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2009年4月10日金曜日

立川談志考 その1

立川談志は青春の芸である。私も大学の頃、熱にうかされるように談志を聴いた。談志を語ることは、その頃の自分を語ることでもある。対象との距離がうまくとれない、難しい作業だが、やってみる。

談志の芸は観客との濃密な関係を強いる。
談志の高座は拒絶から始まる。不機嫌な出。聞こえるか聞こえないかの声でぼそぼそと話し出す。枕では現状に対する否定的な言葉が並ぶ。観客が歩み寄らなければ、談志の芸は楽しめない。談志を受け入れることで、我々はまず談志との特別な関係を結ぶ。(もちろん、受け入れられない人も中にはいる。事実、落語協会在籍当時、「早く落語やれ」と野次る客と談志はしばしば喧嘩をした。)
噺に入れば、世界は一変する。斬新な解釈、優れた人物描写、迫力ある語り口、感情の奔流が観客を飲み込む。我々は談志の世界に引きずり込まれ翻弄される。そして、時折見せる談志自身の苦悩、迷い。これがまるで彼の弱さを自分だけに見せてくれているかのように思わせるのだ。こうして、観客は談志との1対1の濃密な関係を結ぶことになる。そして、そこに感動が生まれる。(立川談春は「談志には感動がある」と言って談志へ入門した。)

私は大学1年の時、旧池袋演芸場で『鼠穴』を聴き、以来談志のとりこになった。私が落研部員だったことは以前にも書いたが、私の落語はやがて談志の口調に強い影響を受けた。2年の冬合宿、十代目桂文治のテープで覚えた『二十四孝』を聞いて、技術顧問の三笑亭夢楽師匠は「談志さんのテープで覚えたよね」と言った。合宿の打ち上げコンパでは談志の物真似をやって、夢楽師が連れてきた弟子の小夢さん(現・桂扇生)にうけたほどだ。私だけじゃない、談志門下のほとんどはあの口調である。それ程の強い影響力が、立川談志にはある。

既成の権威に独自の価値観で切り込む。落語に対する真摯な愛情。自分の芸への強い自負。自分の弱さをさらけ出す。傲岸と含羞。純粋と露悪。無頼と繊細。多面的で複雑な魅力が立川談志にある。いずれも、あくまで自分に忠実であろうとする、強烈な自我意識が根底にある。これはまさに、青春そのものではないか。
「選ばれし者の恍惚と不安、我にあり」。これは太宰治がその処女作に冠した言葉だが、立川談志をも言い表しているように、私には思えるのである。

立川談志については、まだまだ語り尽くせない。これからも、もう少しお付き合いいただくことになると思います。では。

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