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2025年10月4日土曜日

花火の日

朝、トースト、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ、紅茶。

コーヒーを淹れて飲み、『ばけばけ』の総集編を観る。松江城が美しい。

随分前、高山T君と松江に行ったことがある。

あの時は、岐阜羽島で待ち合わせ、城崎と松江に泊まったのだ。

松江は静かないい街だった。

小泉八雲・セツ夫妻の旧宅が残っていた。こじんまりと、さっぱりとした住まいで、こういう所で静かに暮らしてみたいなあと思ったものだ。

長男は学校へ、妻は仕事に行く。

私と次男は買い物。私は酒を買ってくる。

昼は、それぞれ好きなインスタントラーメンを作って食べる。私は明星チャルメラ醤油味にした。卵をひとつ落として食べる。旨し。

自民党の新総裁に高市早苗氏が選出された。「外国人問題」が票になると、改めて思い知らされたよ。ともあれ、我が国初の女性首相が誕生する可能性が高まった。女性や弱い立場の人たちに思いを致す政治をしてくれるよう期待したい。まあ彼女を支持している人たちは、そんなことを思っていないだろうけど。

夕方、妻とハートランドビールを飲む。午後から降り始めた雨が本降りになる。 

夕食は、鍋。燗酒を飲む。旨し。

今夜は、市の花火大会。皆で二階のベランダで花火見物。雨は上がり、月も出てきた。妻と缶チューハイを飲みながら見る。

花火大会が終わった直後、長男が帰ってきた。相変わらず残念なやつだ。


寝しなにティーチャーズ。


花火を見ると、芥川龍之介の短編「舞踏会」を思い出す。小説の中で、ピエール・ロティは「我々の生(ヴィ)のような花火」と言った。我々の生は花火のようにはかない、ということなんだろう。でも、私は思う。私たちの生は花火のように華々しくはない。私たちの生は、たとえ短くとも、地味な積み重ねの繰り返しだ。崩れても崩れても、ひとつずつ積み上げてゆくしかない。それが、私の実感である。

「絶望の隣に希望がある」。朝ドラ『あんぱん』に出てきた言葉だ。絵空事のように聞こえるかもしれないが、まんざら嘘でもない、と私は思う。

2 件のコメント:

quinquin さんのコメント...

突然のコメントで失礼します。
花火を観て芥川の「舞踏会」を思い起こすとは何と風流なことでしょう。私も大好きな作品で、作中のジュリアン・ヴィオーすなわちロティの言葉はいつまでも心に残ります。アンリ・ルソー作「伝ピエール・ロティの肖像」の風貌のように、異国趣味全開の方だったようですね。
某新総裁についてはもっと辛辣か、と思ったのですが。私は絶望していますが、麻生さんがコントロールしてくれれば、という空しい期待を持っています。

densuke さんのコメント...

quinquinさん、こんにちは。
「舞踏会」は高校の国語の教科書に載っていました。本当に美しい短編小説だと思います。
新総裁へのコメントについては、もちろん皮肉を込めています。この結果には、自民党も随分慎みがなくなったなあという印象を持ちました。