ページビューの合計

2016年6月25日土曜日

昭和46年度 芸能人重宝帳


ロサンゼルスのSuziさんが『昭和46年度 芸能人重宝帳』という小冊子を送ってくださった。 Suziさんは落語史にその名を残す出口一雄の姪御さんに当たる。
出口一雄といえば、TBSのプロデューサーとして落語家専属制度の先鞭を切った人とである。TBS退社後は、デグチプロを設立。八代目桂文楽を始め、様々な芸人のマネジメントをした。その仕事は、芸人たちからは「仏のデグチ」と呼ばれるほど、芸人に寄り添ったものだったという。(手前味噌だが、詳しくはこのブログの「桂文楽と出口一雄」のシリーズをご覧いただきたい。)

で、この『芸能人重宝帳』。芸能関係の住所・電話番号が記載されているのだが、芸術協会、落語協会、講談協会に所属する全ての芸人から、寄席、ホール、放送局、芸能プロダクション、お囃子さんから幇間の師匠方に至るまで、東京で演芸に関わる者のほとんどが網羅されている。芸人の手配、劇場の手配、取材等、これ1冊あれば事足りるのではないかと思われるスグレモノだ。
実際に出口も使用したらしく、古今亭志ん馬の電話番号には手書きの訂正が施されている。

何せ45年前のものだ。様々な発見があって面白い。
まず、落語の団体が、「芸術協会‐落語協会」の順になっている。私が持っている出版物では、どれも「落語協会‐芸術協会」の順だ。いくら順不同だとはいえ、そこには必ず意味がある。戦後しばらくは人気において芸術協会が落語協会を凌駕していたと聞く。この順列は、いささかそれを偲ばせるものではないだろうか。

ページをめくると、昭和の名人上手がずらりと並ぶ。(残念ながら、三代目金馬、三代目柳好、八代目可楽、三代目三木助等の名前は既にない)
さすがに芸人全ての家に電話が引かれている。その中で自宅に2本引いているのが、春風亭柳橋、三遊亭圓生、林家三平。柳橋・圓生は大御所、三平は売れっ子、いずれにせよ電話を複数本引くのは、仕事の依頼が多いが故だろう。複数電話を引くのにも、それなりに金もかかるだろう。ある意味それはステイタスにもなり得る。そして、黒門町桂文楽は何と3本引いているのだ。まさに別格といっていい。 

また、今のベテランが前座に名を連ねているのも興味深い。
芸術協会では、三笑亭夢九(夢之助)、三遊亭右詩夫(古今亭寿輔)、三遊亭遊吉(小遊三)等、落語協会では、三遊亭楽松(鳳楽)、林家九蔵(三遊亭好楽)、古今亭高助(故古今亭志ん五)、柳家そう助(さん八)、柳家マコト(小袁治)、柳家小稲(さん喬)、金原亭駒七(五街道雲助)、立川談十(朝寝坊のらく)、春風亭朝太郎(一朝)等の名前が見える。
前座には、ほとんど電話番号が記載されていない。記載されているのは、多分実家からの通いなのだと思う。住所で師匠方になっているのは内弟子である。芸術協会では現小遊三の遊吉(遊三方)と、二つ目になっているが桂米助(米丸方)がそうだった。落語協会では現月の家圓鏡の杵助(圓鏡方)、現柳家さん枝の桂文吉(文楽方)、現春風亭一朝の朝太郎(柳朝方)。ちなみに現柳家小満んの桂小勇も二つ目だが、師匠文楽方になっていた。
寄席文字の方には橘右朝の名前も見える。(彼は後に古今亭志ん朝門下で落語家になる。将来を嘱望されていたが、2001年、惜しまれつつ52歳で没した。)

芸能プロダクションでは「鬼の暁」(二代目円歌の子息が経営していた)に並んで、出口一雄の事務所が載っている。社名は『デグチ』。出口さんらしく、あっさりしてますな。住所は夫人の実家の新富町。電話を2本引いているところを見ると、繁盛していたのがうかがえる。今を時めくマセキ芸能社も名を連ねていた。

ところで、裏表紙を見て驚いた。発行が昭和46年8月31日。ということは黒門町桂文楽の、伝説の最後の高座、まさにその日ではないか。この小冊子を受け取った時の出口さんの心境はどのようなものだったのだろう。色々思いを巡らせてしまったよ。 

いやあほんと、1日眺めてても飽きないな。Suziさん、いいものを送ってくださり、ありがとうございます。以後宝物にさせていただきます。

0 件のコメント: