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2018年11月19日月曜日

川村かおり『Hippies』を聴く

久し振りに川村かおりの『Hippies』を聴いている。
平成の初め頃、私はこの人のアルバムをよく聴いていた。
まっすぐなロック。歌詞にはローリング・ストーンズやビートルズ、セックス・ピストルズ、ジャニス・ジョプリンなどが登場する。とても彼女と同世代の女の子が聴くようなアーティストではない。背伸びをして精一杯とんがった様が、健気でいじらしい。

 川村かおり(後にカオリ)。
 1971年1月23日、日本人の父親とロシア人の母親との間にモスクワで生まれる。
 11歳の時に日本に移住、学校で壮絶ないじめにあう。
 17歳で歌手デビュー。
 1991年『翼をください』がヒット。
 歌手のみならずモデルや俳優としても活躍するが、1993年に活動を休止。

私が彼女を知ったのも、この『翼をください』がヒットした頃である。この曲はCMで使われていたが、私は同時期にやはりCMソングだった『アイル・ビー・ゼア』に衝撃を受けた。革ジャンを着たボーイッシュな女の子が、古いソウル・ミュージックに日本語の歌詞をのせてシャウトする姿が、かっこよかった。
早速、私は『CAMPFAIRE』『Church』『Hippies』の3枚のアルバムを買った。
アルバム『Weed』(これも買った)を出した後、川村は活動を休止する。アルバム自体は、どこか散漫な印象だったが、オープニング・ナンバーの『見つめていたい』は、楽曲としては彼女の最高傑作だと思う。
  
 1995年に音楽活動を再開。
 1998年、ミュージシャンと結婚、2001年には長女を出産する。
 2003年に夫と別居(3年半後に離婚する)。
 2004年、乳がんを発病。
 2009年7月28日、死去。

活動再開後のことはよく知らない。いつの間にか「川村かおり」は「川村カオリ」に変わっていた。両腕に彫られたタトゥーが、私には何だかとても痛々しく感じられた。
やがて彼女の闘病と死をテレビで知ることになる。幼い娘を置いて死んでいく彼女が不憫でならなかった。(偶然だが私の長男は、彼女の娘と同い年である。)
私は彼女のラスト・アルバム『K』を買った。

『Hippies』は1991年発売、川村かおり、3枚目のアルバムである。私小説的傾向がいっそう強くなっている。
白眉は『Gypsy blood』。冒頭から「僕のママのパスポートは ロシア文字で書かれている」と自分がハーフであることを正面切って歌う。「帰る場所が何処なのか わからなくなる時もあるけど」とハーフであるが故の揺らぎを吐露しつつ、「愛すべき場所はふたつ この星と今いるここさ」と高らかに宣言する。そこには小中学校でのいじめや、母親の帰化を拒絶する政府の対応などへの思いを飲み込みながら、前を向いて進んでいこうという、息苦しいほどの覚悟が見て取れる。まさに絶唱と言っていい。
そして『39番目の夢』。青臭いまでにまっすぐな彼女の願いが、矢継ぎ早に繰り出される。(この時代に「原子力発電所がなくなりますように」なんて言っていたんだな。)
「一生唄がうたえますように 唄が僕の人生をきっと超えますように」
このフレーズを聴いて、思わず涙がこみ上げた。
死の約3ヶ月前、彼女は人生最後となるライブの舞台に立つ。そして3時間、見事に歌い切ったという。川村かおりは彼女の願い通り一生歌い続けた。そして私は今も彼女の歌を聴いている。彼女の歌は彼女の人生を超えている。
この歌はこんなふうに終わる。
「何の為に生きているかなんて一生わかりませんように 死ぬまでわかりませんように 死ぬまで」

少女は女になり母になって死んだ。しかし、彼女は一貫してロック・シンガーであり続けたのだ。



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