大正14年、文楽は寿江と結婚式を挙げた。
当時、落語家で結婚式を挙げる例は少なく、後年まで文楽はこれを自慢した。
その式で仲人を務めたのが、樋口由恵。長年文楽のお旦であり、「つるつる」の旦那ひーさんのモデルとしても有名な人物である。
文楽と樋口との出会いは、関東大震災(大正12年)から間もなくであった。
向島の待合いから寄席に電話が来て文楽が呼ばれた。
何でも客が文楽を呼べと言って聞かず、とにかく来てもらいたい、来てくれないと困る、とのことだった。
それが樋口だった。文楽が呼べないのか、と言って芸者に暴力さえふるっていたらしい。
恐る恐る文楽が座敷に出ると、樋口は「文楽が来た」といって大喜び。それ以降、樋口は文楽を大の贔屓とすることになった。
文楽は樋口のお供の際は、必ず幇間を呼んでもらった。そして、座敷での幇間の立ち居振る舞い、客とのやりとりを観察する。
やがて、それは「鰻の幇間」「つるつる」「富久」「王子の幇間」など幇間ものの十八番となって結実した。
樋口が呼ぶのは一流の幇間だった。だから、文楽の演じる幇間は、野幇間であっても、どこかしら気品があった。
樋口は暴君だった。無理も言えば、女も殴った。
しかし、文楽は樋口に付き従うことで、暴君の孤独も知る。
噺の中で、一八が旦那に振り回されながら、それでいてどこかで許しているような気配があるのは、その辺に所以があるような気がする。
もちろん芸人とお旦である。そこには絶対的な服従関係があるのは間違いない。けれども、一八と旦那には、それだけではない心の交流がある。
文楽と樋口もそんな心の繋がりがあったのだと思う。
文楽は、三代目圓馬に、五代目左楽に、本気で付き従うことで多くのものを吸収した。多分、樋口もその意味では、文楽にとって師の一人といっていいのかもしれない。
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2009年9月1日火曜日
日本酒の夜
「しらたまの歯にしみとほる秋の夜酒は静かに飲むべかりけり」(若山牧水)
秋である。秋にはやはり日本酒である。あぢいあぢい、うぐうぐぷはーっ、うめーっというような、ビールとともに過ごした日々ともそろそろ別れを告げ、しみじみと日本酒に親しむ季節なのである。
日本酒と言うと、どこか居住まいを正す感じがする。芳香鮮美、清澄淡白。そんな酒をコップに注ぐ。思わず正座をしてしまう。こういう時にポテトチップなんぞをつまみにしちゃあいけない。塩辛、佃煮なんてのをすこしずつ、つまみたい。
そして、何と言っても灯火親しむ秋、活字をつまみに飲むのがいい。意外にいいのが漢詩である。陶淵明の「菊を採る東リの下 悠然として南山を見る」とか、李白の「頭を挙げて山月を望み 頭を低れて故郷を想ふ」などを読みながらの酒は、また一段とうまいものである。陶淵明にしろ李白にしろ酒豪として知られるが、中国の人であるから日本酒を飲みながらこれらの詩を作ったわけではあるまい。それでいて、これらに合うのは、紹興酒よりもむしろ日本酒であろう。不思議なものである。
ま、いくらいいってったってずっとじゃ飽きる。「やっぱり口語文は漱石だよな」なんて言って漱石の文庫本を取り出す。そのうち志賀直哉もいいな、という気持ちになって「小僧の神様」なんかをとろとろと読み出す。しっかし、この志賀ってのは嫌味なおやじだよな、とつぶやくようになってくると、だいぶ酔いは回っている。
そうなると、もう太宰である。「桜桃」、「トカトントン」、「如是我聞」までいくと歯止めは利かない。しまいには安吾の「堕落論」を片手に「生きよ、堕ちよ、ばかやろめ」と口走りながら寝てしまうのである。
「酒飲みは奴豆腐にさも似たりはじめ四角で後はぐずぐず」 お後がよろしいようで・・・。
秋である。秋にはやはり日本酒である。あぢいあぢい、うぐうぐぷはーっ、うめーっというような、ビールとともに過ごした日々ともそろそろ別れを告げ、しみじみと日本酒に親しむ季節なのである。
日本酒と言うと、どこか居住まいを正す感じがする。芳香鮮美、清澄淡白。そんな酒をコップに注ぐ。思わず正座をしてしまう。こういう時にポテトチップなんぞをつまみにしちゃあいけない。塩辛、佃煮なんてのをすこしずつ、つまみたい。
そして、何と言っても灯火親しむ秋、活字をつまみに飲むのがいい。意外にいいのが漢詩である。陶淵明の「菊を採る東リの下 悠然として南山を見る」とか、李白の「頭を挙げて山月を望み 頭を低れて故郷を想ふ」などを読みながらの酒は、また一段とうまいものである。陶淵明にしろ李白にしろ酒豪として知られるが、中国の人であるから日本酒を飲みながらこれらの詩を作ったわけではあるまい。それでいて、これらに合うのは、紹興酒よりもむしろ日本酒であろう。不思議なものである。
ま、いくらいいってったってずっとじゃ飽きる。「やっぱり口語文は漱石だよな」なんて言って漱石の文庫本を取り出す。そのうち志賀直哉もいいな、という気持ちになって「小僧の神様」なんかをとろとろと読み出す。しっかし、この志賀ってのは嫌味なおやじだよな、とつぶやくようになってくると、だいぶ酔いは回っている。
そうなると、もう太宰である。「桜桃」、「トカトントン」、「如是我聞」までいくと歯止めは利かない。しまいには安吾の「堕落論」を片手に「生きよ、堕ちよ、ばかやろめ」と口走りながら寝てしまうのである。
「酒飲みは奴豆腐にさも似たりはじめ四角で後はぐずぐず」 お後がよろしいようで・・・。
2009年8月25日火曜日
筑波山に登る
この前の日曜日、妻子を連れ、久し振りに筑波山に登った。
筑波神社前の土産物屋で昼食。冷やしたぬきうどん。
まあ予想通りの味。
境内でガマの油売りの口上をやっている。
長男が食い入るように見る。いい客だ。
三代目柳好の名調子を、今度聴かせてやろう。
ケーブルカーで宮脇駅から筑波山頂駅へ。
気温は22度。肌寒いくらい。
御幸ヶ原、コマ展望台に上る。円形のゆっくりと回る展望台。
西に男体山、東に女体山、南東に霞ヶ浦を望む。屋上の眺望、素晴らしい。
宮脇駅に下り、売店で休憩。梨のソフトクリームとところてん。
次男はところてんを大喜びで食べる。
日曜日でけっこうな賑わい。次はロープウエイに乗せてやろう。
筑波神社前の土産物屋で昼食。冷やしたぬきうどん。
まあ予想通りの味。
境内でガマの油売りの口上をやっている。
長男が食い入るように見る。いい客だ。
三代目柳好の名調子を、今度聴かせてやろう。
ケーブルカーで宮脇駅から筑波山頂駅へ。
気温は22度。肌寒いくらい。
御幸ヶ原、コマ展望台に上る。円形のゆっくりと回る展望台。
西に男体山、東に女体山、南東に霞ヶ浦を望む。屋上の眺望、素晴らしい。
宮脇駅に下り、売店で休憩。梨のソフトクリームとところてん。
次男はところてんを大喜びで食べる。
日曜日でけっこうな賑わい。次はロープウエイに乗せてやろう。
2009年8月21日金曜日
夏目漱石『草枕』
『草枕』。漱石初期の名作である。
非人情を志向する画工が山中の温泉宿に滞在し、そこで一人の美しい女と知り合う。
女は宿の出戻り娘、那美。彼女と画工との交流を中心に話は進む。
しかし、この小説、ストーリーはさほど重要ではない。
それは単に設定に過ぎず、漱石の東西の比較文化論・芸術論が、画工の口を通し存分に展開される。
西洋の芸術が、あくまで関係性・愛憎といった人と人の情との関わりの中で生まれるのに対し、中国に代表される東洋の芸術は、人の世にありながら人の情を超越したところに生命がある。それが画工の憧れる非人情の境地である。
それにしても絢爛たる文章だな。漱石は『草枕』執筆に際し、『楚辞』を読み返したというが、そこで駆使される漢語の美しさといったらない。
初めて読んだのは高校の時だが、当時は何だか分からなかったなあ。
この文章の凄さが分かったような気がしたのは、30歳を過ぎてからだった。
今読み返すと、けっこう色っぽい場面が多い。
画工と那美との混浴シーンは有名だ。その他にも、夜中に那美が就寝中の画工の部屋に入ってくる出会いの場面。那美が振り袖を着て画工の目前を行き来する場面。那美と元夫とのやりとりを画工が盗み見る場面。どれも色っぽい。
確かに、妖艶ではある。だが、そこに性的な匂いはない。
二人の会話も、お互いに好意は認められるものの、恋情に向かう気配はない。
画工にとって那美は肉体を持った生身の女というより、一個の美術品・鑑賞物であるかのようだ。
山中の温泉宿で美女と知り合うという点では、川端康成の『雪国』も同じ作りだ。
ということは、『雪国』は『草枕』のオマージュであったか。
『雪国』の島村は、駒子と肉の交わりは持つが情の交わりを持とうとはしない。もしかしたら、これも川端なりの非人情なのかもしれない。
非人情を志向する画工が山中の温泉宿に滞在し、そこで一人の美しい女と知り合う。
女は宿の出戻り娘、那美。彼女と画工との交流を中心に話は進む。
しかし、この小説、ストーリーはさほど重要ではない。
それは単に設定に過ぎず、漱石の東西の比較文化論・芸術論が、画工の口を通し存分に展開される。
西洋の芸術が、あくまで関係性・愛憎といった人と人の情との関わりの中で生まれるのに対し、中国に代表される東洋の芸術は、人の世にありながら人の情を超越したところに生命がある。それが画工の憧れる非人情の境地である。
それにしても絢爛たる文章だな。漱石は『草枕』執筆に際し、『楚辞』を読み返したというが、そこで駆使される漢語の美しさといったらない。
初めて読んだのは高校の時だが、当時は何だか分からなかったなあ。
この文章の凄さが分かったような気がしたのは、30歳を過ぎてからだった。
今読み返すと、けっこう色っぽい場面が多い。
画工と那美との混浴シーンは有名だ。その他にも、夜中に那美が就寝中の画工の部屋に入ってくる出会いの場面。那美が振り袖を着て画工の目前を行き来する場面。那美と元夫とのやりとりを画工が盗み見る場面。どれも色っぽい。
確かに、妖艶ではある。だが、そこに性的な匂いはない。
二人の会話も、お互いに好意は認められるものの、恋情に向かう気配はない。
画工にとって那美は肉体を持った生身の女というより、一個の美術品・鑑賞物であるかのようだ。
山中の温泉宿で美女と知り合うという点では、川端康成の『雪国』も同じ作りだ。
ということは、『雪国』は『草枕』のオマージュであったか。
『雪国』の島村は、駒子と肉の交わりは持つが情の交わりを持とうとはしない。もしかしたら、これも川端なりの非人情なのかもしれない。
2009年8月12日水曜日
桂文楽 黒門町へ
鵜飼富貴から逃げた文楽は、横浜の芸者しんと3度目の結婚をする。しんは文楽より10も年上だった。
このしんという女は大変な浮気者で、東西を問わず多くの芸人と関係を持っていた。言うまでもなく、この結婚に対して楽屋の評判は最悪だった。
弟子の文雀がこのことを注進に及ぶと、文楽は腹を立て、文雀を破門してしまう。
でも、この破門はそれだけが理由ではない。文雀はしばしば師匠が主任の時に持ってくるワリ(寄席の出演者のギャラ)をくすねていた。寄席芸人として最もやってはいけないことである。
こののち文雀は吉原の牛太郎となったが、それもしくじり、名古屋に落ちて幇間となる。結局、東京に戻って文楽に再入門するのだが、その時文雀は40歳を過ぎていた。
この結婚で文楽は西黒門町に居を構える。木造2階建ての小粋な家だった。
建坪は10坪ほど。庭もない小さな家だったが、家具が全てはめ込みとなっていた。そのため、畳の上には何一つ載っていない。ただ一つ、師匠五代目左楽から文楽襲名の祝いに贈られた長火鉢が、でんと鎮座していた。
後年、文楽は「黒門町の師匠」と呼ばれたが、その家がこれだった。
現在家は取り壊され、空き地となっている。落語協会事務所の広小路側から少し奥、右側の小さな空き地がそれである。
果たして、この結婚は瞬く間に破綻した。
しんと別れた直後、文楽は4度目の結婚をする。神田明神で式を挙げ、講武所の「花屋」という料亭で披露宴をした。
この相手が「長屋の淀君」と呼ばれ、長年の間君臨した寿江夫人である。
このしんという女は大変な浮気者で、東西を問わず多くの芸人と関係を持っていた。言うまでもなく、この結婚に対して楽屋の評判は最悪だった。
弟子の文雀がこのことを注進に及ぶと、文楽は腹を立て、文雀を破門してしまう。
でも、この破門はそれだけが理由ではない。文雀はしばしば師匠が主任の時に持ってくるワリ(寄席の出演者のギャラ)をくすねていた。寄席芸人として最もやってはいけないことである。
こののち文雀は吉原の牛太郎となったが、それもしくじり、名古屋に落ちて幇間となる。結局、東京に戻って文楽に再入門するのだが、その時文雀は40歳を過ぎていた。
この結婚で文楽は西黒門町に居を構える。木造2階建ての小粋な家だった。
建坪は10坪ほど。庭もない小さな家だったが、家具が全てはめ込みとなっていた。そのため、畳の上には何一つ載っていない。ただ一つ、師匠五代目左楽から文楽襲名の祝いに贈られた長火鉢が、でんと鎮座していた。
後年、文楽は「黒門町の師匠」と呼ばれたが、その家がこれだった。
現在家は取り壊され、空き地となっている。落語協会事務所の広小路側から少し奥、右側の小さな空き地がそれである。
果たして、この結婚は瞬く間に破綻した。
しんと別れた直後、文楽は4度目の結婚をする。神田明神で式を挙げ、講武所の「花屋」という料亭で披露宴をした。
この相手が「長屋の淀君」と呼ばれ、長年の間君臨した寿江夫人である。
2009年8月10日月曜日
2009年8月9日日曜日
初めての寄席
寄席に初めて行ったのは、中学を卒業した年の春休みだった。
高校の合格祝いも兼ねて、父親が上野の鈴本へ連れて行ってくれたのだ。
芸術協会の興行(現在は鈴本で芸術協会の興行はない)で、NHKの「お好み演芸会」の収録がある日だった。
今でもその日の様子は覚えている。
柳好『道具屋』。圓馬『三人癖』。助六『あやつり』。いずれも先代である。
色物も充実していた。獅子てんや・瀬戸わんやの漫才。やなぎ女楽の曲独楽。
ひっくり返って笑い、目を凝らして見つめた。夢のような一時だった。
主任は六代目春風亭柳橋。ここから、TVの収録が入る。
ネタは『山号寺号』。子どもの私にとっては、全く面白くはなかったが、この人は偉い人なんだな、ということは分かった。
この後に、「針すなおの似顔絵コーナー」というのがあった。
針すなおが、赤い達磨にゲスト(この日は春風亭柳橋である)の似顔絵を描き、客にプレゼントをするという趣向である。
司会の桂米丸が「欲しい人は手を挙げてください」と言うと、一斉に客が手を挙げる。
私は学帽を振り回したが、結局、柳橋は他の人を指名した。
米丸は「そこの学生さんが帽子を振ってくれたんですがね」とすまなそうに言ってくれた。
最後は大喜利「はなしか横町」。
司会は若き日の柳家小三治。メンバーは、柳家さん八、桂文朝、三遊亭歌奴、三遊亭圓弥、三笑亭夢二(現夢太郎)といった面々。文朝、歌奴、圓弥は既に鬼籍に入った。皆あの頃はまだ若手だった。小朝が、笑点の山田君のような役割で出ていた。
NHKだけに「笑点」のようなはじけ方はなかったが、それでも私にとっては十分に面白かった。
この日のことは、私にとって大切な思い出となった。
いつか我が子も寄席に連れて行ってあげたいと思う。かつての私のように、喜んでくれるとは限らないのだが。
高校の合格祝いも兼ねて、父親が上野の鈴本へ連れて行ってくれたのだ。
芸術協会の興行(現在は鈴本で芸術協会の興行はない)で、NHKの「お好み演芸会」の収録がある日だった。
今でもその日の様子は覚えている。
柳好『道具屋』。圓馬『三人癖』。助六『あやつり』。いずれも先代である。
色物も充実していた。獅子てんや・瀬戸わんやの漫才。やなぎ女楽の曲独楽。
ひっくり返って笑い、目を凝らして見つめた。夢のような一時だった。
主任は六代目春風亭柳橋。ここから、TVの収録が入る。
ネタは『山号寺号』。子どもの私にとっては、全く面白くはなかったが、この人は偉い人なんだな、ということは分かった。
この後に、「針すなおの似顔絵コーナー」というのがあった。
針すなおが、赤い達磨にゲスト(この日は春風亭柳橋である)の似顔絵を描き、客にプレゼントをするという趣向である。
司会の桂米丸が「欲しい人は手を挙げてください」と言うと、一斉に客が手を挙げる。
私は学帽を振り回したが、結局、柳橋は他の人を指名した。
米丸は「そこの学生さんが帽子を振ってくれたんですがね」とすまなそうに言ってくれた。
最後は大喜利「はなしか横町」。
司会は若き日の柳家小三治。メンバーは、柳家さん八、桂文朝、三遊亭歌奴、三遊亭圓弥、三笑亭夢二(現夢太郎)といった面々。文朝、歌奴、圓弥は既に鬼籍に入った。皆あの頃はまだ若手だった。小朝が、笑点の山田君のような役割で出ていた。
NHKだけに「笑点」のようなはじけ方はなかったが、それでも私にとっては十分に面白かった。
この日のことは、私にとって大切な思い出となった。
いつか我が子も寄席に連れて行ってあげたいと思う。かつての私のように、喜んでくれるとは限らないのだが。
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