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2011年1月26日水曜日

檀一雄 『火宅の人』

お伽噺である。大人の男の、お伽噺である。とても私にはできない。 妻子ある作家桂が、新劇女優恵子と天然の旅情で結ばれ、妻子のいる家を省みずに諸方を流転する物語(水上勉の解説より)。その妻子のいる家は、先妻との間に出来た長男が不良になるし、次男は日本脳炎のために全身麻痺で寝たきりのまま。虚実ない交ぜになってはいるが、この大筋は事実を元にしている。 さすが、最後の無頼派だ。世間の常識などものともしない。安定など糞食らえだ。見事に転がり続ける。まさにライク・ア・ローリング・ストーン的な人生。地獄の業火に焼かれても、自分のやりたいようにやる。いや、自分のやりたいようにしかやれないのだ。 ただ、そこには悲壮感も自己への陶酔もない。あるのは明るい諦念だ。どこかあっけらかんとしているところがいい。 私としては、矢島恵子と同棲を始めての最初の頃、浅草千束町に部屋を借りた辺りがよかったねえ。まるで檀版『浅草紅団』だな。下町の人々やいかがわしい芸人たちとの交流が生き生きと描かれる。私も浅草辺りに部屋を借りて、隠れ家にしてみたい。ふとそんな妄想を抱きたくなった。 それから、恵子との最初の別れ話の後の道行き。二人は上野から土浦まで常磐線でやって来て、土浦から船に乗って潮来に向かうのよ。牛堀の旅館での侘びしい交情。いいねえ。 もちろん、桂の流転はとどまることを知らない。放浪はやがてアメリカ、ヨーロッパへと拡大する。そこで桂は恵子の過去に対する嫉妬に狂い、菅野もと子という女と愛人関係になる。帰国後は新たに葉子という酒場の女と九州全土を放浪する。行き当たりばったりに女と関係し、盛大に煮炊きし飲みかつ食らい、湯水の如く浪費する。次第に桂の狂躁は凄惨さを帯びてくる。 やがて、女たちは桂の下を去り、彼は神楽坂の連れ込みホテルに流れ着く。彼の身を焦がした業火も、彼の衰弱と共に勢いを失っていく。ぶすぶすとくすぶるその残り火をもてあます寂寥の中、話は終わる。 檀一雄が死の直前まで書き続けた最後の長編。完成までに20年を要した大作だ。深作欣二の監督で映画にもなった。この間CSでやってたのをちらっと見たけど、映像だと主人公の勝手さだけが目に付くなあ。本の方が、はちゃめちゃの奥に立ち上る哀しさが感じられていい。いずれにせよ、女の人には、到底受け入れられない話だよねえ。 さて、リンクの件ですが、確かに、大福さんの言うとおり、読者の画像の中のリンクを使うのがいちばん簡単ですね。ご指摘ありがとうございます。(実はリンクを試みてはみましたが、結局、できませんでした。お騒がせしてすみません。)

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