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2015年9月2日水曜日

鈴本演芸場 8月下席 昼の部(仲入りまで)



夏休み最後の土日。次男が風邪を引いた。このまま2日とも家にこもっているというのも長男が可哀そうだから、お父さん寄席にでも連れて行ってあげなよ、と妻が言う。
そこで、ありがたくお出かけをすることにした。 

11時過ぎに上野着。駅前のじゅらくで昼飯。長男は好物、デミグラスソースのハンバーグオムライス。私は生ビールでナポリタン。
ちょっと上野公園をぶらぶらして鈴本演芸場へ。2度目の「親子で寄席」である。 

前座は柳家あお馬、『金明竹』。小せんの弟子か。すっきりとした口調。この頃の前座さんは達者だね。上方弁の言い立てで中手が来ていた。
二つ目は柳家わさび。こちらはさん生の弟子。軽くて明るい。『饅頭怖い』、口調に特徴があって面白い。
ここで太神楽が入る。翁家勝丸。座っての高座。難しい芸になると緊張しているのが分かる。だが、喋りが楽しく、明るく素直な感じが好ましい。客に好感を持たせるってのも一つの武器だな。
ここで古今亭菊丸登場。もうベテランの域か。余裕たっぷりに『親子酒』を演じ、客を沸かせた。
お次は古今亭菊太楼。故圓菊門下が続く。落語協会HPに載せてる写真より大分太ったねえ。ネタは今や古今亭のお家芸『強情灸』。勢いのある高座だ。
漫才、ホームラン。東京漫才の中心的存在としての風格が出て来たね。勘太郎がヒーローものを、たにしが藤木孝「ツイストNO.1」を歌う歌う。自在に高座で遊ぶ感じが、ちょいと昭和のいる・こいるを彷彿とさせる。
待ってました、川柳川柳。ネタは言わずもがなの『ガーコン』。前でホームランがたっぷり歌ったのに触発されたか、川柳も軍歌を歌い倒す。今年は戦後70年の節目ということで、あの戦争について丁寧に触れていく。「何しろ勝ってたのは最初の半年だけ、後の4年はずーっと負けっぱなしだったの」「戦争中は言論の自由も人権も、まるでなかった。嫌な時代でしたな」… 開戦時、10歳だった人の言葉だけに重みがある。あの戦争を美しい物語にしちゃあいけない。
そして、終戦後のジャズのはじけっぷりたるや、口ベース、口トランペット、もう最高。この日は立ち上がって、田舎のお父つぁんの足踏み脱穀機、ガーコンの仕草もやってくれました。御年84というから恐れ入る。声量こそ落ちたものの、歌詞や台詞も淀みなく、口跡も確か。すごい爺さんだ。川柳を聴く幸せに、暫し浸る。
お次は三遊亭歌武蔵の代演で柳亭燕路、『粗忽の釘』。桂小文治さんとともに日暮里特選落語会のメンバー。先代は地味な学究肌。当代は明るく軽妙洒脱。この芝居は明るい芸風の人が多いね。
ここで色物が入る。音楽パフォーマンス、のだゆき。鍵盤ハーモニカで、「車のクラクション」や「救急車のサイレン、ドップラー効果付」、「コンビニの自動ドアが開いた時の音」なんてのを弾いたり、二本のリコーダーをいっぺんに吹いて『剣の舞』なんてのを演奏したりする。喋りも上手い。吹奏楽部の長男は、随分気に入っていた。
仲トリは橘家文左衛門。2001年9月真打昇進と時を同じくして、師匠文蔵が死去。その後大きな後ろ盾もなく、自らで道を切り拓いてきた。たくましく、ふてぶてしく、無頼の香りがある。ネタは『道灌』。この前座噺をしっかりと聴かせるんだな、これが。八つぁん、隠居、八の友だち、三人の登場人物が、生き生きと躍動する。しかも、この、『子褒め』みたいに受けるわけでもない噺で、きちんと笑いを取っている。大したもんだ。53歳、脂がのってきた。落語家としていちばんいい時期だね。来年秋には師匠の名前を継いで、三代目橘家文蔵を襲名するという。これからどんどん大きくなっていく人だと思いますよ。長男も、この人がいちばん面白かったと言っていました。

残念ながら今日はここまで。帰って皆で晩御飯を食べなきゃ、家に残った次男が可哀そうだ。
上野駅でお土産を買って帰る。楽しかったよ。今度は皆で行こうね。

西郷さんの銅像。
私は学生時代、ここで「兄ちゃんいい仕事あるよ」と声を掛けられました。

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