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2009年5月28日木曜日

桂文楽 文楽襲名

大正9年、馬之助は八代目桂文楽を襲名する。この襲名は、もちろん五代目左楽の意志で行われたのだが、かなり強引なものであった。なぜなら、この時、桂文楽を名乗る落語家がいたからである。それを無理矢理「桂やまと」と改名させての襲名だ。当然、批判はあったろう。しかし、それを押さえるだけの力が、左楽にはあったのだ。

初代文楽は、三代目桂文治が名乗った。彼は文治を名乗った後、文楽、楽翁を経て桂大和大掾となる。文治が桂の止め名であることを考えると、いわば隠居名として作られたものだ。最初の師匠、三笑亭可楽の「楽」の字をもらったのだという。
二代目、三代目はそれぞれ五代目、六代目の文治となった。この辺りは、桂の出世名としての役割を与えられている。
文楽の名を不動のものにしたのが、四代目、「でこでこの文楽」と言われた人である。このあだ名は、噺の合間に度々「でこでこ」という言葉を入れることから付けられた。(ちなみに、八代目の『締め込み』の中に、「長火鉢にでこでこに火をおこして…」という台詞が出てくる。)江戸前の芸風で、廓を舞台とした『雪の瀬川』などの人情噺を得意とした。(左楽は、この文楽に憧れて落語家になった。拳を軽く握って膝に置く高座姿は、この文楽を真似たものだという。つまり、その名前を愛弟子にやろうとして、左楽は無理を通したのである。)
五代目は、その顔立ちから「あんぱんの文楽」と呼ばれた。地味だが軽妙洒脱な江戸前の噺家だったという。文楽の後「やまと」となり、その後実父の名前、桂才賀を継いだが、既に病床にあり、間もなく死んでいる。

こうして、八代目桂文楽は誕生した。五代目から引き継いだわけだから本来は六代目のはずだが、末広がりで縁起がいいとのことから八代目となった。もうこうなると、筋から言えば滅茶苦茶である。前述もしたが、左楽にそれほどの力があったのだろうし、文楽自身にそれほどまでにさせる魅力と可能性があったのだろう。しかし、文楽は左楽にとって途中からの弟子、当時はいわば新参者である。そう考えると、改めてこの襲名は異例ずくめだったことが分かる。
時に文楽28歳。後50年余り、死ぬまでこの名前を名乗り続けることになる。

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