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2011年7月5日火曜日

筑波昭『津山三十人殺し』

読んでいて暗澹とした気分になる。でも、先を読まずにいられない。
昭和13年、日中戦争勃発の年、岡山県の山村で起きた大量殺人事件の記録である。
前半は事件の資料が淡々と綴られ、後半は犯人の生涯を丹念に辿っていく。
犯人都井睦雄は、両親を肺病でなくし、祖母に溺愛され、学校一の秀才として育った。しかし、中学進学を断念、その後肋膜を病んだことを理由に仕事もせず引き籠もる。
やがて都井は悪友から女の味を教えられ、漁色に耽るようになった。彼の暮らす山村には夜這いの風習があり、人妻でも簡単に体を開いた。都井はある時は強引に、ある時は不倫の証拠を突きつけて脅し、ある時は金を餌に、複数の女との関係を重ねた。
そんな折、都井は徴兵検査で肺病と診断され、衝撃を受ける。死病を患ったと思い込んだ彼の夜這いは、無節操で無軌道で、かつ執拗なものとなった。その結果、女たちは都井と距離を置くようになるが、彼は女たちが離れていったのを肺病ゆえの差別ととった。
都井は恨みを募らせ、女からの罵詈雑言を浴びるに及んで、殺意を膨らませた。そして、自家の田畑山林を抵当に入れて手にした大金で、武器を買い集め凶行の準備を始める。一度は警察に通報され取り調べを受けたが、涙ながらに更生を誓い、その場をやりすごした。この時、集めた武器を取り上げられたのが、かえって都井に凶行を決意させた。
再び武器を調達した彼は、電線を切断して集落を停電させ、5月21日午前1時、自分を溺愛した就寝中の祖母の首を、斧で一刀のもとに刎ねたのを皮切りに、集落の人々30人余を次々と殺戮した。極めて冷静に、極めて無慈悲に、である。標的は関係した女が中心であったが、結果的には年寄りから幼児に至るまで老若男女誰彼かまわずといった状態であった。最後は逃げ込んだ山の頂で凶器の猟銃を以て自殺を遂げる。都井の死亡推定時刻は午前3時、まさにこの凶行は「丑の刻」に行われたのだった。
それにしても凄まじい客観描写だ。筆者は一切の感想も心理描写も差し挟まない。圧倒的な事実のみを積み上げる。それが人間の暗部をありありと描き出す。外界と隔絶した山村で繰り広げられる性の饗宴、そのために引き起こされる惨劇。憎悪を膨らませ悪鬼へと変貌していくかつての秀才とくれば、どこか『山月記』の李徴を連想させるが、李徴の虎など足下にも及ばないほど恐ろしい。これが事実であることに戦慄する。しかも、この凶行の引き金となったのは、とどのつまりは色と欲だ。本当に人間は恐ろしい。
筆者は元新聞記者。あとがきを読んで驚いた。彼がこの事件に関心を知るきっかけとなったのが、昭和29年に茨城県鹿島郡徳宿村(現鉾田市)で起きた、一家9人毒殺放火事件に対する取材であったという。そうか、わりと近くでそんなことがあったのか、ちっとも知らなかった。思わず鳥肌が立った。

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