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2017年6月19日月曜日

伊那谷を旅する④ 駒ヶ岳千畳敷カール

20日振りのブログ更新になる。
パソコンの修理が思いの外、かかってしまいました。
今日から再開します。

前回からの続き。
親友S君と、伊那谷を旅した話だ。

翌朝。この日も快晴。朝飯は麦とろがメイン。旨し。


Iさんとは宿で別れ、S君と私は駒ヶ岳千畳敷カールへと向かう。
すぐ上のバスターミナルは混むので、その手前のバス停から乗るといい、という宿のおかみさんの助言通り、石切公園前からバスに乗る。
車は帰るまで宿の駐車場に止めて行っていいとのこと。バスターミナルの駐車場は有料なので、助かるなあ。
あかげでずっと座って行けた。案の定バスターミナルはそこそこの列。一度では乗り切れない人もいた。


目も痛いほどの新緑を眺めながら駒ヶ岳ロープウェイのしらび平駅へ。ここから一気に900mほど登っていく。
雪渓から溶けた水が一気に山肌を下って行く。「雪が溶けて川になって流れていきます」というキャンディーズの『春一番』を体現するかのような風景だ。



千畳敷駅は標高2612m。
氷河によって深くえぐられたU字の谷が眼前に広がる。




ここでは5月下旬でもスキーが楽しめるのだ。
正面には南アルプス越しの富士山が見える。




高い山がない茨城から来ると、圧倒される景色でありますなあ。
下りのロープウェイの時間まで、S君とゆっくりコーヒーを楽しむ。

山から下りるとちょうどお昼。
バスターミナルのレストランで、駒ケ根名物のソースかつ丼を食べ、お土産を買って、家路につくのでありました。
運転は疲れたが、久し振りのS君との遠出は楽しかったよ。
今度は妻子を連れて来ようかねえ。

2017年6月1日木曜日

伊那谷を旅する③ 駒ヶ根温泉

阿智村を出て、駒ケ根市に向かう。宿泊の予定地は中央アルプス駒ヶ岳の麓、駒ヶ根温泉。Iさんとはその宿で落ち合うことになっていた。

私とS君は高校時代、ボランティアサークルに入っていた。私が会長を務め、S君は会計だった。村役場の教育委員会で、私たちのサークルを担当していたのが、Iさんだ。Iさんが企画した子ども会の行事に駆り出されて、私たちは子どもたちのリクレーションの手伝いをした。
そんなことを書くと、よほど真面目なグループだと思われるかもしれないが、メンバーにはヤンキーもいた。リーゼントで胸ポケットに煙草を忍ばせている奴が、子どもたちの前では気のいいお兄さんになったりもしたのだ。

Iさんは数年前、茨城を引き上げて故郷伊那谷へ帰った。
Iさんとの再会を果たすのが、伊那谷へやって来た、大きな理由だった。

Iさんは宿の庭先に来ていた。
「せっかくだから、この辺りを散策しよう」と言うので、荷物を部屋に運び込み、夕飯までの小1時間、ぶらぶらと歩き出す。
Iさんは菅の台バスターミナルの裏手にある吊り橋へ案内してくれた。
「この辺の地形は決まっていてね、まず谷の中央を天竜川が流れ、左右の山から雪解け水が天竜川に注ぎ込む。この流れを、田を切るように流れることから田切と言うんだ。この橋の下の川は大田切川という。」
ちょうどこの季節は雪解け水が勢いよく流れている。水音で大きな声を出さなければ、話ができないほどだった。山は新緑。いい天気。気持ちがいい。



宿に戻って6時から夕食。
まだ明るいうちから飲むビールは最高だ。
テーブルの上には、鮎の塩焼き、鯉のうま煮、すき焼きなどが並ぶ。


窓の外には南アルプスの山々が見える。
鯉の洗いやタラの芽の天ぷらなどが登場すると、日本酒を飲まずにはいられませんなあ。
刻々と暮れなずむ山の景色を眺めながら飲む酒は、そりゃあ旨いに決まってる。


幕末、伊那谷や木曽谷の旦那衆には、平田国学の信奉者が多かった。
水戸の天狗党が京都を目指しての行軍中、この辺りの人たちは密かに天狗党を支援したらしい。天狗党も武田耕雲斎が総大将になってからは軍律も整い、初期のような乱暴な振る舞いをする者はいなくなっていた。却って、後から来た幕軍の方が飲食代や宿代を踏み倒すなどして、評判は悪かったという。
長野県民の参加が多かった満蒙開拓義勇軍の訓練所は、現在の水戸市内原にあった。
伊那谷と茨城とは意外と縁があるのだ。

そんな話や、昔の話、お互いの近況、現在の世相について、いくら話しても話は尽きない。部屋に戻って、茨城の地酒を飲みながら2次会になだれ込む。テレビではG7の会議を終えた我が国の首相が、北朝鮮の脅威をやっきになって訴えていた。テレビを消すと、前の田圃から盛んに蛙の鳴く声が聞こえてきた。そうして伊那谷の夜は静かに更けて行ったのだった。

 ― 夕食の後、温泉に入ったけど、つるつるしていいお湯だったよ。

2017年5月30日火曜日

伊那谷を旅する② 満蒙開拓平和記念館


阿智村の満蒙開拓平和記念館。ここで語り部の講演会があった。
約1時間半のお話を聴く。

日本は満州事変後、昭和7年(1932年)中国東北部に満州国を建国。昭和11年(1936年)には国策として満州開拓移民を開始した。
満州国は清王朝の流れをくむ溥儀を皇帝にいただいてはいたが、実質は日本の植民地であった。関東軍が統治し、日本からの移民は現地民を人夫として使った。
語り部の**さんは、昭和19年(1944年)5月、14歳で入植した。首都新京からわずか12km東の土地だが、電気は通じていなかった。それでも、自生したあやめが咲き誇り、なんて美しい所なんだ、と思ったという。
翌昭和20年(1945年)8月9日、ソ連軍が満州に侵攻。**さんの村では8月14日に18歳から45歳までの男が根こそぎ召集された。残った男は15歳の**さんと、耳が不自由な青年、68歳の開拓団の団長だけであった。
8月15日、日本の敗戦が明らかになる。その日は何事もなかったが、翌16日、現地民による暴動略奪が始まる。
その夜、トウモロコシ畑に隠れていた**さんたちを暴徒が見つけ、団長を暴行。団長は瀕死の重傷を負う。
「楽にしてくれ」という団長の懇願を入れ、村民の一人が彼の首を絞めて殺す。これが集団自決の始まりとなった。召集された男たちも生き残ってはいまい、このままなぶり者にされるよりは、というので、まず女たちが我が子の首を絞めて殺す。大きい子どもとなると苦しさに手を払いのけてしまうので、ひもを使って首を絞めた。子どもたちを殺すと、今度は大人が大人の首を絞めた。とうとう**さんと耳の不自由な青年だけが残った。
二人同時に死ぬためには首を絞めるわけにはいかない。自分の手首の血管を食いちぎろうとしたが駄目。そこで、お互いの頭を石で殴り合うことにした。額が割れ大量の出血をして二人は意識を失う。それが未明。
昼過ぎスコールが来て、二人は目を覚ます。目が覚めたとき、彼ら二人も遺体も、皆裸だった。暴徒が衣服を剥ぎ取っていたのだ。
これが73名集団自決の顛末である。
ソ連侵攻の前、関東軍は満州の4分の3を放棄して南下しており、開拓民や一般市民は最前線に取り残された。軍は一般人を守らない。こんな事が満州のあちこちであった。沖縄で起きたことが、満州でも起きたのだ。
**さんは何とか生き延びて(耳の不自由な青年は収容所で死んだ)、昭和23年(1948年)、一人故郷に帰る。故郷の村の村長は集団自決の責任を感じ、敗戦の翌年、首つり自殺をしたという。

講話が終わり、一通り展示を見て館の外に出た。
**さんが見たのと同じであろう、あやめの青い花が風に揺れていた。


2017年5月29日月曜日

伊那谷を旅する①


先日、親友S君と長野県は伊那谷を旅して来た。
S君とは中学高校の同級生。社会人になってもずっと一緒に遊んでいたのだが、お互い結婚生活に入ると何かと忙しくなって、そうそうつるんではいられなくなった。
今回、高校時代お世話になったIさんを訪ねようと、久し振りに二人で出掛けることにしたのである。
駒ヶ根温泉に1泊し、Iさんと酒を酌み交わし、翌日は駒ケ岳ロープウェーで千畳敷カールを見て帰って来た。
旨いものをたらふく食い、天気にも恵まれ、楽しい旅であった。
少しばかり、その旅の話にお付き合い願いたい。
では、次回より・・・。

2017年5月26日金曜日

火の見櫓 その7


小美玉市小川地区羽木上の火の見櫓。
屋根の部分が取り払われている。
もう少し近くから。



近くには昔の消防団の建物があった。


火の見櫓の向かいには、現役の丸ポストが。


空港の方に行き、お気に入りのシブい建物を撮る。


最後に1枚。旧園部川で軒を並べるスナックです。


2017年5月22日月曜日

小月庵のカツ丼


小美玉市小川、小月庵のカツ丼、800円。
以前はお新香だけ付いて670円だった。今は味噌汁にサラダも付いてくる。
カツ丼といえば、土浦の亀屋が有名だが、この小月庵も捨てがたい。
というか、個人的にはこの小月庵のカツ丼が、私にとってはナンバーワンなのだな。


そばつゆのかえしを使っているのだろうか、本当に優しくて深い味。
豚肉もしっかりと分厚いんだよねえ。



代替わりをして、ステーキ丼やオムライス、ポークソテーなどもメニューに加わった。
けど、自慢のカツ丼の味は変わらない。
目立たないかもしれないけど、カツ丼好きの方は是非お試しください。

2017年5月21日日曜日

留守番の日


朝、マフィンと牛乳。
妻がお出掛け。子どもたちとお留守番。
午前中、子どもたちを連れ、図書館に行く。
長男は調べもの、次男は「サバイバルシリーズ」をごそっと借りた。
私はその間、『茨城の戦後70年』と『古写真で見る日本の城』を見る。

霞ヶ浦の堤防を車で走る。


昼飯は小川の小月庵。
久し振りにカツ丼を食べる。
私はここのカツ丼がいちばん好き。

昼過ぎ帰る。
子どもたちがゲームをやっている間、レコード、CDを聴きながら本を読む。
村上春樹『ねじまき鳥クリニクル』。圧倒的な面白さ。これが村上のターニングポイントとなった作品である、というのはほぼ定説となっていると思う。
『1Q84』、『騎士団長殺し』はもちろん、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』や短編『トニー滝谷』なんかもこの作品が源流になっているのではないか。
一般的に評判はいまいちみたいだけど、私は好きだなあ。

3時前にピアノの調律が来る。
調律をやっている間に妻が帰ってくる。

おやつに妻が買って来たドーナツを食べる。
休みの日のお楽しみ、夕方ビール。

夕食はお好み焼きでビール、酒。初物のそら豆、旨し。
よく晴れて暑かった。ゆったりと時間が流れた一日でした。