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2010年2月8日月曜日

鮟鱇鍋ツアー①

この前の週末、岐阜から片道6時間かけてT君がやって来た。
T君は大学の同級生、同じゼミだった。独身時代はよく二人で旅行に行ったものだが、お互い結婚して、子供が生まれてからは、おいそれとは遊べなくなった。
それが今年の正月、突然メールで、「長年冬の茨城で鮟鱇鍋が食いたいと思っていた。その念願を是非果たしたい。」と言ってきた。
そこで、早速大洗の民宿を予約し、地元に住む、やはり大学の同級生I君にも連絡して、久し振りに旧交を温めようということになったのだ。
昼過ぎにT君が到着。T君は「岐阜県一の茨城通」を自認している。家で一服した後、その辺を見て回りたいと言う。
まずはリクエストに応えて、霞ヶ浦湖畔に連れて行く。折からの強風で、霞ヶ浦は浪しぶきが立っている。立っているのもしんどいほどの風の中、T君は霞ヶ浦越しの筑波山を眺め、「ここから見る筑波山は、きれいな双峰形だなあ。」と言いながら、盛んにシャッターを切った。
次は石岡の「風土記の丘」。竹下首相時代の「ふるさと創生事業」で建てた「日本一の獅子頭展望台」を見せる。その名の通り、獅子頭の形をした展望台だ。ちょうど獅子の口の辺りから外を眺める案配になる。ただ、口だから、当然低い。眺望としては大したことはない。T君は獅子の金歯の上に横になってポーズを取る。私はロングとアップを1枚ずつ、T君のデジカメに収めてあげた。
それから、大洗へ。ちょっと足をのばして、海門橋を渡り那珂湊の日和山公園へ行く。ここは那珂川河口を望む高台にある。江戸時代には水戸藩2代藩主光圀の建てた「湊御殿」と呼ばれた別邸があった。幕末の天狗党の乱の際は、大洗側から渡河せんとする天狗軍と、日和山に陣を敷いた藩軍とで激戦が繰り広げられた。この戦闘で御殿は焼失。現在、建物の遺構は全くない。ただ戦火を免れた黒松が何本か、現在も見事な枝振りを見せている。
私のご先祖は天狗党に参加したと聞いている。もちろん名前が残っているわけではない。名もない下働きだったのだろう。この戦いに参加したかどうか分からないが、しばしご先祖に思いをはせる。
眼下には那珂湊の市街、太平洋、那珂川が広がる。夕焼けが美しい。西の果てにぽつんと筑波山が見える。天狗党は、あそこで挙兵し、ここまでやって来て藩軍と戦い、遙か敦賀の地で処刑された。ご先祖様はどこまで行ったのだろう。
地元の人が、犬を連れて何人か散歩に来ている。観光客はT君と私だけ。ひっそりとして、寒い。私達は背中を丸めて山を下りた。
5時少し前に宿に着く。I君は既に来ていた。
ひとっ風呂浴びて、いよいよ夕食。
T君が待ちに待った鮟鱇フルコースである。

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