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2018年7月3日火曜日

続昭和23年の香盤

前回の昭和23年、香盤の続き。
東宝名人会専属の落語家を忘れてた。次に挙げる。
三代目三遊亭金馬 七代目林家正蔵(初代三平の父) 初代柳家権太楼 昔々亭桃太郎(柳家金語楼の実弟) 林家三平 山遊亭金太郎(二代目桂小南) 三遊亭小金馬(四代目三遊亭金馬
多分、桃太郎までが真打。桃太郎の真打昇進がいつ頃なのかは分からない。キャリアからいって、この時点では真打になっていたのではないかと思う。

ものはついで、芸術協会と落語協会で、二つ目でその後が明らかになっている人たちを紹介しておこう。
まずは芸術協会。
桃源亭花輔(翌年、鶯春亭梅橋で真打。眼鏡をかけたまま高座に上がった最初の落語家とされる。推理小説家都築道夫の実兄) 古今亭今児(桂米丸) 林家正太郎(七代目春風亭小柳枝 色川武大言うところの“しょぼしょぼの正太郎”) 桂伸治(十代目桂文治) 春風亭柳之助(春風亭柳昇) 三笑亭可寿美(三笑亭笑三) 桂小竹(桂小金治 将来を嘱望されながら映画に転向。タレントとして活躍したが、老年になって落語を演じた。)

では落語協会。
こちらは、春輔、志ん三、花蝶、志ん朝といった名前が見えるが、この人たちは落語家として残っていない。唯一、むかし家今松だけが後の金原亭馬の助となった。
おっと、よく見たら三遊亭歌治、本名中沢信夫というのがあった。歌治はこの年の4月に歌奴で二つ目昇進する。御存知、「授業中」で売れに売れ、三代目三遊亭圓歌となったお人。
調べてみたら、今松の二つ目昇進がこの年の3月。ということは、この名簿が作られたのは昭和23年3月ということか。

  *  *  *

桂歌丸師が亡くなった。
多くのメディアで取り上げられ、色々な人がその功績を讃え死を悼んでいるので、あまり熱心な聴き手でなかった私としては、長々と述べることは避けたい。
テレビの演芸番組最後の牙城とも言うべき「笑点」を長きにわたって支えて来たこと、圓朝作の人情噺、怪談話を今の世に継承したこと、この二つを同時に成し遂げたのは本当にすごい。師の噛んで含めるような、締めた調子の語り口は、圓朝ものにぴったりだったと思う。最初の師匠五代目古今亭今輔は新作落語の闘将として知られたが、怪談噺の「もう半分」や、圓朝作「塩原多助一代記」なども得意としていた。この辺りに私は芸の系譜を感じる。
この前の日曜日、笑点の冒頭で三平を相手に掛け合いをしているのを、次男と一緒にげらげら笑いながら見た。その翌日の訃報だった。
落語ファン以外の一般の人を含めれば、いちばん有名な落語家だったのではないか。
長い間お疲れ様でした。ご冥福をお祈り申し上げます。

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