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2011年1月11日火曜日

滝平二郎展を観た


県の近代美術館でやっていた滝平二郎展が、延べ3万人を越える入場者数を集め、盛況のうちに幕を閉じた。
私も1月2日、村松虚空地蔵尊に初詣に行った帰りに寄ってみた。
滝平二郎といえば、私にとって郷土の偉人であり、高校の大先輩でもある。
小学5年だか6年だかの時、中学校の体育館で滝平二郎の「きりえ教室」という催しがあった。当時、彼のきりえは朝日新聞日曜版の一面を飾っており、評判を取っていた。「故郷に錦を飾る」といった感じだったのだろうか。私も当然のように参加した。
その時、滝平は白と黒の模造紙を使って見本のきりえを作った。上に重ねた白模造紙に無造作に鉛筆で線を引き大胆にカッターで切り抜くと、下からおなじみの桃割れ髪の少女が現れた。あまりの鮮やかさにため息がもれた。(その後、そのきりえは中学校の校長室に飾られた。)
今回の展示はきりえだけでなく、木版画や絵本の挿絵も含まれており、滝平二郎の仕事を年代を追って総合的に辿ることが出来る。
私としては初期の木版画が新鮮だった。特に後期の作品は単純化された造形とシンプルで力強い線が、後のきりえの作風を思わせた。
また、斎藤隆介と組んだ絵本の仕事では、多くの人を惹きつける力を感じさせた。『八郎』、『三コ』、『ベロ出しチョンマ』の切なさ、『モチモチの木』、『花咲き山』、『半日村』の完成された美しさ…。これらの仕事で滝平は自ら物語性を存分に発揮し、画家としての地歩を固めたのだった。
そして、朝日新聞日曜版を飾ったきりえで脚光を浴びる。
霞ヶ浦沿いの昔の農村、しっかり者の姉と甘えん坊の弟、平和でのどかな四季折々の情景、ステレオタイプといわれればそうかもしれないが、そこには見る人の心を揺さぶるものがある。町中の丼ものも出すありきたりな蕎麦屋だが、その丁寧な仕事と誰でも楽しめる雰囲気で多く人に愛されている、そんな感じの絵だ。厳選された材料と高い技術を誇るこだわりの店のようなものばかりが芸術ではない。
また、初めてまとめて原画を観ることが出来たのだが、やっぱり凄いなあ。紙を貼り合わせた凹凸の立体感。台紙に色をぼかしてみたり、薄い紙を上から重ねて貼ってみたり、何気ないけれど、手法は多彩だ。ただの農村を描いた素朴なきりえというだけではない。職人芸といってもいい技巧が、あらゆる所に施されている。作品の側には制作時の年齢も記してあったが、圧倒的に50歳以降のものが多かった。ということは、作品で食えるようになるまでに、そこまでの歳月を要したということなんだなあ。
滝平二郎の年譜を見て新たに気づいたことがあった。彼は終戦を沖縄で迎えたのだ。あの地獄の戦場から、滝平は生きて帰ったのだ。展示で見る限り、彼の沖縄戦に関わる発言はない。作品にも戦争を思わせるものはほとんどなかった。(木版画に2、3点見られたか。ただ、それも直接的な表現ではなかった。)それがかえって、戦争が残した心の闇の深さを物語っているような気がしてならない。

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