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2014年2月20日木曜日

2003年 「奥多摩貧困行」を旅する⑤

というわけで、「ぎん鈴」に投宿。部屋を見るなり、T君は「伝助君、でかした。」と言った。
素敵な部屋だったわけではない。味わいの深い部屋だったのだ。
私たちは離れに案内されたのだが、それは高級旅館のそれではなかった。古びた木造の部屋。くすんだ壁。網戸はないが、冷房は完備してある。テーブルの上には、アースの蚊取り線香が鎮座ましましていた。

ひとっ風呂浴びる。風呂は24時間入れるが、温泉という訳ではない。(ネットで見たら、鉱泉を使用しているようだ。)浴槽はそれほど大きくなかったが、一日の疲れは十分とれた。
そうだな、妻とではまず泊まれない。こういう味を楽しめるのがT君との旅のよさだ。
夕食は別の部屋でいただく。表に千葉ナンバーのステップワゴンが止まっていたが、私たちの他に客がいる様子はない。メニューは山の幸を中心に充実のラインナップ。薬味だの何だのに茗荷がやたら使ってある。きっとその辺りに自生しているのだろう。茗荷好きには嬉しい。(そういえば、落語に『茗荷宿』というのがあった。)
キンと冷えたビールと冷酒で美味しくいただき、部屋に帰る。部屋で寝ころびながら、つげの本を開き、彼らが御嶽で泊まった宿を調べる。
彼らが泊まったのは「五州園」という宿だった。パンフレットを見ると、このすぐ近くらしい。
つげは「五州園」が割烹旅館を名乗っていたため、食事が別料金ではないかと心配になって、「お金が足りなくなったら、ここで働かなきゃ。」などと言い、息子を不安にさせる。結局、印税が入ってお金に余裕があったので、「大船に乗ったつもりで安心しなよ。」と言ってやる。親の前で一喜一憂する息子の姿がいじらしい。
翌朝は台風の影響で土砂降り。会計を済ませ、奥多摩町に向かうが、どうにもならず撤退。途中、鳩ノ巣渓谷というかわいらしい名前の渓谷があった。
再び「ぎん鈴」の前を通る。その少し先に「五州園」はあった。土砂降りの中、ご主人とおぼしき人が、ずぶ濡れになりながら屋根の修理をしていた。T君は路上に車を止め、「五州園」をカメラに収めた。
青梅についた頃は、もはや暴風雨であった。青梅の街には古い映画の看板が、至る所に飾ってある。しかし、のんびり見ていられる状況ではなかった。我々は早々に奥多摩を後にしたのであった。

 

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