ページビューの合計

2018年3月12日月曜日

谷根千を歩く

昨日は、妻と子どもたちはお出かけ。「寄席にでも行ってお出でよ」という妻の言葉に甘えて、東京に行く。
ここんとこ、川崎づいていたので、今回は日暮里で下車。まずは谷中へと向かう。



夕焼けだんだんを下りて、谷中銀座にやって来たのが、11時半過ぎ。そろそろお昼にしたい。気分は中華かな。ということで、林家正蔵の「四時飲み」の本に出ていた一寸亭に行ってみる。谷中銀座から、ちょいと路地を入った所に一寸亭はある。


もやしそば、ビール。詳しくは後ほど「飲んだり食ったり」で書くけど、いやあ旨かった。
それから、谷中銀座を抜けて団子坂下へ。




団子坂下交差点近くには、「菊見せんべい総本店」がある。見るからに重厚な造りだ。
不忍通りを、取りあえず右に曲がってみる。しばらく歩いて道灌山の辺りまで行き、やっぱり根津の方へ行こうと引き返す。


団子坂下まで戻って、坂を上る。森鷗外の観潮楼跡に建つ資料館があったので入ってみる。入場料300円。岩波文庫の『青年』と明治42年当時の東京地図が載った冊子を買う。特別展は観潮楼に出入りしていた芸術家の紹介だった。


資料館の庭にあった碑。永井荷風筆とのこと。

観潮楼の前からは、今はスカイツリーが見えるのである。
資料館を出て、鷗外の散歩道だった藪下道を根津神社へと向かう。途中、わき道に逸れ、漱石が『吾輩は猫である』を書いた頃の住居跡を見る。

こちらは川端康成の筆。
根津神社をお参り。けっこう参詣客がおりました。



境内にある稲荷神社もなかなかいい。



さすが御膝元。立川談志一門の千社札がずらり。
それから池之端へ出て、不忍池は弁天様の前まで来たのが、午後2時過ぎ。さすがに少々くたびれた。ベンチに座り、鷗外の『青年』を読む。すると、そこに登場してくる地名のほとんどが、さっきまで歩いていた所なんだな。鷗外の筆で明治末の谷根千をさまよい歩く。それもまた楽しい。
2時45分、東日本大震災で犠牲者になった方々に1分間の黙祷をささげる。




3時過ぎまで本を読み、上野駅へ行って帰りの切符を買う。

「ここは、送風口から出る地下鉄の暖気で桜が早く咲くのだ」と桃月庵白酒が言っていた。
そしてアメ横近くの養老乃瀧で1時間ほどとろとろ飲む。これも詳しくは「飲んだり食ったり」で。


寄席の開場まで少しだけ時間があったので、黒門町の文楽師匠宅跡に聖地巡礼。


この空き地に文楽の家があった。
たっぷり寄席を堪能し、家に着いたのは夜の11時を過ぎておりました。
充実した1日でしたな。

0 件のコメント: