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2020年9月23日水曜日

黒門町の『芝浜』

 以前、「文楽の『芝浜』」という記事を書いた。

川戸貞吉と雷門福助の対談で、文楽が『芝浜』を持ちネタにしていたということが語られており、しかもそれは、あの三代目桂三木助の『芝浜』の原型だったというのだ。

その辺りのことを、もう少し詳しく書いてみたい。では、『対談落語芸談2』より引用する。

 

福助 (※文楽が人情噺をやらなかった)それのひとつの証拠が『芝浜』ですよ。三木助が『芝浜』を演って賞をもらったのは、文楽さんの『芝浜』なんですよ。

川戸 ほう。

福助 文楽さんが咄家を呼んで、三日間『芝浜』を演った。そいで、「どうだい?」ッていったら、みんなが「結構ですね」ッて。

川戸 ええ。

福助 三日目に、ひとりいた奴が目ェ真っ赤にして泣いたんですね。それェ見て、「どうしたんだお前?」「へえ、どうもすいません」「お前泣けたのかい?」「すいません」「ああそうかい。お前が泣けるならお客は泣くから、俺ァもう『芝浜』はやめた」ッていって、そいでやめちゃうんですよ。

川戸 へえェ・・・。

福助 それで『芝浜』は演らなかったン。あたしァそれを、「兄弟こうなんだよ」ッて三木助から聞いたン。

川戸 ええ。それで三木助が「『芝浜』を師匠」ッていったら、「俺ァ稽古ァ嫌いだ」ッて、それをあいつがくどいようにいって、とうとう文楽さんが敗けて、『芝浜』を五日間稽古してもらったン。それで、あいつが賞をもらったんですよ。これァ三木助があたしにいったんですから。

(中略)

川戸 あのねェ、三木助の『芝浜』については、これは嘘か本当かわからないんですが、たしかこういった伝説が残ってんですねェ。

福助 どんな伝説ですか?

川戸 文楽師匠が『芝浜』を演ったと。

福助 うん。

川戸 したら「師匠の噺はセコだ」ッて、三木助がいったと。

福助 うんうんうん。

川戸 それで文楽さんは『芝浜』をやめちゃったと。

福助 あははは、たいへんな間違い・・・そらァあいつが家ィ来ていったんですから、三木助が。

川戸 はあ。

福助 「お前賞をもらっておい、タロんなったのかい?」ッたら、「いや、タロにはならない」「『芝浜』だって?」「いや、あれは黒門町のネタだよ」ッていって、いまの話をあたしにしたんですよ。

 

福助の話は今までの定説をひっくり返すようなものが多く、「本当かよ」と思うことも間々あるが、この話は印象的だった。

ただ、この『芝浜』については、文楽自身の口からこんなエピソードが披露されている。では『落語藝談』(暉峻康隆)より引用する。

 

 それから「芝浜」です。うちで稽古している時分です。いまの円生や正蔵がみんな家へ集まって、これからやりたい咄をみんなでやるんです。あたくしが「芝浜」を研究していて、どうしてもできないんです。きょうこそはひとつ、ちゃんとやろうと思っていると、三木助が聞いていていましてね、

「どうだい、おい。これ、ものになると思うかい」

「師匠、だめだ」()

「だめかい」

「うん。肝心なところがいけねえ」

「それはどういうわけだ、教えてくれよ」

と言ったら、「一例がこういうことがありました」というんで話してくれました。

「あたしが商売人のばくち打のやくざの仲間へはいって暮らしている時分に、一文無しになっちゃって、次の二畳かなにかの座敷にこうやって寝てると、『おい、どうしたい』と言って、くすぶり同士が、『おれもうだめなんだよ』『おまえ、いくらかねえか』『五十銭しかねえ』『五十銭貸してくれ』『おめえに貸しゃ、おれ湯へへえることもできねえ』『まあいいから貸してくれ』というんで、その五十銭張ったために、夜中から朝までに、側中の銭をそっくり取っちゃったという話。そのときのうれしさが、あたしには忘れられない。だから、あんたがいまやった『芝浜』の、あのお金を拾ったときのうれしさ、そこのうれしさが足らない」と言うんです。その気持ちが足らないと。

 

川戸の言う「伝説」は、実は文楽自身から出た話だったのだ。

福助はさらに「だから、文楽さんは、いっぺんも高座にかけてませんよ、『芝浜』は」と言っているが、都家歌六は雑誌『落語界』の「桂文楽レコード・ガイド」という文章の中でこう書いている。

 

 これ以外かつてレコード化されなかったものには、「小言幸兵衛」「鶴満寺」「品川心中」などがあり、録音されてはいないが「芝浜」も上演されているし、私の前座当時の記憶として「野ざらし」「お若伊之助」はたしかに聞いている。

 

歌六は文楽が『芝浜』を口演したことを明言している。ただ、いつどこで口演したのかは示してはいない。

では、文楽の『芝浜』とはどのようなものだったのだろうか。

それを、実は最近手に入れたのだ。

土浦の古本屋にそれはあった。昭和231015日、清教社という出版社から発行された『名人落語全集』という本の中に、桂文楽の『芝浜』が収められていたのである。

それがこれ。

なんと巻頭を飾っているのではないの。

3000円、すかさず買っちゃいました。

内容については、次の機会に譲ります。

2 件のコメント:

ゆう さんのコメント...

こんにちは。少し涼しくなってきましたね。

黒門町の芝浜、最初に知ったきっかけは2005年くらいか、ネットの青空文庫的なサイトでした。
(と、思って今見てみたら、「落語はろー」さんのホームページでした。)
「黒門町=大正モダン」な口調のイメージだったので、読んでて違和感感じたのを覚えています。
演らなくなった理由に舞台が江戸時代だっていうのも多少関わってるのかなって気もしました。

落語の古本も昭和20年代までのものは桁が1つ変わってきますよね~。
「これ2冊買ったらいい店でいいスコッチ4杯飲めるな」とか邪念がでてきて集めるのに難儀してます 笑

騒人社というところが昭和4年に出した、ハガキより1回り小さいサイズのボロボロの落語本を一昨年買って、それにも黒門町の芝浜出てたと思います。
(後々いろいろな会社が取っ替え引っ替え出してたんでしょうね。)
面白かったのが、「落語家人気投票券」というのが入ってたことです。
一番人気だった噺家には名入りの後幕を贈呈と書いてました。
その後にお詫びも書いてあって「当社研究の結果、後幕贈呈は取り止め、紋付羽織袴を一式贈呈に変更致します。」という一文が最高に面白かったですね 笑
「幕なんぞいらねーから、着るもんくれよ!」という悲痛な叫びが時を超えて聞こえて来た気がしました。

福助さんの、んー、やっぱそうですよね~。
一代記読んでてても、川戸さんの読んでてても、あまりに調子がいいというか名調子過ぎて、黒門町の横浜時分に折檻された話に近いような、なんというか、、、「本当なの??」というあれはありますよね。
川戸さんは次々に目新しいエピソードが出てくるから狂喜して受け取ってたんでしょうけど、
冷静になって読むと「七代目圓蔵さんのことを千三ツとかヨタ本とか言う割にはさぁ」っていう気持ちはありますね。
ものすごい貴重で面白いエピソード盛りだくさんではあるんですけど。
(それよりも出口一雄さんの一代記とか出ないですかねぇ。)

いつも長々書いてしまって、ごめんなさい。

densuke さんのコメント...

貴重な情報をありがとうございます。
私も「落語はろー」さんのHPに行ってみました。
黒門町の「芝浜」、私が買った本に載ってたのそのまんまです。
「芝浜」も、昭和4年当時のネタなんでしょうね。
それよりも、あのHPの「落語速記編」に載っていた黒門町のネタが、珍品過ぎてすごいです。ちょっと記事にしてみようと思います。
「出口一雄一代記」、少しずつでも書いてみようかな。ま、需要と供給によるんじゃないでしょうかね。
古本のお話、面白いです。また色々と教えてください。