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2020年9月2日水曜日

祖母と浅草

 私の祖母は浅草に住んでいたという。

祖母は明治30年、関川村(現石岡市)に二女として生まれた。

大正8年、高浜町(現石岡市)の人と結婚し、翌月東京市浅草区に所帯を持つ。

この結婚生活は長く続かなかったようだ。

昭和16年頃か、先妻を亡くした祖父のもとに後妻として嫁いだ。だから、私との血のつながりはない。(しかし、祖母の弟が祖父の実家から嫁を貰っていて、この辺りからこの縁談が出たものではないかと思われる)

浅草に住んでいた祖母は、私が茨城弁を喋るのを嫌った。「・・・だっぺ」と言うと「・・・でしょう」と言い直された。小学校に上がった頃、「・・・でしょう」と言うと、級友から「女みたいだ」と笑われた。それ以後、私は意識して茨城弁を使うようにした。

祖母が住んでいたのはどの辺りだろうと思い、国土地理院で明治40年浅草区全図(復刻版)を買って来た。古い戸籍の写しを持っているのだが、これが手書きで癖が強く判読できず、それらしい町名もみつからなかった。でも、古い地図を眺めること自体が好きなので、まあいいか。



さて、昨日9月1日は関東大震災があった日だ。震災が起きたのは大正12年。その時、浅草は火の海となって甚大な被害を受けた。その時、祖母は浅草にいたのだろうか。

「あの地震はすごかった。バケツの水が(揺れで)半分になった」と祖母は言っていたが、それが浅草でのことか、田舎に帰ってからのことか、聞いた覚えはない。

今となっては聞くこともできない。祖母が亡くなって38年になった。祖母の命日は6月19日。太宰治の桜桃忌の日である。


暑い時期の浅草の写真。2011年のもの。







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