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2020年9月28日月曜日

『名人落語全集』

先日、黒門町の『芝浜』が載っている古本を買って、嬉しさのあまり記事にしたところ、ゆうさんからのコメントで「落語はろー」さんのHPを教えていただいた。早速行ってみたが、宝の山だったな。

HP内の「落語速記編」に、黒門町の『芝浜』はあった。青空文庫版を見てみたが、私が読んだのと、一言一句違っていない。そうか、元ネタはここだったんだな。

初出は、昭和4年(1929年)から昭和5年(1930年)にかけて刊行された『名作落語全集』というシリーズ(全12巻)らしい。編者は今村信雄。記事によると「戦後にいたるまで様々に引用された」とある。

 

ここで私が買った昭和23年(1948年)版『名人落語全集』の演目を次に挙げてみる。

 

『芝浜』/桂文楽 『一日公方』/三遊亭小圓朝 『井戸の茶碗』/三笑亭可楽 『按ん七』/桂春団治 『かつぎや』/橘家圓蔵 『槌の音』/三遊亭圓生 『芝居風呂』/春風亭柳橋 『巌流島』/桂文治 『三軒長屋』/柳家小さん 『藪入り』/春風亭柳好

 

私がこのラインナップを見て、まず不審に思ったのは、橘家圓蔵という名前があったことである。この年にそんな落語家は存在しない。六代目圓蔵は既に六代目三遊亭圓生になっていたし、七代目圓蔵は、まだ月の家圓鏡だったはずだからだ。

それが、この本が、昭和4年~5年刊の『名作落語全集』の「戦後にいたるまで引用された」一冊であるとすれば得心がいく。それであれば、圓蔵は六代目圓生だし、圓生は五代目圓生だ、ということで間違いない。

昭和23年版『名人落語全集』と『名作落語全集』の演目のリストを見比べたが、『藪入り』/春風亭柳好だけが、『名作落語全集』に見当たらなかった。いずれにしろ戦後になって『名作落語全集』から抜粋して出したもの、と見てよいだろう

奥付を見ると、昭和23年(1948年)1010日印刷、昭和231015日発行、定価は80円(送料30円)、編者は「名人落語刊行会」とある。発行所は東京都神田区神保町にある清教社。古本市場ではよく見る名前のようだ。

演者の紹介や演目の解説は一切ない。落語の速記だけが並ぶ。造りとしては、かなりやっつけ仕事に近いな。

簡単に私の方で解説しておく。

 

桂文楽は八代目。1892年(明治25年)生まれ、1971年(昭和46年)没。「黒門町の師匠」と呼ばれた、昭和の名人。当ブログでは「桂文楽」コーナーがあるので、そちらをお読みいただきたい。

 

三遊亭小圓朝は三代目。1892年(明治25年)生まれ、1973年(昭和48年)没。二代目小圓朝を父に持ち、若い頃から将来を嘱望されたが、地味な芸のため売れなかった。稽古台として多くの噺家が彼のもとに集った。

『一日公方』は大工の市兵衛が「一日だけでも公方様になりたい」という夢をかなえてもらうお話。サゲ(「こいつは麻布で気が知れねえ」)が分かりにくく、今はほとんど演じられていない。大工の市兵衛が遊びに行くお茶の先生の所に公方様(徳川将軍)がいるという設定も無理があるよなあ。

 

三笑亭可楽は七代目。1886年(明治19年)生まれ、1944年(昭和19年)没。俗に「玉井長之助の可楽」。一般には受けなかったが、安藤鶴夫が名人と絶賛し、一部で高く評価された。「三代目小さんの影法師」と陰口を言われたものの、五代目小さんに稽古をつけ、結果的に五代目に三代目の遺風を継承させた。自宅の階段から落ちて死んだという。

 

桂春団治は初代。1878年(明治11年)生まれ、1934年(昭和9年)没。御存じ演歌「浪花恋しぐれ」の「どあほう春団治」。人呼んで「後家殺しの春団治」。天衣無縫、型破りな芸風で爆笑を取り、売れに売れた。「按ん七」は十八番ネタだった。

 

橘家圓蔵は六代目。1900年(明治33年)生まれ、1979年(昭和54年)没。御存じ昭和の名人、後の六代目三遊亭圓生。圓蔵時代は「皮はあるが肉のない芸」と言われ、評価されず不遇だった。

 

三遊亭圓生は五代目。1884年(明治17年)生まれ、1940年(昭和15年)没。その体型から「デブの圓生」と言われた。豪放かつ色気のある芸風で、五代目小さんは彼を「昭和の名人」の一人に挙げている。人形町末広の席亭は文楽が高座で『松山鏡』を演じるのを聴いて、「今は他に人がいないから文楽さんなんかが名人と言われているが、圓生さんと比べたらとてもとても」と言っていたという。六代目圓生の養父でもある。

『槌の音』は読んでみたら、七代目圓蔵師匠が得意にしていた『紀州』であった。

 

春風亭柳橋は六代目。1899年(明治32年)生まれ、1979年(昭和54年)没。大正昭和を通じて落語界のスターに君臨した。30代で芸術協会を設立。スケールの大きな芸風で、一歳下の六代目圓生が不遇時代に弟子になろうと思ったほどであった。

 

桂文治は八代目。1883年(明治16年)生まれ、1955年(昭和30年)没。俗に「山路の文治」「根岸の師匠」「家元」。江戸、大阪、京都の言葉を自在に操り高い評価を得た。五代目小さんはこの人を「昭和の名人」の一人に挙げている。四代目小さんの次の落語協会会長。晩年はその芸が「臭い」と言われ、評価を下げた。

 

柳家小さんは四代目。1888年(明治21年)生まれ、1947年(昭和22年)没。人望厚く戦後初代の落語協会会長を務めた。飄々とした語り口で滑稽噺を得意とした。大向こう狙った芸ではなかったが、俳味に溢れ通人の評価は高かった。五代目小さんも四代目を「昭和の名人」と讃え、敬愛してやまなかった。五代目の真打昇進披露興行の最終日、鈴本の三十日会に出演。『鬼娘』を口演後、楽屋で倒れ急死した。

 

春風亭柳好は三代目。1888年(明治21年)生まれ、1956年(昭和31年)没。華やかな唄い調子で売れに売れた。特に『野ざらし』と『ガマの油』を得意とし、寄席では注文が絶えなかったという。ラジオ東京で『穴泥』を収録後、鈴本に楽屋入りしたが、体調が急変、そのまま息を引き取った。

 

土浦の古本屋は売り場面積も広いし品数も多い。何時間でもいられるが、欲しいものが次々出てきて金が続かない。この本を買った日は結局、懐に100円しか残りませんでした。 

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