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2012年10月3日水曜日

友川かずき『死にぞこないの唄』

物置から持って来て、一気に読んでしまった。友川かずきが書いた、初めての本だ。
奥付を見ると、1977年5月15日初版発行、とある。初版本である。(多分、重版はなかったろうが。)
この本は、大学に入った年、川崎のアパートの近くの本屋で買った。とすると、2年間、私が買うのを、その本は待っていたことになる。
奥付には、今では考えられないことだが、「川崎市幸区**町3-17」(**は自主規制)と著者の現住所も書かれていた。
それを見た私は、思わず膝が震えた。私のアパートは、同じ町内の「3-16」にあったのだ。 この本に出てくる、南河原銀座も三玉酒店もすぐ近所。友川がつげ義春のマンガを買った本屋にも、私はよく行っていた。
前半はエッセイ、後半は対談。途中、何篇かの詩が挿入される。友川、20代の文章。今読むと、かなり青臭い。でも、彼の肉声が聞こえるようだ。
秋田の八郎潟湖畔の村に生まれ、高校卒業後上京し就職するもすぐにそこを辞め、飯場を渡り歩く。岡林信康の影響で歌を作り始め、1974年歌手としてデビューした。難解な詩を、秋田訛りで絞り出すように絶叫して歌う。一度聴いたら忘れられない。そのスタイルそのままに、言葉を叩きつけるように、己の過去を、日常を、書き綴る。
当時、夜、酒を飲みながらむさぼり読んだ。そして、ほんの数百メートルの所にある、ここと同じような木造アパートの中にいるはずの、友川を強く意識した。
だからといって、彼の部屋を訪ねる勇気はなかった。行ったところで、何を話せばいいか分からなかったし、気安く近づくのはあまりに図々しい気がしたのだ。
久しぶりに読んだら、あの頃を思い出した。あの汚い四畳半を思い出した。「川崎で俺は秋田を見ている」なんて文章を読みながら、茨城生まれなんて、何て中途半端なんだ、てなことを思ってたんだ。友川に八郎潟と寒風山があるなら、俺には霞ヶ浦と筑波山がある、てなことを思ってたんだ。友川に影響されて、サントリーの白を飲んでたんだ。(すぐに金が続かなくなって、レッドに変えたけど。)

今や友川も還暦を過ぎた。元同僚のHさんの情報によると、友川の曲が、カラオケに15曲ぐらい入っているという。すげえなあ。俺、スナックで『トドを殺すな』なんて歌う勇気ないぞ。

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