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2025年9月4日木曜日

旅の昼飯

 旅の昼飯。

まずは燕市のソウルフード、背脂ラーメン。燕市は金属洋食器産業が盛んな所。夜遅くまで働く職人さんのために「のびにくい麺、冷めにくい濃厚なスープの背脂ラーメン」が考案されたという。

地元の人気店、大むら食堂。背脂ラーメン元祖の杭州飯店と人気を二分する店である。

なるほど、開店前、既に行列ができている。私たちも並び、30分程待って、二階に案内された。

待望の背脂醬油ラーメンと御対面。850円ぐらいだったかな。



お勧めの中太麵を食す。見た目ほどしつこくない。中太麺がスープに絡み、旨いねえ。

行列に慣れているのか、客さばきがうまい。インカムなんか使っている。注文もタブレットだし、待つストレスがそれほどない。

もともとは地元密着の町中華なんだな。定食や丼物も充実していた。カツ丼なんか旨そうだったよ。できれば、夜に飲みに来たいものだ。



二日目は、長岡市のソウルフード、洋風カツ丼。

昭和の御代、「小松パーラー」(1931年創業、2006年閉店)の店主が考案したメニュー。ケチャップベースにとろみをつけた「ファミリーソース」がかかっている。

私たちが行ったのは、「レストラン・ナカタ」。1975年創業。洋風カツ丼の始祖、「小松パーラー」の流れをくむ店だ。


入店時には早くも満席。15分程で座れたが、後から行列ができていた。

もちろん、洋風カツ丼をオーダー。ケチャップベースソースとデミグラスソースのハーフ&ハーフ、値段は1000円ちょっと。




ケチャップベースソースは、小松パーラーでいうファミリーソース。酸味があって、どちらかと言えば、こちらの方が好みかな。

この店はカレーも看板メニューらしい。激辛「50倍」を完食すると写真を撮って飾ってくれる。昔、向ケ丘遊園にあった「インドール」の「100倍カレー」を思い出した。


2025年9月3日水曜日

谷田部、阿見を歩く

新潟から帰って翌々日。

この日はお休み。息子二人をつくばに送って行く。前々からそういう予定だった。せっかくだから半日ぐらいぶらぶらしようと思っていた。久々に結城の方にでも、と企んでいたのだが、本日の結城地方の予想最高気温が37度であるということを知り、一気にくじけた。

そこで、谷田部に行くことにした。

つくば市谷田部。つくば市が誕生したときは、ここに市役所が置かれた。古くは谷田部藩があり、海軍の飛行場があり、土浦から水海道へ向かう街道の中継地として、かつてこの町は筑波郡の中心的存在だった。

商店街の中ほどに駐車場があったので、そこに車を止めて歩き出す。早くも気温は30度を超えている。時間が早いので、店はほとんど開いていない。




元は豆腐屋さん。

元は材木屋さんらしい。

歴史的遺跡発見。五角堂。内部には江戸時代後期の発明家、飯塚伊豆七製作の和時計があるという。

この辺で折り返す。一本手前の細い道を行く。






谷田川を渡る。
搦手橋。ということは、この辺りに城があったのだろう。





再び橋を渡って駐車場に向かう。

道が鍵の手になっている。

八坂神社。



1時間ほどぶらついて、まだ9時。

では、もう1ヶ所行こうと思い、阿見へと向かう。

予科練平和記念公園に車を止め、歩き始める。手始めに、海軍道路と呼ばれる、坂道を上る。上り切った所に、配水塔のようなものがある。

それがこれ。


多分、海軍の遺構だと思うけど、何の解説もない。

坂をだらだらと下りると、突き当りは陸上自衛隊武器学校。坂上にある土浦駐屯地とともに、かつて海軍霞ケ浦航空隊があった所だ。



坂下辺りをぶらつく。







かつては飲み屋が軒を連ねていたような匂いがする。

武器学校の敷地内にある雄翔館を見学。ここには予科練出身戦没者の遺影と遺品が展示されている。遺影の数のあまりの多さにたじろぐ。沖縄のひめゆり平和祈念資料館でも似たような感情を覚えた。


入り口にあるのは山本五十六元帥の銅像。


山本五十六は1924年(大正13年)から翌年まで霞ケ浦航空隊副長を務めた。五十六がここにいたのは、わずか1年半。だが、土浦にとっても彼は偉人だ。人間的に魅力はあったのだろうが、その後の神格化が大きく影響していると思う。

戦没者の中には特攻隊員が多い。特攻命令を連発し、敗戦後、自決した大西瀧治郎や特攻に出て死んだ宇垣纒の展示もあり、色々考えさせられた。そのことについては、いつか書いてみたい。

かすみがうら市のだい食堂で、ちょっと奮発してトンテキ定食を食べて帰った。

谷田部には海軍の航空隊があった。阿見は予科練があった所だ。奇しくも海軍ゆかりの地を歩き回ったことになる。昔、若い頃、阿見に住んでいた上司が、「若い兵隊さんが、それこそ失禁脱糞しながら走らされているのを見ました。本当に気の毒で。軍隊は嫌だなあ、と子ども心に思いました」と言っていたのを思い出した

この日も暑かった。また、歩き回ってしまったか。おれも業が深いなあ。


2025年9月1日月曜日

越の国漫遊記⑧ 長岡、旅の終わり

長岡の昼食は洋風カツ丼。これも高山T君が調べてきた。長岡市民のソウルフードだという。

レストラン・ナカタ。11時半頃入店したが、もはや満席。15分程待つ。後ろにも行列ができる人気店だ。で、洋風カツ丼到着。

デミグラスソースとトマトソースのハーフ&ハーフ。カツ丼というよりカツカレーのバリエーションだな。

長岡の街を歩く。

長岡は、新潟市に次いで、県第2位の人口を誇る都市だ。人口25万3千人余り。北越戊辰戦争と第二次世界大戦の長岡空襲によって壊滅的被害を受けるが、不屈の闘志で復興を果たす。市章には不死鳥をイメージした「長」の字が図案化されている。大規模な花火大会でも有名だ。

長岡は豪雪地帯として知られるが、夏の暑さも相当厳しい。この日も猛暑日で、街歩きはきつかった。




きれいな町並みで、シブい物件はこんなところかな。

高山T君の案内で、長岡市の水道施設に向かう。

長岡市水道公園というのがあり、そこで車を降りる。昭和2年に創設された旧中島浄水場を整備して作られたものだという。

まず目を引くのが、高さ42メートルの水道タンク。

ポンプ室、監視室などの重厚な建物もずらり。


いずれも登録有形文化財に指定されている。

取水塔もまたすばらしい。



水道タンクをどーんともう1枚。


おお、でかいなあ。圧倒される。

じりじりと日が焼きつける。これ以上ぶらつくのは危険だ。この歳になると「勇気ある撤退」は得意だ。今回はここまでにしよう。それでも前日、この日ともに1万3千歩を超えた。よく歩いたよ。

高山T君が長岡駅まで送ってくれる。長岡駅は長岡城があった所に建てられた。城の名残は「大手口」などの名前にのみ残っている。


「楽しかったよ、ありがとう」

手を振って別れる。お互い体に気をつけて、またどっか行こう。

お土産を買って改札へ。次の新幹線は全席指定とのこと。待合室でビールを飲んでクールダウンする。

14時51分発の「とき」に乗る。自由席はほぼ席が埋まっている。最後の空席を見つけ、ほっとして座る。長岡から先で乗った人はずーっと立っていた。やはり日曜日は混むんだなあ。