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2017年9月14日木曜日

落語『目薬』から

柳家の噺家さんがよく演る、『目薬』という噺がある。
何年か前寄席に行った時、ある噺家さんは以下のような形で演じていた。

目を悪くした男が薬屋で薬を買って来た。注意書きを見ると「めのしりにつけべし」とある。ところが、この男、「め」の字が読めない。さんざっぱら考えて、ふと湯屋で見たことがあると思い当たる。そうだ「女湯」の「女」だ。ということは、この薬は、女の尻につけるのか。そこで、女房に頼み込んで薬をつけにかかる。女房を四つん這いにして尻をまくらせ薬をつけると、女房はせつながってついに放屁に及ぶ。屁によって吹き飛ばされた薬が男の目に入った。そこで男、「こうやってつけるのか。」

バレがかった噺で、寄席ではよく受ける。
ただ、私は笑いながら、ちょっとした違和感を感じずにはいられなかった。
「つけべし」に、どうしても引っかかるのだ。
「べし」は、ここでは命令の意味を持つ助動詞だが、終止形に接続する。「つけ」の終止形は「つく」だから「つくべし」、せめて口語でも「つけるべし」となるはずである。

閑話休題。日本語の難しさは、この活用にある。英語の動詞の活用は、原形、過去形、過去分詞の3パターンだが、日本語の場合、未然形、連用形、終止形、連体形、仮定形(文語では已然形)、命令形と、実に6つの活用形がある。しかも日本語は次にくっつく言葉に合うように変化させなければならない。例えば「行く」を否定する場合、これに打消の助動詞「ない」をつけるが、「行く・ない」ではなく、「行く」を未然形に変化させ「行か・ない」とする。丁寧語の「ます」につけるときは連用形にして「行き・ます」だ。私たちは自然にやっているが、これを日本語を母語にしない人たちが新たに覚えるとなると、さぞや至難の業だろう。

「つけべし」がどうしても気になった私は、後日『落語事典』で『目薬』を引いてみた。すると「めのしりにさすべし」とある。そうだよな。「さす」はまさしく終止形、それなら文法的に正しい。まだ「つけべし」で演っている人がいるとすれば、早いとこ直した方がいいと思う。

ここからは余談。
茨城弁ではよく文末に「ぺ」とか「べ」を使う。この原形は助動詞「べし」である。だから「ぺ」や「べ」は、「・・・だろう」の推量、「・・・しよう」の意志、「・・・しようよ」の勧誘などの意味を持っている。
他県の人が茨城弁を真似る場合、よく「ぺ」を使う。「行くっぺ」なんて言う人がいるが、これは素人。この場合は「べ」を使い、「行くべ」が正しい。他にも「食うべ」、「呼ぶべ」、「飲むべ」など、むしろ基本的につけるのは、この「べ」の方なのである。
一方「ぺ」は用法が限られる。
まず、断定の助動詞や形容動詞の活用語尾「だ」につく場合。「ぺ」が使用される時には、必ず促音便を伴うから、「・・・だっぺ」となる。(これが茨城弁の最も有名な言い回しかもしれない。)
もう一つは終止形の活用語尾が「る」の語につく場合。例えば「走る」に「ぺ」がついて「走っぺ」、「取る」に「ぺ」がついて「取っぺ」と言った具合。「やる」は「やっぺ」だし、「つける」は「つけっぺ」だ。
「つけっぺ」? もしかして、あの『目薬』の「つけべし」は、この「つけっぺ」からきたのか。まさかな。でも、もしそうだとしたら、茨城弁もなかなかに罪が深い。


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