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2023年2月9日木曜日

3年ぶりの東京散歩①

先日、用事があって3年ぶりに東京に行った。

せっかくなので、思う存分歩き回りましたよ。

まずは目白からスタート。目白通りを南下する。

千登世橋を渡る。

下は道路だが、元は川が流れていたのかしら。

不忍通りとの交差点に、いい感じの酒屋さんがある。

脇の小道をのぞくと、こんな風情のある坂道がある。

不忍通りを歩いて行けば上野の方に行ける。そんなことをふと思いついて、たいして考えもせず不忍通りへ足を向ける。



護国寺の前に出る。このお寺は古今亭志ん朝の葬儀が行われた所だ。志ん朝を偲び、お参りする。





あの日はこの広い境内が参列者でいっぱいになったのだな、としばし感慨にふける。

大塚から千石へ。歩数はすでに1万歩を軽く超えている。




このまま上野までもつのか、と自問自答する。自問する時点でもう答えは出ている。都バスのバス停があったので、そこから「都バスでとばすぜえ」にすることにする。


上の松坂屋前までほぼ30分。歩いていたら、けっこうかかっただろうなあ。

湯島の天神様にお参り。


湯島の白梅。


もちろんここまで来たら黒門町へ。


八代目桂文楽の住居跡。

はす向かいの落語協会事務所には、五代目江戸家猫八襲名のポスターが貼ってあった。

ここらで昼飯を食いたい。気分は喫茶店のスパゲティー。付近に喫茶店はあるが、どこもパンが主流。これは上野駅前まで行って聚楽のナポリタンか、と思ったが、黒門小学校の1本上野側の通りにイタリアンレストランを見つけた。


ランチにナポリタンがあるではないか。否も応もなく店に入り、Aランチ、ナポリタンを注文。





コーヒーをつけて1000円ちょうど。胡椒のきいたナポリタン、旨かった。

2023年2月6日月曜日

『八代目正蔵戦中日記』

彦六で死んだ八代目林家正蔵の、昭和16年(1941年)12月から昭和20年(1945年)8月までの日記である。(当時、彼は五代目蝶花楼馬楽を名乗っていたが、ここでは正蔵と呼んでおく)私は平成26年の青蛙房版を持っているが、この度、中公文庫で文庫化されたという。いい機会だと思い、再読してみた。

 

太平洋戦争中の庶民の暮らしや落語界の動向を教えてくれる第一級の資料なのは間違いないが、読めば読むほど立ち上がってくるのは、強烈な個性を持つ八代目林家正蔵という落語家、その人の姿である。

 

日記というのは、極めて意識的な文章である。書かなければそれで済む。日記を書く人は、日記を書く必要があるから日記を書くのである。

『吉原花魁日記』の森光子は、文学少女である自分が、苦界に身を沈め、体を売って暮らすという地獄のような日々の中で、正気を保つために日記を綴った。

永井荷風の『断腸亭日乗』(「日乗」とは日記のことである)は、読者を意識して書かれており、その意味では文学作品と呼ぶべきものだった。庄野潤三の後期の連作も、日記のような小説である。彼らにとって日々の生活を書くことは、文学的行為そのものであった。

 

では、正蔵にとっての日記とは何だったのか。

正蔵は偉そうな奴が嫌いで、セコく立ち回る奴が嫌いだ。しかし、そんな人間にいちいち腹を立て摩擦を引き起こす自分もよしとしない。正蔵には一日のうちに一度、自分を振り返って客体化させ、見つめ直す時間が必要だったのだろう。

自分の行動や周囲の人々の言動、寄席のワリ、収入も自分への評価として克明に記録する。それに対して揺れ動く自分の感情もつぶさに書き留める。その上で自分を戒める。

「平常心」という言葉が多用されるのも、自分への扱いや下される評価に揺れ動く心への戒めなのだと思う。つまり、正蔵にとって日記とは、自分を映す鏡であり、自分を磨く砥石だったのではないか。

そう思えば「便所の汲み取り」の記事が繰り返されるのも納得がいく。あれはまさに「聖なる行為」なのだ。

 

八代目林家正蔵といえば、不遇のイメージがつきまとう。しかし、この日記を読めば、この時期、彼がまずまず売れていて、まずまず評価されていたことが分かる。昭和16年に落語協会幹部に就任、寄席でもトリをとり、慰問や巡業にも頻繁にお呼びがかかり、ラジオにも出演していた(前書きでも、娘の藤沢多加子が「この時代の日記は、売れ始めた頃だった」と言っている)。

当時の落語協会での正蔵の位置が分かる記述があるので以下に引用する。

 

 右女助君大幹部に成り、上のトリ。馬風。さん馬も共に給金三〇になり、柳枝三三、円生と私三五、円歌四〇、志ん生四五、あと据え置きと改正される。(昭和1931日)

 

当時の落語協会は、講談の一龍齋貞山が会長。落語家は、四代目柳家小さん、八代目桂文治、八代目桂文楽、それに続くのがここに出てくる人たちだ。文楽の次が五代目古今亭志ん生。その次に二代目三遊亭円歌。六代目三遊亭圓生と五代目蝶花楼馬楽(八代目林家正蔵)が同格で続く。そして前年「柳枝」を襲名した八代目春風亭柳枝。この年には桂右女助(六代目三升家小勝)、鈴々舎馬風、翁家さん馬(九代目桂文治)が新たに幹部に加わる。正蔵は協会において本当のトップとは言えないまでも、まあ順当な位置にいたのではないかと思う。

 

もちろん、正蔵といえども時代の渦には巻き込まれざるを得ない。次第に戦局は悪化し、空襲の記述が増える。警報続きで寄席には客が来ない。その中で、彼は警防団員としての務めを忠実に果たし、落語協会幹部として奔走する。娘や息子たちのために心を砕く。正蔵は国が滅びの道をひた走る中にあって、正面から現実に立ち向かっている。

だからといって、聖人君子でもなければ、石部金吉金右衛門のような四角四面の堅物だったわけでもない。配給や貰い物の酒に酔い、愛人のもとに通う。「少し風邪引きの気味が。房事過度も手伝ふか。」(昭和19322日)などという、どきっとするようなことも書いている。

再読して、改めて思う。八代目林家正蔵という人は何と魅力的な人物なのだろう(彼が在日コリアンに対し、当時一般的だった「鮮人」という蔑称を用いず「半島の人」と呼んでいることも付記しておく)。

 

後書きによると、編者は正蔵の遺族から数十冊に及ぶ日記を預かったという。そこから、特に太平洋戦争開戦から終戦にかけての部分にスポットを当てたのが本書である。寄席演芸、歌舞伎、相撲などを含めた芸能全般及びそれに携わる人々について、当時の世相や庶民の暮らしについて、様々に読み取ることができる優れたテクストだ。それを世に出してくれた編者には感謝しかない。

でも、本書で公表されたのは5冊分(〈本文凡例〉による)に過ぎない。預かったのが「数十冊に及ぶ日記」というからには、その大部分が未発表のままだ(ああもったいない)。

『戦中日記』だけで満足せず、どんどん続編を出してほしいなあ。



2023年2月5日日曜日

立春、そして初午

昨日は立春。

のどかな土曜日。家にいて、灯油を入れたり風呂のカビ取りをしたりしながら過ごす。

仕事から帰って来た妻と夕方ビール。

夕食は鱈のチゲ鍋、葱と油揚げの炒めもので燗酒。鍋には餅を入れる。旨し。

食後に赤ワイン。ラフロイグ。寝しなにボウモア。

『八代目正蔵戦中日記』再読。読了。


今日の日記。

朝、マフィン、スープ。

初午だというので、父を笠間稲荷神社に連れて行く。昔はバスを連ねて参拝客がやって来たというが、今日はほどほどの賑わい。





参拝を終え、父に「この前、入れなかった坂野家住宅に行くか?」と聞くと、「行きたい」と言う。そこで、ちょっと遠いが常総市大生郷へと車を走らせる。

1時少し前、坂野家住宅に到着。今度は開いていた。たっぷり見学する。




映画やテレビドラマ、CMなどのロケ地としても使われているとのこと。中村不折の書画もあったな。


この地域でいちばんの豪農の家。いわれはこちらに書いてある。


1時半過ぎ、すぐ近くの食堂で昼食にする。私は豚肩ロースの生姜焼き定食を食べる。

4時頃帰る。皆でお土産の胡桃饅頭を食べる。


妻と夕方ビール。

夕食は、ホタテや豚肉、レバー、フランクフルトソーセージなどをホットプレートで焼いて食べる。ビール、酒。食後にラフロイグを飲む。

2023年2月3日金曜日

充電、そして節分

午後から休みをもらう。

まずは水戸市(旧常澄町)の「くいしんぼう南風」で昼食。Bランチ(チャーハンとラーメン)、800円。


 ああ、ダメ・・・。チャーハン、ラーメンには抗えない。旨し。

そこから笠間へ向かう。久々の日動美術館。今回の企画展は「心のありか —いのり・ふるさと・うた」。常設展も充実の展示。笠間にゆかりのある画家の特集も面白かった。


2019年撮影のボナール。ちなみに撮影可です。

同じく、こちらはマチス。もちろん撮影可。

帰りに355線沿いのカフェに寄る。

ミルクティー、420円。


窓の外を眺めながら、ずっと店内に流れるジャズのピアノトリオを聴いていた。いい充電ができたと思う。


夜は節分で豆を撒く。

夕食は恵方巻、けんちん汁、イカリングフライでノンアルコールビール。

長男の迎え。帰ってから、白ワイン、ラフロイグ、ボウモアを飲む。

「鰯の頭も信心から」


2023年2月1日水曜日

水辺の風景

平日、美浦に稽古に行く時は、北浦大橋を渡り、牛堀から稲敷に入り、新利根川沿いを走って、大杉神社の前を通って行く。

水辺の風景を眺めながら行くのだが、これがいい。私は魚座の生まれなので、水のある風景が好きなのだ。

まずは北浦大橋を渡った所の船溜まり。





次は稲敷の新利根川。




シメは稲敷市古渡。小野川の上流側。ここで日没。日が沈むまで、その美しさに見とれていたよ。