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2013年2月5日火曜日

文楽と出口③

「出口一雄―鬼の眼に涙」での出口には、常に落日の雰囲気が漂っている。
自分のやり方や価値観が、いつか通用しなくなる日を、出口はどこかで感じていたのではないか。
出口が聖域にしていた桂文楽の世界も、客体として相対化する視線に晒されることから免れない。レコード全集を監修した山本益博もまた、失敗作『品川心中』『鶴満寺』にも光を当て、桂文楽を総合的にとらえようとした。
出口の頑強な抵抗によって、その二席は全集には収録されなかったが、正確に言えば、完全に封印されたわけではなかった。『品川心中』は、これも珍品『小言幸兵衛』とともにカセットテープで売り出されたし、『鶴満寺』はテイチクの「日本の伝統芸能―落語」シリーズでCD化されている。
出口が昼日中から酒を飲むことについて、京須の質問に答えて三遊亭圓生は言う。
「何年か前になりますかねえ。たしか神田の須田町あたりだったと思いました。どういう事故か、あたくしは詳しくは知らないが、頭を打ったとかで、一時は危ぶまれてあたくしどもも随分心配をしました。まア、いい按配に治って仕事に戻ったんですが、その頃からでしょうかねえ、昼間も飲むという話を聞くようになったのは。やはり、どこか具合が悪くて酒で紛らそうとしているのかも知れませんねえ」
頭を打って脳に障害が残り、人が変わるということはある。出口もそうなのかもしれない。だが、桂文楽の死の影響も小さくはないと思う。文楽の死が昭和46年12月12日。京須が出口と初めて会ったのが昭和48年だ。酒で紛らそうとしたものは、体の不調だけではなかったのかもしれない。
昭和51年2月、出口は事務所で斃れて逝った。桂文楽に惚れ、落語に惚れ、最期まで落語とともに生きた。惚れた相手とそれほどまでに濃密な日々が持てたことを、ただただ羨ましいと思う。
出口を主人公に据えた話は、今の所、この「鬼の眼に涙」だけである。出口自身は本を書くこともなかったのだろう。聞き書きでいいから、出口の言葉を残して欲しかったなあ。昭和期の落語黄金時代を支えた一人である。きっと貴重な話がざくざく出て来たに違いない。
もし10年早く生まれていたら、デグチプロで働きたかったな。夕方になったら、出口さん行きつけの洋食屋へ行って、酒の相手をしながら、文楽師匠の思い出話を聞くんだ。テーブルの上には、コロッケとカキフライの皿。外は夕焼け。出口さんがぶっきら棒に、だが愛おしげに黒門町を語る。そんな想像をするのは楽しい。

CBSソニーから出た、桂文楽全集。題字は吉井勇である。

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