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2018年7月7日土曜日

昭和46年(1971年)の香盤

お次は昭和46年の香盤。Suziさんにいただいた「昭和46年度芸能人重宝帳」からの引用となる。

芸術協会から。これも真打のみ記す。 

六代目春風亭柳橋 五代目古今亭今輔 四代目三遊亭圓馬 四代目三遊亭圓遊 二代目桂枝太郎 *柳亭痴楽 *八代目雷門助六 四代目桂米丸 三代目三遊亭圓右 桂伸治(十代目桂文治) 春風亭柳昇 三遊亭小圓馬 二代目桂小南 三笑亭夢楽 四代目春風亭柳好 三笑亭笑三 三遊亭右女助 八代目春風亭小柳枝 春風亭柏枝(七代目春風亭柳橋) 五代目三遊亭遊三 柳亭芝楽 三代目柳家金三 桂歌丸 三遊亭小圓遊 鶯春亭梅橋 三代目桂圓枝 三代目橘ノ圓 八代目都家歌六 浮世亭写楽(九代目三笑亭可楽) 桂文朝  

昭和23年に名前があったのは、柳橋、今輔、圓馬、圓遊、枝太郎、痴楽の6人。
23年も経てば、大分人も変わる。23年当時前座や二つ目だった、米丸、圓右、伸治、柳昇が中堅真打として協会の屋台骨を支えている。小南は三代目三遊亭金馬の弟子で、23年の時点では協会には属していなかった。昭和26年頃、桂小文治門下として芸術協会に加入している。
痴楽と助六は欄外の扱いになっていた。この頃、痴楽は東京の寄席にはほとんど出演せず、大阪を主戦場にしていた。「綴り方教室」で売れに売れ、そのためか香盤順のトラブルがあったりして、寄席の楽屋にいづらくなったという。助六は大正12年に睦の五郎で真打になっていたが、その後落語家をやめて役者をしており、昭和31年に落語界に復帰した。そういった事情が、この二人の香盤を確定させていなかったのだろう。 

次に落語協会。やはり真打のみ。

八代目桂文楽 五代目古今亭志ん生 六代目三遊亭圓生 八代目林家正蔵 六代目三升家小勝 五代目柳家小さん 九代目桂文治 七代目橘家圓蔵 三代目三遊亭小圓朝 十代目金原亭馬生 六代目蝶花楼馬楽 金原亭馬の助 三代目三遊亭圓歌 林家三平 柳家小せん 柳家さん助 古今亭志ん朝 春風亭柳朝 三遊亭圓楽 立川談志 柳家つばめ 月の家圓鏡 三遊亭圓之助 古今亭志ん馬 古今亭圓菊 柳亭燕路 橘家文蔵 三遊亭圓窓 柳家小三治 入船亭扇橋 *四代目三遊亭金馬

五代目柳家小さんに注目してほしい。昭和23年当時小三治だった小さんは、五代目襲名に伴い、小勝の下にまで香盤を上げた。そのため文治、圓蔵、小圓朝といった明治生まれの人たちがそろって抜かれた。この時点で故人となっている九代目鈴々舎馬風は、小さんに抜かれて協会をやめようとまで思ったという。
ここでまた会長人事の話になるが、文楽、志ん生、圓生ときた会長は、その次には正蔵を飛ばして小さんに行く。立川談之助『立川流騒動記』によれば、圓生は「正蔵さんだけは会長にしたくない」と弟子に向かって明言したとのことである。
もう一人、注目すべきは古今亭志ん朝。入門順で言えば、春風亭柳朝から橘家文蔵までを抜いている。志ん朝は父志ん生に入門してわずか5年で、36人を抜いて真打に昇進した。
また当時真打になったばかりの圓窓、小三治、扇橋の3人も抜擢真打。彼らに抜かれた二つ目上位の人たちは、後に小さん会長の下で、大量真打として昇進することになる。
四代目三遊亭金馬は欄外で別格扱い。三遊亭圓丈は金馬について『落語家の通信簿』で「金馬師は落語協会に途中入会したために、ヨソ者扱いされる。途中入会と言っても、もう四十年になるが・・・。」と書いている。この本が書かれたのが2013年、ということはこの頃、金馬は落語協会に入会したばかりだったのだろう。


4 件のコメント:

torahati さんのコメント...


 単純な質問なのですが、(松風亭様が仰られていた様に)現在は香盤とは真打昇進順で動かないが、
戦前~戦後では人気や協会の役員経験等で動いていたのでしょうか?

 前の昭和23年の香盤でも仰られて居られましたが、キャリアは永くても人気や寄席に出る機会がない人は
香盤が下の方に下がるという感じだったのでしょうか?(昭和23年の香盤 芸術協会の立川ぜん馬 土橋亭里う馬等)


 三遊亭圓丈師の『御乱心』に書かれておりましたが、楽屋で座る位置もキャリアよりも会長経験者 会長
常任理事の座る位置は決まっていたと書かれていたので、香盤もその様な事で決まるのでしょうか? 

densuke さんのコメント...

香盤順というのは協会内の序列です。原則として真打ち昇進順。
ただし、協会を移籍した時はその時に順番を決めます。
例えば、三遊亭圓窓や圓弥が落語協会に復帰した際は、離脱する前よりも香盤は下がっています。
逆に売れっ子を迎える時は「私の上に」なんてことも昔はあったようです。
HPの芸人紹介は香盤順になっていると思いますので、真打昇進の時期と比較してみると新たな発見があるかもしれません。
そういうところに着目してみるのも面白いと思いますよ。

torahati さんのコメント...

≫原則として真打ち昇進順。
ただし、協会を移籍した時はその時に順番を決めます。
例えば、三遊亭圓窓や圓弥が落語協会に復帰した際は、離脱する前よりも香盤は下がっています。
逆に売れっ子を迎える時は「私の上に」なんてことも昔はあったようです。

ご回答ありがとうございました。
成程、協会を移籍する時に、この人を何処に置くか、そこに人気実力等がものを云うと云う事に成るのでしょうか?

densuke さんのコメント...

圓窓、圓弥については懲罰的な意味合いもあったのだと思います。
あとは同じ協会でも、幹部になったり大きな名跡を継いだ時などに上がることもありますね。
五代目小さんは、九代目文治、七代目圓蔵、三代目小圓朝を抜いています。
六代目圓生は、一枚上に後から真打になった二代目円歌がいることをずっと不服に思っていました。
順番というものは色々物議を醸しだすものなんでしょう。