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2010年1月24日日曜日

旨いもの

食べ物で何が旨い、と聞かれても困る。
食べる、ということは状況も味わうという意味で、総合芸術だと思うからだ。
私は、今のところ、子どもを寝かしつけた後のウイスキーを、至福のものとしている。そりゃあ、そのウイスキーもレッドよりはタラモアデューの方が、タラモアデューよりもボウモアの方がいい。でも、それは一日に仕事を終え、子どもたちの寝顔を見て、という状況が何と言ってもその旨さを確固としたものにしてくれているんだな。
例えば、ラーメンの名店へ行って、すごく混み合ってて、すごく待たされて、やっと来たラーメンが、店員が間違えて、後から来た別の客の方へ行って、態度の悪い店員に言ってやっと来たラーメンを食す、という状況と、旅に出た田舎の古びた駅前食堂で、さして上等でもないカツ丼を食べながら、土地の人の世間話を聞くともなしに熱燗の酒を飲むという状況では、どちらが旨いと感じると思いますか。
それ程までに、味覚は状況に左右されるのです。
たかがお茶を飲むために、器、調度、書画、花、景色、心持ちにまでこだわることを発明した、千利休は偉い。しかも、豪華フランス料理のような贅を尽くしたものではなく、さりげない侘び寂びを尊ぶ。そのような価値観を生んだ日本に生まれたことを、誇りに思っていい。
私がこれまで旨いなあと思った体験も、状況がセットでついてくる。
仲間と釣った魚を鍋にするという極めてアバウトな計画でやった浜鍋。
猪苗代湖畔、哀愁の一人キャンプで、雨上がりの雲間に浮かぶ月を眺めながら、焼いた赤ウインナーをつまみに飲んだバーボン。
10年ぶりに訪れた蔵王の飲み屋で、覚えていてくれたおかみさんと話をしながら食べた、牛タンの塩焼き、冷やの住吉。
大洋海岸で寝ころんで、海を眺めながら、茹でた蛤をつまみに飲んだ缶ビール。
雪が積もった休日の昼、燗酒を飲みながらつつく湯豆腐。
伊豆の漁港の堤防に座って飲んだ青島ビール。
妻との新婚旅行で行ったシドニーのナイトクルーズ、きりっと冷えた白ワインで食べる生牡蠣。
そういう旨いと思う体験を積み重ねていくのが、多分、幸福なのだと、私は思うよ。

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