前回の補足。
別派を立てようとした小南が所属していたのは三遊派だった。その三遊派の頭取は二代目小圓朝。つまり、この時点で小南と小圓朝は敵対していたことになる。
小南の企ては失敗し、大阪へ落ちた。師匠の家に住んでいた小莚は、師匠と共に住処をもなくした。師匠なしでは寄席にも出られない。小莚は師匠に捨てられたのだ。
ここで私は、なぜ小莚はむらくの弟子にならなかったのだろうという疑問を持つ。その芸に心酔し、目もかけられていた。当時むらくは29歳。若手ではあるが、別に弟子をもってもおかしくはない年齢だと思う。むらくが四代目橘家圓蔵との確執によって東京を捨てるのはその5年後。小莚が東京へ帰る直前である。まだ、むらくは東京にいたのだ。
しかし、小莚は小金井芦洲について旅に出た。芦洲の芸にも惚れていたというのがその理由だ。当時、旅で修業するというのが一般的なやり方だったのかもしれない。ただ、ひとつ言えるのは、小莚はここで(意識的かどうかは定かではないが)自立の道を選んだのである。
ちなみに、小圓朝も月給制の失敗から多額の負債を抱え、程なく旅に出る。もちろん弟子の朝太(後の志ん生)もそれについて行った。旅の途中で朝太は師匠と別れ、小莚と同時期、2年の間旅暮らしをしている。
小莚が旅で辿ったルートは次の通り。まず芦洲と静岡へ。芦洲に捨てられ名古屋へ落ちる。名古屋で圓都の身内になり、金沢、福井と北陸を旅する。明治天皇崩御で一座は解散。いったん東京へ戻るものの再び旅へ。京都桂派に属し笑福亭に住み込む。ここでは後の三代目春風亭柳好と一緒だった。その後は大阪。そして神戸。1年後、大連行きの一座に参加。長春、遼陽まで遠征した。
随分長い補足ですみません。もっとよく調べてから書けよということですな。
4 件のコメント:
これ、考えすぎですけど、この時点の文楽は圓馬のことが嫌いだったから弟子にならなかったんじゃないですかね?川に落とされたりしたり、今考えたらパワハラですしw
よくある縦社会ですけど、人間は嫌いだけど能力はあってこの人から学ぶことが多いから仕事として自分のためにも付き合うし、この人に認められたい、見返したいって気持ちがあってしつこく通ってたってのもあると思いますよ。
でも、真打になって文楽も歳を歳をとって経験して成長したことや、圓馬も歳をとって丸くなったことで文楽との付き合い方も変わって、次第に文楽も嫌いから好きに変わっていったんだと思いますよ。
よくある話ですよ、嫌いだったけど、その人の名誉を傷つけたくなかったり、自分が少しでも負けて逃げたって事実を作りたくないじゃないですか。
普通に考えてみれば、落語家も人間ですし、そりゃ若い頃は落語しか道が残ってなかった文楽からしてみれば、そういう暴力にも耐えなきゃいけないですし、今の世間から見れば立派なパワハラですよ。
私は文楽が圓馬の弟子になってたら、もっとパワハラを受けていて縮こまって大成してなかったと思いますよ。
圓馬のこの時の、文楽さんに厳しくした理由についての考察は、日乗さんが興味あれば説明しますので。
コメント、ありがとうございます。
確かに、この記事を描いた時、私は、なぜ文楽は圓馬の弟子にならなかったのだろう、と疑問を持ちました。その理由をここでは「自立」に求めたたんですね。
文楽は圓馬について「ゲロを舐めろと言われたら舐めました」と言っているほど心酔していたので、「嫌い」という見方は出てきませんでした。
なるほど、人間は感情の動物で、やはり「感情」は重要なのでしょう。
『あばらかべっそん』に旅に出る辺りのことは、あまり詳しく書いてありません。書かないということにも意味はあり、もしかしたら匿名さんの言う通りなのかもしれません。
いずれにせよ、文楽はこの時、圓馬の弟子になっていなくてよかった。何せ、その後、圓馬は品川の圓蔵を殴って東京にいられなくなったのですから。もしかしたら、文楽は圓馬の性格に、いつかそんなトラブルを冒す危険性を感じていたのかもしれません。
「圓馬のこの時の、文楽さんに厳しくした理由についての考察」、興味ありますねえ。是非、お聞かせください。
返信ありがとうございます。
ちょっと凄い残念過ぎて、もっと気分悪くなるかも知れませんが、敢えて自分の圓馬の考察を言いますね。
単純な理由ですけど、圓馬が文楽に厳しく当たってた1番の理由は、八つ当たりする相手が欲しかったのでは?って思っていて。
そもそも当時の圓馬は東京落語界での立場的にそんなに偉くないじゃないですか。
自分の故郷でもない東京という地で、位は二つ目から若手の真打程度で、しかも預かり弟子の立ち位置にいる落語家ですよ。
そりゃ圓馬自身のストレスが半端ないですよ。
もしかしたら、圓馬も誰かにイビられてた可能性もありますし。
そんな中で、自分より立場が下の二つ目や前座に話を教える立場になるって、これもとんでもないストレスになりますよ。
圓馬が圓左の薫陶を受けて落語が大好きな事を考慮したとしても、かなりの負担になる筈ですよ。
そんな中で、自分より立場が上の落語家達の弟子達の指導を任されて、その結果、下手な落語が披露されたら、圓馬の責任ですらね。
厳しく当たりすぎても、幹部達に目をつけられる訳ですから。せいぜい扇子や物差しで叩く程度でしょう。
でも、文楽は他の落語家達と違って、桂小南みたいな東京で立場が強くない落語家の弟子だから、仮にコレをイビっても、幹部達からはそこまで文句は飛ばない訳ですよ。
更に文楽が不幸なのは、不器用で負けず嫌いなところも祟って、圓馬もコイツならもっと叩いても大丈夫だろうってつけ上がる結果になったんだと思いますよ。
勿論、文楽に才能が有って伸ばしたいと思ったのも一つの理由だと思いますけどね。
コレも考察ですけど、不器用な文楽に道灌しか教えなかったのは一つのイビリだと思いますね。
多分、「小せんがずっと同じ寄席で道灌を演じ続けて負けた」って話も、事実かも知れませんけど、実は取ってつけた話で、仮に圓馬がこの小せんの道灌の話をするとしたら、もっと数多くの話を覚えて器用にこなしている落語家とかに話しているんじゃないでしょうかね?
ネタが多ければ良いもんじゃないぞって、その落語家に教えていた気がしますね。
とにかく、立場の弱い人間がもっと立場の弱い人間をイビリたくなるってのは心理学的にも人間関係でもよくある話だと思っていて、圓馬と文楽の関係もコレにあたるんだろうなって思っていて。
後、左楽と文楽の関係についても少し触れておくと、文楽が左楽を恐ろしい人と称したのも、この圓馬との関係がかなり尾を引いていて、文楽の中で、立場が上の落語家って基本は厳しかったり、師匠は師匠でロクでもなかったりと、余り良い思いは無かったと思いますよ。
そんな中で、左楽みたいな器のデカい優しい人が自分を受け入れてくれる訳で、今までの文楽からしたら信じられない事な筈ですよ。
ある意味人間不信な文楽が、こんな優しい人に出会えたのは戸惑いの方がデカかったと思いますね。だから、何かあるんじゃないか?って思って恐ろしくて恐ろしくて離れられないって左楽の事を評したんじゃないかと思って。
結構厳しく文楽と圓馬の関係性の実態を語っちゃいましたけど、なんかスミマセン。
有名な、ゲロを舐めろと言われれば舐めました、って言うのも、文楽が圓馬を心酔していると言うより、圓馬のイビリに負けた自分を認めたくない上に、周りからイビリに負けた奴と見られるのが嫌で嫌で仕方がなかったから、こう言う例えを敢えて人前で喋ったのでは?ってのが自分の考察です。
人って良い思い出より、嫌な思い出の方が記憶に残るものだから、それに対して文楽は戦ってきたのでは?ってのも一つの考察ですね。
圓馬が中風で稽古が出来なくて泣いて、文楽が泣いたエピソードもありますけど、
これは嫌いだった圓馬が弱って、自分の方が自然と実力が上になってしまい、正当な圓馬の芸を超えて認めさせる事が出来なくなった文楽自身の悔しさが滲み出ているのでは?って思って。
文楽は良くも悪くも他人も自分自身も騙して生き抜いたなって言うのが私の考察ですね。
コメント、ありがとうございます。
なるほど、圓馬(当時の左近、後にむらく)のパワハラですか。確かに、文楽(当時の小莚)は「どうして自分にだけこんなに厳しいんだろう」と思っていたといいます。
加えて、文楽には強い後ろ盾がいませんでした。師匠は大阪から来た初代小南。一緒に稽古に来ていた、五代目、六代目圓生は品川の圓蔵の弟子でしたし、四代目小さんは、名人三代目小さんの弟子でした。弱い立場と言っていいでしょう。
弱い立場の人間が、より弱い立場の人間をいじめる。その例は、古今東西、絶えたためしがありません。
まあ、関係者は皆死んでいるし、人の心の中は他人には分かりません。ただ、行動や残された言葉から色々想像できますね。小説を読んで分析するのに似た楽しさがあります。
圓馬から文楽へのパワハラという補助線を引けば、新たな物語が生まれそうです。
一方で、圓馬は落語研究会に抜擢され、将来を嘱望されていたという事実があります。また、(私も落研時代経験がありますが)稽古を頼まれるというのは、自分の技量が認められているという手応えを感じられることでもあります。頼まれて悪い気はしません。まあ、人によるでしょうけど。
とにかく落語家の世界で係累のなかった文楽は、必死になって、これはという人についていった。落語が上手くなるためには圓馬に食らいつくしかなかったのでしょう。それを圓馬が健気に思ったか、うっとうしいと思ったかで、物語は大きく違ってくるんでしょうなあ。(圓生は一柳(好生)がうっとうしかったのでしょうが)
いずれにせよ、文楽は師匠小南が去った後、圓馬の弟子にはならず旅に出た。圓馬と距離をとったということが、ひとつの答えになるのかもしれません。それが独立心からくるのか、圓馬への嫌悪からくるのかは分かりません。おそらく永遠に分からないでしょう。
でも、それでいいと思います。様々な想像をめぐらすことができる。それが楽しい。新たな視点を提供してくださった「匿名」さんに感謝したいと思います。こういうやりとりが、私にとって至高の楽しみなのです。
今後も御贔屓の程、宜しくお願い致します。
コメントを投稿