ページビューの合計

2019年9月20日金曜日

黒門町の言葉


大分前に日暮里を歩いた時、学習塾の前に出ていた格言。
「器用じ(ゃ)だめなんです」。黒門町の師匠、八代目桂文楽の名言である。

文楽は自他ともに認める無器用な人だった。お笑い芸人にとって大きな武器になる、とっさのアドリブが苦手。そこで、台詞を固め、言葉を磨いた。出来上がった噺の完成度は高かったが、おいそれと変更がきくものではなくなった。
大西信行は『落語無頼語録』の「桂文楽の死」という文章の中で、次のように語っている。

 文楽を無器用な落語家だといい融通のきかない芸だという。たとえ放送でも二十分の話を十五分には出来ないし、十五分の落語は二十分には出来ない。それが文楽の芸の尊さでもあるのだと評価されて来た。たしかに無器用でもあったろうけれど、その無器用さには落語家としての主張があったのだと信じたい。そのことの批判とは別にそう思ってあげたい。

器用にできる者はある程度まではすぐにできるが、それ以上に行く努力を怠りがちだ。文楽は無器用に努力を重ねることで、常人には到達しえない高みに上った。文楽は、自分が無器用であるがゆえにそこまで行けたことを自覚していたし、そんな自分に誇りを持っていたのだろう。

六代目三遊亭圓生は、文楽の葬儀の弔辞でこう述べている。

 尚私が云いたいのは戦後、人心の動揺、人情、生活と、以前とは移り変わり行く世相で、勿論落語界も、世間のあおりを喰い、動揺をしたその中で、貴方の芸は少しも、くずれなかった。我れ人ともに時流に押し流されやすい時に貴方は少しもゆるがなかった。悪く云えば貴方の芸は、融通が利かない、無器用な芸だとも云える・・・ごめんなさいね・・・だがそれがよかったのだと思う。なぜならば、戦前の通りに少しも芸をくずさずに演った、それが立派な芸であれば客はよろこんで聞いてくれるのだ、これで行けるのだと、人々に勇気をあたえた。今日の落語界に対して貴方は大きな貢献をされた事を私は深く深く感謝しております。

どちらかといえば文楽に批判的だった圓生の言葉だけに胸を打つ。

最近、器用にその場の空気を読み、ぺらぺらとそれらしい言葉を連ね、存在感を示す者が目立つ。頭がいい、などと言われ、もてはやされているが、よく聞くと、言っていることは見事に空っぽ。しかもそういう奴に限って器用に立ち回れないものを、あからさまに見下すんだな。
薄っぺらい器用ものなんかになるな。無器用にひとつひとつのことを重ねていくことの方が尊いぞ。
改めて見ると、そんなふうに文楽師匠から言われているような気がします。

2 件のコメント:

ゆう さんのコメント...

いつも拝見させていただいております。
いかにも文楽さんらしい言葉で好きですね。
おっしゃるとおり、wikipediaでちょちょっと調べた情報で、あたかも実地体験したような言いっぷりの若いのが増えてます。いや、中年でも多いかもしれないです、、、。
不器用なのもいいことだと改めて勇気をもらいました!

ちょっと前に発売された、落語CDムックの三笑亭可楽さんのを買ってみたのですが、
なんとなんとびっくりするような音源が入っていました。五人廻しです。
今の今まで可楽さんのは聞いたことありませんでしたし、ご指名のイイノ精選落語会ということもあってか、
まくらで乗りに乗って会場ウケまくりな可楽さんは初めて聞きました。
芸惜しみされてたのか、レギュラー指名されて嬉しかったのか、真相はわかりませんが、精選の音源を矢野さんが生きている間に全部放出してもらいたいなーと切に願ってる次第です。

densuke さんのコメント...

コメントありがとうございます。
矢野誠一が主宰した精選落語界の最大の功績は、それまで日の当たらなかった、三笑亭可楽と林家正蔵に活躍の場を与え、やる気を出させてくれたことだったと思います。
そうですか、可楽の『五人廻し』、いいですか。私も聴いてもたくなりました。
『五人廻し』は稲荷町の正蔵も面白いですよ。機会があったら聴いてみてください。