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2018年7月16日月曜日

昭和46年の二つ目

Suziさんからいただいた「昭和46年度芸能人重宝帳」より、二つ目の落語家をピックアップしてみる。
まずは芸術協会。名簿順に通し番号を付け、真打ち昇進の年と月を調べてみた。


真打昇進年月
1 春風亭扇枝  昭和47年4月
2 三遊亭圓太 昭和47年4月
3 三遊亭千遊(三遊亭遊朝) 昭和47年4月
4 春風亭栄橋 昭和48年10月
5 三遊亭圓輔 昭和49年4月
6 三遊亭若馬 昭和49年4月
7 桂枝松(桂枝助 昭和49年4月
8 春風亭橋之助(八代目春風亭梅枝→華柳) 昭和50年4月
9 三遊亭笑遊(五代目三遊亭圓遊) 昭和51年4月
10  桂欣治(桂文生) 昭和49年10月
11 三笑亭茶楽 昭和51年4月
12 桂南笑(桂南喬) 昭和52年3月
13 三笑亭夢八(三笑亭夢丸)  昭和53年4月
14 春風亭笑好(九代目春風亭小柳枝) 昭和53年10月
15 三遊亭とん馬(廃業)
16 三遊亭遊三郎(昭和53年に三遊亭相馬の名前あり。)
17 雷門花助(雷門五郎)  昭和56年10月
18 春風亭柏葉(昭和44年、映画「新与太郎戦記に出演?)
19 桂南八 昭和56年10月
20 春風亭とん橋(昔々亭桃太郎) 昭和56年10月
21 三笑亭夢二(三笑亭夢太朗) 昭和56年4月
22 桂米助 昭和56年10月
23 三遊亭栄馬 昭和56年4月
24 三遊亭春馬(三遊亭圓雀) 昭和58年4月


ほとんどが名簿順に真打昇進している。抜擢は桂文生(昭和60年1月に落語協会に移籍)ぐらい。昇進人数も多くても1回で3人までだ。

では、昭和46年、落語協会の二つ目。


真打昇進年月
1 三升家勝弥(七代目三升家小勝) 昭和48年3月
2 立花家橘松(橘家圓平) 昭和48年3月
3 三遊亭さん生(川柳川柳) 昭和48年3月
4 吉原朝馬 昭和48年3月
5 柳家小のぶ 昭和48年3月
6 柳家かゑる(十代目鈴々舎馬風) 昭和48年3月
7 三升家勝二(八代目三升家小勝) 昭和48年3月
8 桂小益(九代目桂文楽) 昭和48年3月
9 桂枝治(七代目春風亭栄枝) 昭和48年3月
10 柳家さん吉 昭和48年3月
11 三遊亭好生(春風亭一柳) 昭和48年9月
12 桂文平(六代目柳亭左楽) 昭和48年9月
13 三遊亭歌笑 昭和48年9月
14 三遊亭圓弥(三遊亭圓彌) 昭和47年9月
15 三遊亭生之助 昭和48年9月
16 橘家三蔵 昭和48年9月
17 林家こん平 昭和47年9月
18 柳家小きん(六代目柳家つば女) 昭和48年9月
19 三遊亭歌雀(三代目三遊亭歌奴) 昭和48年9月
20 柳家さん弥(二代目柳家小はん) 昭和48年9月
21 林家木久蔵(林家木久扇) 昭和48年9月
22 金原亭桂太(金原亭伯楽) 昭和48年9月
23 林家時蔵(はやし家林蔵) 昭和50年9月
24 桂小勇(柳家小満ん) 昭和50年9月
25 柳家小もん(二代目柳家菊語楼) 昭和54年3月
26 桂文七(十代目翁家さん馬) 昭和54年3月
27 金原亭馬六(鈴の家馬勇) 昭和54年3月
28 柳家小ゑん(六代目柳家小さん) 昭和51年9月
29 古今亭志ん駒 昭和51年3月
30 柳家とんぼ(柳亭風枝) 昭和54年3月
31 桂楽之助(橘家二三蔵) 昭和54年3月
32 柳家小丸(柳亭金車) 昭和53年3月
33 三升家勝松(四代目桂文字助) 昭和55年9月
34 三遊亭ぬう生(三遊亭圓丈) 昭和53年3月
35 三遊亭旭生(三遊亭圓龍) 昭和56年3月
36 金原亭馬太呂(金原亭馬好) 昭和54年9月
37 林家照蔵(八光亭春輔) 昭和54年9月
38 柳家小団治 昭和54年9月
39 柳家小三太(七代目柳亭小燕枝) 昭和55年3月
40 むかし家今松 昭和56年3月


まず目を引くのが、人数が多いこと。芸術協会が24名なのに対し、落語協会は40名もいる。それが真打昇進年月に影響する。
協会の会長が三遊亭圓生から五代目柳家小さんに交代するのが、この名簿の翌年、昭和47年。その翌年の昭和48年3月に10名、同年9月に10名を真打にした。圓生を激怒させた大量真打である。圓生は昭和48年3月には三遊亭さん生(後に川柳川柳)、同年9月には三遊亭好生(後に春風亭一柳)、三遊亭生之助と自分の弟子が昇進したのにもかかわらず、口上にも披露宴にも参加しなかった。そして、昭和53年にも落語協会の理事会は10人の二つ目を真打に昇進させることを決定。これが引き金となって落語協会分裂騒動が勃発する。
一方で抜擢された者もいる。三遊亭圓彌と林家こん平は、昭和48年昇進組を抜いて昭和47年9月に昇進。六代目柳家小さん(真打昇進時は三語楼を襲名。五代目小さんの息子)と古今亭志ん駒は昭和51年に、三遊亭圓丈と柳亭金車は昭和53年に、それぞれ昭和54年昇進組を抜いて真打になった。ただ、こうして見ると、古典の本格派だけが抜擢されているわけではない。

芸術協会が昭和58年までかけて24人の二つ目を真打にしたのに対し、落語協会は40人の二つ目を昭和56年までに真打にした。一般的に、新作派の芸術協会、古典派の落語協会と言われたが、真打問題に関して言えば、落語協会の方がかなり急進的だったと言える。


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