のせいにする」者たちには与しない。
0 件のコメント:
コメントを投稿