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2015年4月20日月曜日

出口一雄 ラジオ東京(TBS)時代①

出口一雄が落語界に残した最も大きな仕事といえば、ラジオ東京草創期に落語家専属制度を始めたことであろう。
昭和28年(1953年)、ラジオ東京は、八代目桂文楽・五代目古今亭志ん生・六代目三遊亭圓生・五代目柳家小さん・昔々亭桃太郎の5人の落語家と専属契約を結ぶ。
ラジオ東京設立が昭和26年(1951年)、Suziさんの言によると出口の入社は創立3年目。ということは、ラジオ東京入社早々、出口はこの大仕事を成し遂げたことになる。
京須偕充が『落語名人会夢の勢揃い』の中で書いているように、「これだけ無駄のない、密度の高い布陣を整えたことは、出口の炯眼、辣腕ぶりと彼へのはなし家の厚い信頼を物語っている」と言っていい。
これを皮切りに各ラジオ局が落語家の争奪戦を繰り広げる。
NHKは『とんち教室』レギュラーの六代目春風亭柳橋・三代目桂三木助、文化放送は八代目三笑亭可楽・五代目古今亭今輔、ニッポン放送は二代目三遊亭円歌を専属にし、社員だった円歌の息子に志ん生を引き抜かせた。(後にこの円歌の息子のもとに志ん生の長女は嫁ぐことになる。)
草創期の民放ラジオにとって落語放送は、演者一人で30分番組ができ、しかも安く上がる、まさにドル箱的存在であった。
とりわけ、専属制の先鞭をつけたラジオ東京の充実ぶりは素晴らしく、「ラクゴ東京」と異名を取るほどだった。 

この専属制にはひとつ裏話が残っている。川戸貞吉編『対談落語芸談』という本の中で、元電通のプロデューサー小山観翁がこんな証言をしている。 (以下小山の部分を抜粋引用する。)
「(当時の電通の制作部長が)『噺家さんに会ってみたいが、食事に呼べるか?』と私にいうんで、『呼ぼうと思えば呼べますが、どういうふうにして呼ぶんですか?ッていったら『偉い人を全員集めて、私がご挨拶する』と。『食事の一席をかまえてくれないか』ッて。
で、『心得た』ッてんで私が各師匠に電話をかけて、ある料理屋さんでうちの部長を紹介する形で、一同に会して食事を出したン。
そうしたらばですねェ、『電通が専属を作って、みんなタレントを押えちゃうんだ』という噂が、そこから流れたわけです。
それでTBSがあわてて専属を作ったんです。」

出口一雄は小山をかわいがっていたようだ。
すぐ喧嘩腰になる出口が小山のいうことは聞く。これにはTBSでも電通でも不思議がったという。専属の落語家も地方局ならという条件付きで録音させてくれた。
のちに出口は小山に「『電通が全部噺家を押えちゃうんじゃ偉い事(こ)った』ということから、急遽専属という話ンなった。だから元はといえば、ゆさぶりは小山さんだから、しょうがないからあんたには専属の噺家を貸す」と言った。
あの戦後落語史上に残る大事件が、このような偶発的なきっかけで起こったとは何とも面白い。また出口の態度も義理堅いうえに、さっぱりとして潔い。

柳家小さんがラジオ東京落語家専属制に関する思い出を綴った新聞記事。
(Suziさん提供)

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