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2024年10月14日月曜日

OB会の前、川崎市を歩く

落研のOB会が東京であった。

こういう時は早めに出掛け、学生時代ゆかりの地を歩くことにしている。

10時過ぎ、川崎駅西口に立つ。私は大学の4年間、この街に住んだ。


昔は、繁華な東口に対し、文字通りの裏口だった。かつての工場の跡地に大型商業施設ができて、昔日の面影は、もはやない。

私が住んでいたアパートのあった方に向かって歩き出す。

当時もあった狸小路飯店。入ったことはない。

よく買い物に行った南河原町銀座。

アパートがあった路地。

新しいマンションがばんばか建って、ほとんど昔の面影はない。

今回はあえて道はいつもの反対側を歩いた。この辺りは山口瞳の『家族』の舞台でもあるのだ。彼は昭和57年、幼少期自分が住んだ家があった所を探しに行く。それが、川崎市幸区柳町付近。私が住んでいた南幸町とは大通りを挟んだ向こう側にあたる。

突き当りに変電所がある。

東電の変電所。

山口瞳と同じように変電所の塀沿いに歩いた。

突き当りに南武線の土手が見える。

ある日、山口瞳の母は幼い彼を連れて南武線の土手を上った。我が子を道連れに電車に飛び込んで死のうと思ったのである。山口家が川崎に移り住んだのは父の事業が失敗したからだ。夜逃げ同然に彼らはこの町にやって来た。1年間の夫の不在や借金取りの来襲など、彼の母はそこまで追い詰められていたのだろう。結局、この親子心中は未遂に終わった。

山口瞳が昭和57年当時、訪れた商店も付近にあった蕎麦屋も今はない。彼が住んでいた頃は、川が流れ、ため池が至る所にあったという。旧町名である河原町というのが、それを物語っていた。もちろん、今はそんな気配は微塵も感じられない。

尻手駅から南武線に乗る。尻手の駅はほとんど変わらない。少しだけほっとする。




大学へは南武線で通った。尻手から、矢向、鹿島田、平間、向河原、武蔵小杉、武蔵中原、武蔵新城、武蔵溝ノ口、津田山、久地、宿河原、そして登戸まで。途中駅は今でもそらで言える。

登戸で降りる。『虎に翼』で戦中から戦後と、猪爪家が暮らした町だ。

登戸駅も立派になった。

駅前は再開発をしているらしく、わずかに残っていた昔の建物もすっかり取り壊され更地になっていた。


小田急向ヶ丘遊園駅まで歩く。南口の駅舎は、北口のを模したかわいらしいものになっていた。


ここらで昼にしたい。カレーのインドールはすでにない。ダイエーの方に蕎麦屋があったはずだと行ってみたら、ラーメン屋になっていた。


家系はちょっと今日はきついなあと思い、また引き返す。

喫茶店のランチを見つけ、そこに入る。


ベーコンピラフのセット、800円。炒めるタイプ。旨かったよ。夜はスナックになるみたい。コーヒーはサイフォンで淹れるやつ。旨し。静かで落ち着けるいい店だった。



かつての通学路をぶらぶら歩く。この辺はあまり変わらないなあ。





大学までの坂道を上る元気はちょっとない。昔、民衆というレストランがあった踏切を渡る。



落研御用達、雀荘みどりがあった小道に入る。カルーセル麻紀似の美人のおばちゃんが切り盛りしていて、きさくで優しかった。私が居眠りしていると、「伝助っ、ここは宿屋じゃないよっ!」と叱られたものだった。もちろん、もうおばちゃんはこの世にいない。みどりもなくなってしまった。

ところが奥に進んで行くとけっこう昔の家並が残っている。




 

あの町中華は、みどりで出前を取っていた店ではないだろうか。あの卵チャーハンは旨かったなあ。

それから府中街道を渡り、向ヶ丘遊園駅北口に出る。



さて、これからのんびり各駅停車で新宿に向かおう。向ケ丘遊園、登戸、和泉多摩川、狛江、喜多見、成城学園前、祖師ヶ谷大蔵、千歳船橋、経堂、豪徳寺、梅が丘、世田谷代田、下北沢、東北沢、代々木上原、代々木八幡、参宮橋、南新宿、新宿。これも(ちょっと順番を間違えたが)ほぼそらで言えた。


 

2024年10月7日月曜日

笠間へちょっとお出かけ

今日は土曜出勤の代休。

朝、御飯、味噌汁、ポテト、納豆。

せっかくなので、妻とお出かけ。笠間に行く。

まずは道の駅に寄る。せっかくなので、名物モンブランを食べる。1個1200円。二人で分けて食べる。旨し。


昼は、森の石窯パン屋さん。パンを買って、イートインスペースで食べる。二階で眺めもよい。チーズカレーパンは焼きたて。旨いなあ。


それから笠間稲荷神社にお参りに行く。佐白山公園駐車場に止めて歩く。



境内は菊祭り前で、ほどほどの賑わい。



奉納額を鑑賞する。



買い物をして13時半頃帰宅。『光る君へ』の録画を観る。

夕方、猫の蚤取りの薬を買いに行く。帰りに霞ケ浦の堤防に出る。



筑波山には雲がかかっていた。

夕食は、御飯、シチュー、サラダ。

猫が脱走し、間もなく捕獲。夜になって雨が降り出す。

2024年10月6日日曜日

神崎町の演芸会

朝、御飯、味噌汁、チキンナゲット、スクランブルエッグ。

今日は神崎町の演芸会に出演する。うちのボス、梅八さんの娘さんで浪曲師、国本はる乃さんの会に出させていただくことになったのだ。落語はうちの一門から、梅八さん、ともちゃんさん、私の三人。そして、はる乃さんが二席たっぷり演じる。

私は早めに神崎町に入り、妻のリクエスト、「マッシュルームいちばん」を道の駅で買う。

その後、少しだけ神崎町を散策。






11時半頃、楽屋入り。お弁当をいただいて、14時開演。私は『長短』を演る。

はる乃さんは、『若き日の大浦兼武』『将軍の母』の二席。私は舞台袖で観ていたのだが、美しい高座姿だった。やっぱりプロの売れっ子は違う。色々勉強になった。

18時半過ぎ帰る。今日、妻は大学時代の友人に会いに東京に行った。夕食の支度は息子たちがやっていた。

夕食は、もつ煮込み、餃子、焼きナスで燗酒。

20時過ぎ、妻が帰って来る。妻とビール、酒。風呂上がりに二人でシードルを飲む。

BS・NHK『団地のふたり』を観て寝る。

2024年10月3日木曜日

常陸国総社宮

石岡のおまつりの日、長男と総社宮を参拝した。

総社とは、律令国の八百万の神々を国衙近くの一箇所に合祀した神社である。

まずは表参道を行く。


普通の神社は参道の奥に社殿があるのだが、総社宮は違う。参道の突き当りを左に曲がった奥に社殿がある。

不思議に思っていたのだが、この参道は大正時代の造営の時に整備されたものだという。旧参道は本殿正面脇から階段を下り宮下に至る道。それなら納得できる。

表参道の突き当りを左に曲がると随身門がある。


寛永4年(1627年)造営。境内最古の建築物のひとつらしい。

門をくぐると神井がある。ポンプがいいねえ。


その奥に社殿が鎮座まします。


向かって左から、神楽殿、本殿、拝殿。拝殿の前には神武天皇遙拝所がある。ということは、拝殿は奈良の橿原神宮を向いて建てられていたんだね。

この日はお祭りということもあって、ほどほどの賑わいでした。

鳥居前まで幌獅子が入ってきた。