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2012年5月1日火曜日

伝助の根多帳②

2年の冬合宿には、「湯屋番」と「二十四孝」を持って行った。「湯屋番」は、中学生の頃、ラジオで柳家小三治のを聴いて以来、ずっと演りたかったネタだった。小三治のテープが見つからず、文治と圓楽のテープで覚えた。
冬合宿には、技術顧問の三笑亭夢楽師匠が参加して、私たちの噺を聴いてくださった。
「湯屋番」では、まず上下の間違いを直していただく。そして、終盤の芝居がかりになる件は、「学生さんには無理だよ」と言われた。
その後、小朝のテープを聴いて再構築する。芝居がかった所はカット。番台の若旦那に気を取られていた客が「軽石で鼻を擦っちゃった」という所でサゲることにした。序盤では、小三治の「宇都宮の釣天井飯」がどうしてもやりたくて、そこだけ思い出して追加した。
なかなか許可が出なかったので、3年の春合宿でも発表会の高座にかけた。部屋で稽古をしていると、相部屋の1年生である駒っ太君には大分ウケた。だけど、この噺は私のニンに合わなかったみたい。まあこういう一人で盛り上がっちゃう噺(俗に“ひとりキ○ガイ”という)は、ウケないと孤独なんだよなあ。
「二十四孝」も夢楽師匠に批評をいただいた。師匠曰く、「談志さんのテープで覚えたね。」
でも、これも実は文治のテープだった。この辺りから談志の影響を受けたんだろうな。ちなみにこの合宿のコンパでは、夢楽師匠についてきた前座の小夢さん(現在は文生門下の桂扇生)の前で談志の物真似を披露した。
「二十四孝」の同工異曲の噺では「天災」がある。紅羅坊名丸の貫録を出さなければならないので、「天災」の方が大きい噺だ。当時の私は「天災」に説教臭ささを感じていたんだろうな。より乱暴な「二十四孝」の方に惹かれた。あまり人前では演ったことはなかったが、今でも好きな噺の一つである。

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